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ストローズがんばれ! ヤツをとっちめろ!

ビチクソ感想文:映画『オッペンハイマー』

ぜったいに不快な気分になるだろうと思ったが、いちおう現世で生きていくには見ておいたほうがいいだろうと思って超上から目線で「どれどれ~」という感じで鑑賞した。

というのも、日本で『オッペンハイマー』が公開されたとき、BBCのニュースとそれに対するSNS上の海外の反応が記憶につよく残っていて、こんなんじゃ世界平和なんて訪れることは金輪際ないと絶望したからだった。何よりもわたしのなかの憎しみが燃えがってしまいコイツらの上に爆弾を落としたくなって「こりゃあかんわ」と思って「まぁ世界平和のためには見ないでおきましょう!」と思ったからだった。

BBCのニュースというのは、広島の観客がどのような感想を持ったかを伝える短い映像ニュースで、被爆者の方の「映画のあいだじゅう責められているような気持ちになった」という言葉を紹介する内容で、BBCはすごいなぁと感心した。日本のニュースでもちょくちょく広島や長崎の方たちの感想が紹介されていたけど、BBCはスピードが早かった。映画上映のその日にニュース記事を上げていた。

話は少し変わるけど、イギリスのある種のフクザツさへの嗜好は一体なんなんだろう(そういえばノーラン監督もイギリス人ですが)。世界の微妙な話題に真正面から猛スピードで突っ込んでいく彼らは意識的にか無意識的にか、よろこび勇んでフクザツさと戯れようとする。この奇っ怪なグローバル社会にBBCがあってよかったと思う。じゃなければ、もっと世の中は混乱していたにちがいない。だが、そうした精神的な余裕もSNSのコメントを見るまでだった。

Instagramで流れてきた記事にぶら下がっていた有象無象のコメントにショックを受けた。SNSの書き込みは外国でもこうなのか。日本だけじゃなかったのか。Instagramはお行儀がよいSNSじゃなかったのか。不愉快なので具体例は出さないが、結果的に爆弾を落としたくなったので、もうこの世界は(私も含めて)ダメなんだと思った。BBCはこの奇っ怪さを私に見せたかったのか。この状況に慣れろ、ここから思考を開始せよ、そして行動せよ、そう言いたいのか? だとしたらBBCはほんとうにすごいぜ。(よくわからん感想だが)

とはいえ、世界はダメだとヘコんでも生活はつづくしご飯はおいしいので、そろそろ見るかと元気が出てきたのだった。

ようやく冒頭に追いついた。

ちょうど日本は連休だった。おなじみの名探偵コナンの映画に押されて、『オッペンハイマー』はわが地元の映画館では一日一回の上映だった。それもなんだか気に入った。名探偵コナンにひれ伏せ! オッペンハイマー!という感じでますます元気になった。

あらすじは説明しない。感想だけ書く。

映画として正しく不愉快な気持ちになれた。そこがよかった。それはクリストファー・ノーラン監督の手腕だろう。わたしはこの映画のおかげでオッペンハイマーというキャラクターが心底きらいになった。ノーラン監督は「そこまで嫌わなくても」と思うかもしれないが、脚本や演出を思い出すにつけ「嫌うな」というほうがおかしい。そして、このいや~な感じを描くことで観客のわれわれに「こうならないように気をつけろ」と訴えているとさえ思った。好意的に解釈すれば。

いいかえると、原子爆弾そのものよりも人の痛みに鈍感な人間の破滅的な影響というのを深く考えさせられる映画だった。もちろん原子爆弾はなんとかしなければいけないが、オッペンハイマーもなんとかしなければいけない。たとえ彼がいなかったとしても原爆は生まれていたかもしれないが、結果的に彼のような人間が原爆開発で大きな役目を果たしたことは何度でも思い出すべきだろう。そんな映画だと思った。いずれにせよ不快だけれど。

思い出したのは『TAR』という映画だった。オッペンハイマーの不愉快さは『TAR』に出てくる主役ターの不愉快さに通じていた。

ちなみに「TAR」はターという新進気鋭の女性指揮者の成功と没落を描く、高邁な芸術家がいかに傲慢な人間になりうるかを描く映画だ。(だけど、さいごの「没落」に仕掛けがあって、見終えた者の差別意識の自覚を促すような結末になっているのだが、それについてはまたどこかで書くかもしれないけど閑話休題)

