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「ダメでいいよ」と認めてあげたかった話。

出来る限り、感情の揺らぎと言いますか心のモヤモヤが生じた時に、言葉に残しておきたいと考えています。

先日つぶやきにも書きましたが、人事考課の面談がありました。そこで、色々なことを言われたのですが、どうにも胸の中がモヤモヤ、グツグツして腑に落ちない。というわけで記事にして考えを整理してみようと思います。

この記事の最後にはきっと、そのモヤモヤは晴れて多少スッキリしていることでしょう。私が。

なので非常に支離滅裂かと思いますが、ご容赦ください。


1.人事評価の話。


さて、人事考課面談でした。

その前に、それって何なの?と言いますと。

平たく言えば、会社や部署の業績がどうだったとか、個々人の業務の成果の振り返りをしたりとか、それを踏まえてボーナスとか昇給や昇格にどれだけ反映されるかとかを話し合う(実際には話し合いというより一方的にそういう話がされる)場です。大抵の会社ではどこでも、大小の差こそあれ、そのようなことをしていると思います。従業員が複数居るところでは。

要するに評価するわけです。「あなたどれだけ仕事できましたか」って。会社によってそういう評価の仕組みは異なるでしょうけれど。

私の勤務先では、何やら評価基準みたいなのがたくさんあって、それに対してまず自己評価をしていきます。「コストを意識して業務に取り組むことができたか」とか「他部署の人員と協力して業務を進めたか」とか、そういうの。

で、その一つ一つに「とてもできた」「できた」「できなかった」みたいな評価をしていくのです。その回答が数値に紐づいているので点数として加算されていって、合計点で何点だね、となります。

次に上司は上司でそれをもとにしてまた別の基準で云々かんぬんして、最終的に何点ですね、となって個人のボーナスやら昇給・昇格に影響していく仕組みです。

一見、非常に定量的なものに見えなくもないですけど、実際に「できた」「できなかった」とかの評価は各個人(私も上司も)が思い思いで決めているだけなので、あんまりそこに客観性は無いようにも思います。「この案件では金額上これだけの効果が出ました」ということも書く欄もありますけど、実際評価に影響するのは、最終的に「まぁこんくらいの点だよねー」と思って付けられた点数の部分だけです。

そのうえで、先日のこのつぶやき。


別に私は評価の仕組みそのものに物申したいわけではなくて。

何と言いますか、はっきり言うと「今期の私の評価はあんまり良くなかった」ということなんです。

2.期待するという話


実際、その評価については、相対的に見ればそこまで悪くはないです。

でも自分としては「ダメだったんだなぁ」と思ってしまったのです。

それは「私はもっとできるはずなんだ」という自分に対しての期待があったのかもしれません。あまり意識はしていないつもりでしたが、そういう思いが心の奥底にあったのかもしれません。

私は別に自分が「スーパー仕事できるマン」というわけではないことは自覚はしています。それなのに何故「もっとできるはず」と自己評価をしてしまったのか。

それは、今期やっていた仕事が、個人的に結構「キツかった」と感じていたからでした。

つまり「これだけ頑張ったんだから、評価されるだろう」という思いがあった。それが、実際はそこまで評価されなかった。だから、ガッカリして「ダメだった」と思ってしまったわけです。

しかしながらよく考えればそれは当然のことです。

3.頑張りと評価の話。


「頑張る」と「評価される」はそこに因果関係と言いますか相関関係は無いです。頑張れば頑張るほど評価されるかというと、そういうわけではない。

なぜなら、ここでいう「評価される」の条件として、もしその人がやった仕事によって「業績が上がること」ということがあるのなら、その人がその仕事を「頑張る」とは無関係だからです。「頑張った」ことでその結果「業績が上がった」のであれば、評価は上がります。ですが、「頑張った」けれども残念ながら「業績が上がらなかった」のであれば、評価は上がりません。

もちろん、会社によってはプロセス重視、ポテンシャル重視で、「頑張った」そのものを評価する会社もあると思います。でも、そういう評価軸のない会社では、いくら頑張ったところで評価されるとは限らないのです。

そして、これまた面白いというか皮肉なことには、その逆もまた確かではないのです。つまり「評価が上がった」からといって「頑張った」とも限らないということです。

これもよく考えれば当たり前のことですけど。「評価が上がった」ということはその人のやった仕事によって「業績が上がった」からであって、その人が仕事を「頑張った」かどうかは関係が無いということです。

