【中世哲学】アウグスティヌスの思想

アウグスティヌスの思想は、キリスト教の教父として、中世ヨーロッパに大きな影響を与えたものです。彼の思想の特徴をいくつか紹介します。

  • 人間への関心:アウグスティヌスは、自分自身がどんな存在であるかという問いに深く取り組みました。彼は自分の人生を振り返り、自分の内面にある謎や矛盾に直面しました。彼は自分の魂や心を探求することで、人間の本質や神との関係を明らかにしようとしました。

  • 内面・心の重視:アウグスティヌスは、人間の本質は内面にあると考えました。彼は、外界から与えられる知識や感覚ではなく、自分の心から湧き出る知恵や愛が真理へと導くと信じました。彼はプラトン主義の影響を受けて、魂や神という普遍的な存在を重視しました。

  • 時間論:アウグスティヌスは、時間という概念についても独自の見解を示しました。彼は、時間は客観的な世界にあるものではなく、人間の心の中にあるものだと主張しました。彼は、過去・現在・未来という三つの時間が、それぞれ人間の記憶・直視・期待という心的な作用によって存在すると考えました。

  • 神と人間との関係:アウグスティヌスは、神と人間との関係を説明するために、原罪・恩寵・予定説などの概念を用いました。彼は、人間は神によって創造された有限な存在であり、神から離れて堕落したことで罪を犯したと考えました。しかし、神は人間に対して愛と赦しを示し、イエス・キリストを通して救済の道を開いたと信じました。彼は、人間が救われるか否かは神の予定によって決まるとも考えました。

  • 神の国と地上の国:アウグスティヌスは、天地創造以来の歴史を、「神の国」と「地上の国」という二つの国に分けて考察しました。彼は、「神の国」とは神への愛によって結ばれたキリスト教共同体であり、「地上の国」とは自己への愛によって支配された世俗社会であると定義しました。彼は、「神の国」が「地上の国」に優越することを主張しました。

トマス・アクィナスとの比較

アウグスティヌスとトマス・アクィナスの思想の違いは、多くの点で見られますが、ここでは、神の存在の証明の方法論、理性と信仰の関係、自然と恩寵の認識などについて述べてみます。

  • 神の存在の証明の方法論:アウグスティヌスは、神の存在を内省的な方法で発見しようとしました。彼は、自己の内面にある神への欲求を根拠として、神の存在を論証しようとしました。一方、トマス・アクィナスは、五つの「神の存在の証明」を提唱し、理性的な論証を展開することで神の存在を証明しようとしました。

  • 理性と信仰の関係:アウグスティヌスは、信仰と理性は切り離せないものであると考えましたが、信仰が理性に優先すると主張しました。彼にとって、信仰は、理性によって完全に理解できるものではなく、ある種の神秘的なものであると考えられました。一方、トマス・アクィナスは、信仰と理性は調和するものであると考えました。彼は、信仰は理性によって補強されるものであり、理性は信仰によって導かれるものであると考えました。

  • 自然と恩寵の認識:アウグスティヌスは、人間は原罪によって堕落した存在であり、自然的な能力では神に近づくことができないと考えました。彼は、人間が救われるためには、神から与えられる恩寵が必要であると考えました。一方、トマス・アクィナスは、人間は自然的な能力を持つ合理的な動物であり、自然法に従って善を行うことができると考えました。彼は、人間が救われるためには、自然的な能力に加えて超自然的な恩寵が必要であると考えました。

エピソード

アウグスティヌスのエピソードとは、彼の人生や思想に関する興味深い事柄のことです。彼の著作や伝記から、多くのエピソードが知られています。例えば、以下のようなものがあります。

  • アウグスティヌスは、若い頃に放蕩生活を送り、マニ教に傾倒していました。しかし、キケロの『ホルテンシウス』を読んで哲学に目覚め、マニ教から離れました。

  • アウグスティヌスは、ローマで修辞学の教師をしていましたが、生徒たちが授業料を払わなかったり、不真面目だったりしたために不満を感じていました。そこで、ミラノに移りましたが、そこで司教アンブロジウスと出会い、彼の説教に感銘を受けました。

  • アウグスティヌスは、32歳のときにキリスト教に回心しました。そのきっかけは、庭で子どもたちの声を聞いて、「とって読め」という言葉に導かれて聖書を開いたことでした。彼はそこに書かれていた「主イエス・キリストを身にまとえ」という言葉に心を打たれました。

  • アウグスティヌスは、母モニカとともにアフリカに帰る途中でオスティアで停泊しました。そこで彼らは窓から海を眺めながら、神の本質や永遠の命について語り合いました。このエピソードは『告白』第9巻第10章に記されており、「オスティアの対話」と呼ばれています。

  • アウグスティヌスは、司教として多くの異端や異教徒と論争しました。特に有名なものは、ペラギウスとの争いです。ペラギウスは人間が自由意志で善行を行えると主張しましたが、アウグスティヌスは人間が原罪によって堕落し、神の恩寵なしでは救われないと反論しました。

主な批判

アウグスティヌスへの主な批判として、以下のようなものが挙げられます。

  • マニ教徒のフォルトゥナトゥスは、アウグスティヌスが悪を善の欠如として定義したことに反対しました。彼は、悪はそれ自身で存在する実体であり、神は悪に関与していると主張しました。

  • 18世紀の神学者フランチェスコ・アントニオ・ザッカリーアは、アウグスティヌスの悪についての考えが人間の苦しみを論じていないことを批判しました。彼は、神が人間に苦しみを与えることは、神の愛や正義と矛盾すると考えました。

  • 20世紀の哲学者ジョン・ヒックは、アウグスティヌスが原罪や予定説を用いて悪を説明したことに疑問を呈しました。彼は、原罪は人間の自由意志や責任を否定するものであり、予定説は神が人間を平等に愛していないことを示すものであると指摘しました。

以上がアウグスティヌスの思想の一部です。彼はキリスト教的な視点から哲学的な問題に取り組み、後世に多大な影響を与えました。もっと詳しく知りたい場合は、彼の著作『告白』や『神の国』を読んでみてください。

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