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わたしの白い追憶

春めいてきた。自宅に小さな庭があるんだけど、この時期になるとドクダミが繁殖しだす。放っておくと、庭全体をドクダミが覆ってしまうため、草むしりが欠かせない。

こないだの日曜、庭に出ようと戸をあけたら、いっしょに猫のKooちゃんも飛び出した。Kooちゃんは活発な猫で、朝昼晩とにかく外に出たがる。短いときは5分でもどってきておどろかされるが、長いときは1時間以上散歩している。ご近所に愛されているようで、いっしょに外に出たときは見知らぬ人から「あら、おたくの猫ちゃんだったんですね」と声をかけられたこともある。

しかし、さいきんのKooちゃんは気の毒だ。お隣の家の庭でクソをしているとご近所さんからのメールがあって、事実かどうかはだいぶ疑わしいのだが、なんだか怖い文面だったので、太陽が出ている間は外出を遠慮してもらっているからだ。さみしそうに鳴いて、肉球を肩にチョンとしてくるんだけど無視している。Kooちゃんにとったら、なぜ外に出られないのか意味不明だろう。わたしも悲しい。わたしたちは悲しみを共有している。

だが、庭の草むしりのときくらいはいいじゃないか。飼い主もいっしょに外にいれば問題ないはずだ。そもそも、こんなに気持ちのいい春の日を猫から奪う権利なんて人間にないだろう。春の日差しのなかでドクダミをむしっていると、人間としての感性もまともになっていくのかもしれない。

うれしそうにしっぽを立てて散策するKooちゃんを眺めながら、ドクダミをむしり続けていると、だんだん人心地がついてきた。日曜日はだいたい二日酔いなのだ。土曜日の夜から町に出て友人たちと明け方まで飲んでいる。「いいかげんにしなさい」といわれそうだが(現にいわれているが)、たのしく飲んでいるので、いい気分転換になって精神的にはすこぶる調子がよい。しかし、二日酔いはよくない。
原因はわかっていて、はしごした挙げ句にカラオケにいくとこうなる。さらに、カラオケ自体は問題じゃなく、カラオケで出る酒を飲むと悪酔いする。今度カラオケに行くときは酒を飲まないぞと思うんだけど、毎回そのころには忘れてしまってウーロンハイを飲んでいる。いいかげんにしなさい。

ドクダミは匂いがきつい。軍手をしていても手に匂いがうつる。ふとドクダミの花言葉を調べたら、「野生」「自己犠牲」「白い追憶」とあって、どういうことなのかとさらに検索してみたら、だいたい次のような感じだった。

「野生」…つよい繁殖力のイメージがあるから。野生の強いイメージ。

「自己犠牲」…毒を消す作用があるから。薬として使われるイメージ。

「白い追憶」…独特な匂いと白い花が記憶に残るから。

わが庭をおおい尽くすほどだから「野生」はよくわかる。しかし、「自己犠牲」と「白い追憶」はピンとこない。
むしろ、草むしりをするわたしが「自己犠牲」ではないか。そして「白い」といえば無心に草むしりをしていて、二日酔いのからだが浄化されていく感じがまさに「白い」にぴったりだ。
「自己犠牲」的精神で「野生」と格闘しながら、こころを「白く」していく。そうして、ふと手をとめると、Kooちゃん(トラ猫)の背中が午後の陽光に黄金色に輝いている。

そんな情景をいつか思い出すこともあるのかもしれない。それがわたしの「白い追憶」ということにしよう。

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