つい期待してしまった。「キツかったけど頑張った」からあくまで主観的に自己評価をしてしまったのです。

ですが実際にはその「頑張った」ほどには業績に影響するような結果ではなかった。ただそれだけのことだったのです。

期待など、すべきではなかったのを、うっかり忘れていました。

4.中学時代に通っていた塾の話。


話はいきなり変わりますけど。
このことを考えて、中学時代を思い出しました。

私は当時、高校受験の準備のために、進学塾に通っていました。

そこまで大きな塾ではありませんでしたが、結構スパルタな環境でした。やる気のない生徒には怒号を浴びせ、時には暴力まがいのことが行われていました。テキストで頭を引っ叩くとか机を蹴っ飛ばすとか。けれど、そういうことが起こるのは理不尽な状況ではなくて、あくまで生徒の意欲が芳しくない場合に限られたものでした。そして怒られた生徒のほうも、反省しないで反発してしまっていたんですよね。それで先生もさらに激昂する。私は「なんでわざわざ塾に来てるのに勉強しないんだろう」と思っていました。まぁ今でしたら、暴力とか罵詈雑言とかの時点で問題になるのかもしれませんが。

なので、あくまで「本気で勉強をする」という環境を提供してくれる場、という印象が私にはありました。ですからそこまで塾そのものに対して嫌な思いはありませんでした。勉強さえしていれば怒られることはないですし。

その塾では毎月、テストがあるのです。そのテスト結果によって、習熟度別クラスに割り振られるのです。たしか3つくらいクラスに分かれます。出来るクラス、そこそこのクラス、あまり出来ないクラス。

私は毎回、一番上のクラスでしたが、そのテストのたびに心臓がキューッと締め付けられるような思いをしていました。

自宅と塾は結構距離がありましたので、テスト当日、私はいつも、送り迎えのクルマの中で母にこう話をしていたのを憶えています。

「ねえ、もしテストで上手く良い点が取れなくてさ、
 下のクラスに落っこちちゃったらどうしよう」


母にしてみたら、クラスがどうとか関係ないでしょうけれど、その当時の私にしてみたら「一番上のクラスだったのに落とされてしまう」ということが怖くて怖くて仕方のないことでした。

それは今に思えば、恐らく自分自身のプライドが高かったのだろうと思います。「自分は勉強ができるんだ」という期待を自分に対してかけていたのでしょう。

実際、中学時代はそこそこ勉強ができました。でも本当に「そこそこ」なのです。別に「めちゃくちゃ出来る」というわけではない。せいぜい学年で10番台とかそんなもんです。たかが田舎の中学校ですから、ちょっと真面目にやればそのくらいの順位にはなれます。

それなのに、たかだか塾のテストで一番上のクラスに入れたために、ちっぽけなプライドを持ってしまったのでしょう。自分のことを「出来る」と勘違いしてしまった。

言わば、してはいけない期待を、ずっとし続けてきたのです。

それで、テストのたびにそれが剥がれ落ちるのが、期待外れになるのが怖くて、いつも神経をすり減らしていた。それを思い出しました。

私はあの時、どうして何度も何度も母にそう言ったのか。いえ、実際には訊いていたのです。それは恐らく、とある答えを望んでいたのでした。

「いいよ、ダメでも」


その答えがずっと欲しかった。そう認めてほしかったのだと、今になって気付きました。

5.「誰の人生?」という話。


プライドを持ち続けることは頑張るエネルギーにもなるかもしれません。

ですが、当時の私も、そして大人になった今の私も、それを維持しつつ、自分を成長させていけるほど、強くはなかったのです。それを改めて感じました。

結局は「ダメ」なんです。幾らテストで良い結果をとろうと、幾ら他人に評価されようと、「ダメなものはダメ」です。

ただそれは自暴自棄的な「ダメ」ではないです。

「そのままでいいよ」ということです。現状維持に甘えていると批判されるかもしれませんが、「そのまま」が良いのです。幾ら人から「ダメ」と言われようが、自分は「そのまま」でいい。

表現は難しいですが、自分を受け入れるのは、最終的にはやっぱり自分しか居ないと思うのです。

それは言い換えると「自分の人生はちゃんと自分で面倒を見てあげなくてはならない」ということだと思います。今、自分が生きているのは他の誰でもない、自分の人生ということです。

ダメでもいい。ダメなのが嫌なのであれば納得いくまで頑張ってみるのでもいい。でもそれを決めるのは、他人ではなく自分。どう自分の人生を生きようか、決めるのは自分ということ。

