有名な歴史学者8人

歴史学者とは、過去の出来事や人物、文化などを研究する学者のことです。歴史学者は、史料や文献を分析し、歴史的事実や解釈を明らかにします。

ここでは、世界の歴史学者の中から、有名で影響力のある8人を紹介します。

  • ヘロドトス (Herodotus)
    古代ギリシアの歴史家であり、「歴史の父」と呼ばれます。ペルシア戦争に関する『歴史』という著作を残しました。

  • 司馬遷 (Sima Qian)
    古代中国の歴史家であり、「史学の祖」と呼ばれます。中国最初の正史である『史記』という著作を残しました。

  • イブン・ハルドゥーン (Ibn Khaldun)
    中世イスラム世界の歴史家であり、「社会学の父」と呼ばれます。『世界史序説』という著作で、文明や社会の発展に関する理論を展開しました。

  • レオポルト・フォン・ランケ (Leopold von Ranke)
    近代ドイツの歴史家であり、「科学的歴史学の父」と呼ばれます。客観的な史料に基づいて歴史を記述する方法を確立しました。

  • フェルナン・ブローデル (Fernand Braudel)
    近現代フランスの歴史家であり、「新しい歴史学派」の代表者です。『地中海』という著作で、経済や社会、文化などの長期的な変化を重視する歴史観を示しました。

  • エリック・ホブズボーム (Eric Hobsbawm)
    近現代イギリスの歴史家であり、マルクス主義的な立場から歴史を分析しました。『革命時代』『資本主義時代』『帝国時代』『極端な時代』という四部作で、19世紀から20世紀までの世界史を網羅しました。

  • ナタリー・ゼモン・デイヴィス (Natalie Zemon Davis)
    近現代アメリカの歴史家であり、女性や民衆などのマイノリティの視点から歴史を描きました。『帰還』という著作で、16世紀フランスにおける宗教改革と身分制度に関する物語を再構成しました。

  • 津田左右吉 (Tsuda Sōkichi)
    日本古代史や『論語』の文献研究で知られる歴史学者で、『文学に現はれたるわが国民思想の研究』を著して、初となる本格的な日本思想の通史的叙述を行いました。戦中には不敬思想として弾圧されました。

ヘロドトス

ヘロドトス (Herodotus) は、紀元前484年頃から紀元前425年頃まで生きた古代ギリシアの歴史家です。小アジアのハリカルナッソス(現在のトルコのボドルム)に生まれましたが、政治的な理由で故国を追われ、サモスやアテナイ、イタリアなどに滞在しました。彼は東地中海の各地を旅して、見聞を広め、古代ギリシアやオリエントの歴史や文化について調査・探求(ヒストリエー)を行いました。

彼の主な著作は『歴史』と呼ばれる全9巻の書物で、ギリシアとペルシアの間に起こった戦争(ペルシア戦争)を中心に、その背景や原因、経過、結果などを詳細に記述しています。彼は自分の目で見たり、聞いたり、読んだりしたことをもとに、客観的で中立的な立場から歴史を書こうと努めました。彼はまた、歴史だけでなく、各地の風土や風俗、神話や伝説、動植物や地理などにも興味を持ち、多彩な話題を取り上げました。

彼の『歴史』は、古代ギリシアやオリエントの歴史や文化を知る上で貴重な史料となっており、その語り口は物語り的で魅力的です。彼は歴史という概念の成立過程に大きな影響を与えたことから、歴史学や史学史において非常に重要な人物とされ、しばしば「歴史の父」と呼ばれています。

司馬遷

司馬遷 (Sima Qian) は紀元前145年から紀元前86年頃にかけて活躍した歴史家で、漢の武帝の時代に太史令(天文・暦法・歴史を担当する官職)となりました。彼は父の司馬談の遺志を継いで、中国の古代から当時までの歴史を網羅した『史記』という巨著を執筆しました。

『史記』は紀伝体という形式で書かれており、基本紀(各王朝の歴代君主の事績を記したもの)、表(年表や暦法などを記したもの)、書(政治・経済・社会などの制度や現象を記したもの)、世家(有力な氏族や諸侯の事績を記したもの)、列伝(個人や集団の伝記を記したもの)の五部構成になっています。『史記』は中国史の基本史料としてだけでなく、文学的にも高い評価を受けており、「史学の祖」と呼ばれる司馬遷の偉業として讃えられています。

司馬遷は『史記』の執筆中に、匈奴に降った将軍の李陵を弁護したことで武帝の怒りを買い、宮刑(去勢)に処せられるという不幸に遭いました。しかし、彼はその屈辱に屈することなく、歴史の真実を伝えるために『史記』の完成に尽力しました。彼は自らの境遇について、「余は甚だ惑えり。儻(もし)か所謂(いわゆる)天道は是(これ)なるや非(あらず)なるや」と疑問を投げかけながらも、「後世の賢人は必ずや吾が志を知るべし」と述べています。

イブン・ハルドゥーン

イブン・ハルドゥーン (Ibn Khaldun) は、1332年から1406年まで生きたアラブの歴史家であり、哲学者、政治家、裁判官なども務めました。彼はチュニスで生まれ、アフリカやイベリアのさまざまなイスラーム王朝に仕えたり、ティムールと交渉したりしました。彼は歴史の法則や文明の興亡の原因を分析し、社会科学の基礎を築いたとされます。