オッペンハイマーもターのような人間として描かれる。物理学者で科学界のエリート。そして社会主義思想や東洋思想など哲学や文学にも造詣が深く、本棚にはサンスクリット語の詩が置いてあったり、資本論も原書で読破してたりする。科学や芸術に身も心も捧げる人間がいかに周囲の人間に対して冷酷になれるか、いかに鼻持ちならないか、映画はそのあたりを淡々と描いていく。まさかこんな映画とは想像していなかった。

まず女性関係。とても不愉快に描かれる。とくに自殺してしまった女性についてはひどい描かれ方だ。人間を人間と思ってない感じ、人間を甘く見ている感じが露骨に出ている。女たらしというと聞こえは(多少?)やわらぐが、じっさいに彼女は命を断ってしまっている。そして彼女はもともと精神的におかしくて向こうが勝手に狂ったみたいなふうに描かれる。ひどい。でもそうじゃない。原因は彼の冷酷な態度にある。少なくとも彼はいっさい彼女の困難に寄り添うことはしない。自殺のあと、彼にも自責の念があるらしい描写があるがまったく同情できない。

一事が万事そんな感じで、ぜんぶ憎たらしい。

たとえば原爆実験が成功する場面、「われは世界の破壊者なり」みたいなセリフをつぶやくが、いいかげんにしろと思う。何をカッコつけているのか。だがもしかすると、こうした巨大なプロジェクトを動かしていく人間に必要なものは、こういう反人間的な、浮世離れした感覚なのかもしれない。そして、そこに独特な、女たらし的な魅力が宿ることもあるのだろう。ほんとうに勘弁してほしい。

「カッコつけるな! カッコつける前に目の前の人間たちに向きあえ!」――オッペンハイマーにいいたいことはこれに尽きる。そうして、映画終盤になって中心に躍り出るキャラクターにわたしは喝采を送ることになる。ストローズだ。

ストローズは政治家だ。オッペンハイマーを表舞台から引きずり下ろす影の権力者として登場する。赤狩りが流行したとき、あれこれ工作して裏から彼を追い詰める。その理由はいろいろ語られるが、わたしから言わせると「オッペンハイマーにムカついたから」だ。

ストローズは不条理な人間のように描かれるが、そんな単純な話ではない。わたしは彼に共感した。「卑しい靴屋の息子」だと自称するストローズは彼と出会った最初の場面から彼をよく思ってない。鼻持ちならないやつだと感じている。大成功した科学者の傲慢さを感じ取っている。そして、赤狩りのときにそれがついに爆発する。

オッペンハイマーは恨まれる人物だった。いままで問題にならなかったのは、その傲慢さが許される環境にいたからだ。ストローズが感情をあらわに吐き出すセリフはわたしがオッペンハイマーに言いたかったことだった。

原爆を開発したのに、急に良心の呵責におそわれて水爆開発には反対する。国の英雄という高みから世界へ警告する。だがストローズは許さない。わたしも許さない。その欺瞞を。カッコつけを。おまえはそんなやつじゃなかっただろう。そもそも尊敬されるような人間だったのか。なにを今さらいっているのか。だから引きずり下ろす。むしろあいつはわたしに感謝するべきだ! 悲劇の殉教者としての道を準備してやったのだから! ――

赤狩りという時代のせいではない。彼はあのとき没落してしかるべきだった。たくさんの人たちの恨みや憎しみが重なった結果ああなった。遅かれ早かれこうなっていたのだ。

というわけで、オッペンハイマーというキャラクターが心底きらいになった。むしろ、ここまできらいということは、それだけ執着があるということでもある。気をつけようと思った。

ほかにも言いたいことはあるけど、さいごに一言だけ。

ラストのアインシュタインとのやり取りも「さいごまでカッコつけてるなコイツ」と思った。だからストローズがんばれ~と思った。ちなみにストローズ役はロバート・ダウニーJrが演じていたことに後から気がついた。ロバートダウニーJrが好きになった。

おしまい


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