ところで、自分自身、過去を振り返って「初めて、自分の人生を生きているという実感を得られたのはいつだったか」を考えると、それは大学時代でした。

6.学生時代~社会人の話。


ーー小中学校時代ーー

小中学校は友達はそれなりに居ましたが、大体が同じ行動範囲と言いますか、行動パターンも同じでした。公園で遊んだり、ゲームをしたり、自転車で買い物に行ったり。そういうことを友達と一緒にすることは確かに楽しかったですけど、なんとなくですが、そこに「自分」はあまり無かったように思います。無理しているわけではないけれど、周りに合わせると言いますか。

前述した進学塾も、高校受験のために周りのみんなが通い始めるから、自分も同じように通うようになりました。本当は、大好きな科目だった英語の塾なんかに興味がありましたが、受験のためには苦手な社会や国語もやらなきゃいけないから総合的に勉強できる進学塾にしたのです。


ーー高校時代ーー

高校に上がると、少し自我らしさが芽生えてきたと思います。中学時代の同級生があまり多くない他県の高校に進学し、高校デビューというほどではないですが、そこで新たな「自分」を期待していたのだと思います。ですが、入学早々にそれは打ち砕かれることになります。

進学校と聞いていたけれど、なぜか私の入学した年だけ定員は割れており、「高校に何しに来ているの?」という同級生もちらほら居るような環境でした。しかも、男子校という前時代的な環境の中で、女子の居ない本当に見事なまでの灰色の学校生活でした。それに絶望して、自分がどうだという前に、「人並みに楽しい学校生活を送りたかった」という思いを抱えたまま、三年間があっという間に過ぎていきました。

色々な経験をした記憶はありますが、正直そのどれもがしょうもなく、思い出したくもない、楽しさなんてものもほとんど感じたことがないものでした。アレコレやって上手くいかず失敗して、それで学べばいいものを、誰かのせいにして現実から逃げていました。


ーー大学時代ーー

そうしてようやく大学に進学しました。私は関東出身ですが、敢えて大学は関西地方のところを選びました。当時、親との関係も悪く、高校時代に良い思い出も無く、中途半端に東京の大学にすると高校時代の同級生も居るであろうと思い、思い切って、遠方の進学先にしようと思ったのです。高校までの自分とサヨナラして新たな自分になりたかった。そういう思いがありました。

初めての関西。それはもう文化から何から違いました。最初は抵抗もあったものの、次第にこの町の全てに居心地が良くなってきました。しかも一人暮らし。誰も私に干渉してこない。大学でも気の合わない人たちとツルむ必要もない。嫌いな苦手な科目は受講する必要が無くて、好きな授業だけを選択することができる。アルバイト先でキツイ思いをしたり、サークルで先輩から理不尽なことをされても、仲の良い友人と一晩中飲み明かして愚痴ったり馬鹿話をして、好きなだけ楽しい時間を過ごすことができる。

そんな環境に身を置いて初めて「ああ、これが自分の人生を過ごすということか」などと感じました。


ーー社会人ーー

大学を卒業して社会人になると、少し状況が変わります。「しっかりしなきゃ」そういう思いがあったのかもしれません。慣れない仕事も、苦手な先輩や上司ともうまく付き合っていかなければならない。そうした思いを数年間続けて、ようやく一人前に仕事ができるようになってきて、大きな仕事をする中で精神を病んでしまいました。

心がポキッと折れてから気付きました。「いったい自分は誰の人生を歩んでいるのか」と。そう思ってからは、少しずつ、自分らしくと言いますか、「もっとワガママで居ても良いんだ」という思いが出てきました。

そうしてからは、多少ですが、働くことが心地良くなってきました。自分のやれることをやればいい。給料が高くてもやりたくないことをするより、出世しなくても安月給でも自分が胸を張ってやれる仕事、夢中になれる仕事ができるなら、きっとその方が良い、と。

7.「そのまま」の話。


こうして振り返ってみると「自分の人生を生きる」というのは、私にとって、自分らしくあまり無理せず過ごしているときだったように思います。

よく成長だとか自己研鑽だとか、そういうワードを耳にすることも多くて、それはたしかにそうなんですけど、やっぱりそこに手を出せる余裕が無いときもあります。というか、そもそも、「頑張ってしまう」自分が居る一方で「そんなに頑張りたくない」も居ます。意識が低くて恐縮ですけど、現状維持で精いっぱいだったりするのです。