彼の代表作である『世界史序説』は、彼が書いた3部作の世界史『イバルの書』の第1部です。この書では、彼は歴史の方法論や歴史の真実を見分ける基準を提案しました。彼は歴史を自然科学と同じように客観的に研究することができると考えました。彼は文明の発展にはアサビーヤという団結力が必要であり、都市文明は豊かさと快楽によって衰退するという理論を展開しました。彼はまた、人口、気候、経済、政治、宗教など、歴史に影響を与えるさまざまな要素についても考察しました。

イブン・ハルドゥーンは、アラブの最も偉大な歴史家であり、社会学や歴史科学の父と見なされています。彼の思想は、後の西洋の歴史家や社会科学者にも影響を与えました。

レオポルト・フォン・ランケ

レオポルト・フォン・ランケ (Leopold von Ranke) は、19世紀に活躍したドイツの歴史家で、厳密な史料批判と史実の客観的叙述を主張しました。彼は、各時代や各民族の個性と発展を重視する歴史主義の立場から、宗教改革史やヨーロッパ近代国家の成立史などを研究しました。彼の著作は、歴史学の一大潮流となったランケ学派の基礎となりました。また、彼はベルリン大学で歴史学の演習を創設し、多くの優秀な歴史学者を育てました。彼は、近代歴史学の確立者として、世界中の歴史学に大きな影響を与えました。

フェルナン・ブローデル

フェルナン・ブローデル (Fernand Braudel)は、20世紀のフランスの歴史家で、アナール学派と呼ばれる新しい歴史学の流れを作りました。彼は、戦争や政治の出来事だけでなく、経済や社会、文化、地理などのさまざまな要素が、長い時間の中で歴史を形づくると考えました。彼の代表作『地中海』は、16世紀の地中海世界を、人々の生活や交流、環境や気候などの観点から分析した大著です。この本は、彼が第二次世界大戦中にドイツ軍の捕虜となっていたときに書き始めました。彼は、歴史学と人文社会科学の交流を促進するために、社会科学高等研究院や人間科学館などの研究機関の設立にも関わりました。

エリック・ホブズボーム

エリック・ホブズボーム (Eric Hobsbawm)は、1917年に生まれたイギリスの歴史家で、マルクス主義に基づく多数の著作を残しました。彼は、エジプトでユダヤ系英国人の家庭に生まれ、オーストリアやドイツで幼年時代を過ごしました。1930年代に渡英し、イギリス共産党に入党しました。ケンブリッジ大学で博士号を取得後、ロンドン大学やニューヨークのニュースクールなどで教えました。彼は、19世紀から20世紀までの世界史を、「長い19世紀」(1789年-1914年)と「短い20世紀」(1914年-1991年)という二つの時代に分けて分析しました。彼の四部作と呼ばれる『革命時代』、『資本主義時代』、『帝国時代』、『極端な時代』は、それぞれこの二つの時代の前半と後半を扱っています。

彼は、歴史を単なる政治的な出来事の列挙ではなく、経済や社会や文化や思想などのさまざまな要素が相互に影響しあう複雑な過程として捉えました。彼はまた、自らの人生を回想した自伝『面白い時代』や、ジャズや文学などの文化に関するエッセイ集『素朴な反逆者たち』なども著しました。彼は、世界で最も著名で最もよく読まれる歴史家の一人として、多くの読者や研究者に影響を与えました。

ナタリー・ゼモン・デイヴィス

ナタリー・ゼモン・デイヴィス (Natalie Zemon Davis) は、1928年にアメリカのミシガン州で生まれた歴史学者です。彼女はプリンストン大学やトロント大学で教鞭をとり、16-17世紀のフランスの宗教生活、民衆文化、ジェンダー研究などを専門としました。彼女は、歴史の主役とされる王や貴族だけでなく、一般の人々や女性、異端者などのマイノリティの声や経験にも注目し、彼らの視点から歴史を描こうとしました。

彼女の代表作のひとつが『帰還』です。これは、16世紀フランスで実際に起きた「マルタン・ゲール事件」と呼ばれる詐欺事件を題材にしたものです。この事件では、8年間行方不明だった農民マルタン・ゲールが突然帰ってきたが、実は別人になりすまされていたという驚くべき事態が起きました。デイヴィスは、この事件を詳細に調査し、当時の社会や文化、宗教改革や身分制度などの背景を考慮しながら、事件の当事者たちの心理や動機を推測し、物語として再構成しました。

津田左右吉

津田左右吉 (Tsuda Sōkichi) は、1873年から1961年まで生きた日本の歴史学者で、思想史家でもありました。岐阜県出身で、早稲田大学の教授を務めました。彼は、日本古代史や中国思想史において、文献批判と実証主義の方法を用いて、多くの研究成果をあげました。特に、記紀の神話や天皇の系譜について、史実ではなく創作であると論証し、日本古代史の科学的研究の基礎を築きました。また、『文学に現はれたるわが国民思想の研究』という著書では、日本の国民思想が外来の思想の影響を受けながらも、独自の発展を遂げたことを、文芸作品や美術・芸能などを通して分析しました。これは、日本思想の通史的叙述としては初めての試みでした。

彼の古代史研究は、国体思想に反するとして、右翼思想家や政府から攻撃されました。1940年には、彼の主要な著書が発禁処分となり、出版法違反で起訴されました。彼は早稲田大学を辞職し、裁判に臨みましたが、時効によって免訴となりました。戦後は、再び著作活動を再開し、1949年には文化勲章を受章しました。彼の学問的研究態度は、感情や偏見にとらわれず、真実を追究しようとするもので、日本の歴史学に大きな影響を与えました。彼の全著作は、『津田左右吉全集』として出版されています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?