それは他人から見たら「ダメ」なんでしょうけど、そういう現状維持つまり「そのまま」であることを求めている自分が居るわけです。

それに気づいた時、ちょっと心が軽くなるのを感じました。

学生時代から社会人なりたての頃まで振り返ってみましたけど、「誰かと同じように」とか「誰かのために」という思いはすごく立派だということは理解していながらも、少なくとも私にとってはちょっと窮屈に感じるのです。

自己満足で申し訳ないですけど「自分のため」がいい。そして、それは「自分が成長したいならそうしたい」けれど、他人に言われてそうしたいとは思えない。そう思えないのなら、やっぱり「そのまま」でいいんじゃないか、と。そんなふうに思ってしまうんです。

というかむしろ、そのまま「で」じゃなくて、そのまま「が」良い。

あくまで気の向くまま。川の流れのようにじゃないですけど、他人からの意見はそりゃたくさん色々あると思いますけど、それを聞く聞かないは自分が決めていい。他人は私の人生に責任をとってはくれない。自分の人生は自分でかじ取りをしていく必要があるのなら、そこに他人からの意見だったり評価だったりは、結局は単なるオマケ。多少参考にする必要はあるけれど、メインではないのです。最後は自分で考えて決めて動けばいい話。その方が良いんじゃないかと。少なくとも私はそう思います。

というか、そう思うことで少し気が楽になりました。

ダメでいい。結局ダメなんですもん。学生時代だって、社会人になったって、根元の部分は変わらない。その部分をダメというのは勝手だけれど、自分だけはそれを受け入れてあげたい。

アレコレやって上手くいかないのも、要領良く立ち振る舞うことができたのも、ついつい真面目に仕事を頑張って無理してしまうのも、出来ることなら苦手なことは人任せにしておきたいのも、こうして誰にも言えない愚痴を不特定多数の方の目に留まる場所にまき散らしているのも。全部自分。それをダメな部分と言うならそうなんでしょう。

ただ、それが何かあなたの人生に関係ありますか?と。

自分が変わりたかったら変わるだけなので、あくまでこちらはこちらで好きにやらせてよ、という感じです。そのままで、やらせてもらいたいというだけ。

結論


今回のことで思ったのは、やはりまだ自分自身に対する見つめ方の修行が足りないということです。まだ期待してしまっている部分があります。自分に。

自己承認とか自己実現なんて言葉もあるように、それはそれで何か生きるためのエネルギーやらモチベーションの向上につながることもあるでしょうけれど、少し危険な方向にも行きかねないと個人的に思います。

期待して頑張ってすっごいパフォーマンスを出し続けるという超人的な人も居るでしょうけど、私のような凡人、いえ凡人以下の人間にとっては、過大な期待は裏切られることがまま多いわけです。能力はもちろん、それと向き合うだけのひたむきさや誠実さというのも持ち合わせていないこともありますから。

そうすると、今回の私の人事考課に対する愚痴のように「もっと私は評価されるべきなんだ」みたいな思考になってしまう可能性もあるんですよね。そうなってしまった時に、結果を出して評価に近づけられるならいいですけど、それが出来ずに燻ぶったり不満を抱いて、他に攻撃的なエネルギーを向けるとか、現状から逃げ出すための方便として使ってしまうようになると、それは悲しくそして虚しいことにも思えます。

ですから、結論としては、私のような自分が傷つきたくないチキン野郎は、くれぐれも、できることなら期待はしない。結果を伴う必要があるなら、まず行動してみるしかなくて。そこに「期待」なんていうものは、やっぱりたった1ミリでも差し込む必要なんて無いわけです。

それを踏まえて教訓。

・頑張った(苦労した)から報われるとは限らない。
・期待しないに越したことはない。
・ダメだとかどうでもよくて、自分が良ければいい。


そういうわけで、ここまで盛大に愚痴を並べてああだこうだ言ってみました。結局「結構頑張ったんだけどなぁ・・」という気持ちを長々と表現してみただけです。いやぁ長かったです今回。

まぁ、人事考課は個人的には残念な感じでしたが、結果、お給料はちょっぴりだけ上がるみたいだし、それはありがたいことだなと思うことにします。つぶやきにも書きましたが、下がらないだけマシ。現状維持よりも、前進しているということで。それだけ前向きに考えてこの話は終わりにしようと思います。おしまい。

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