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「窓展」|窓の大切さ

昨日、東京国立近代美術館で開催中の「窓展」に行ってきました。

明日2/2(日)まで開催中。かなり駆け込みになりますが、興味深い展示だったので気になっている方……特に建築関係者の方はぜひ行ってみてください。

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今さら言うまでもなく「窓」は私たちの生活にとって大切な存在ですが、個人的にもその重要性を痛感する出来事が、つい最近ありました。

年末年始にスリランカを旅行したときのこと。

ジェフリー・バワの設計したホテルに泊まりたい!という目的がメインでした。その詳細は後日、旅行記として書こうと思います(まだフィルムが現像できていない)。

バワのホテルのうち、リゾートホテルとして最も有名な、ゴールの「ジェットウィング・ライトハウス」には年越し含めて三連泊しました。年末年始は三泊以上しか予約が取れないという強気なホテルで、やむを得ず……でしたが、良いホテルだったので結果オーライです。


ジェットウィング・ライトハウスの客室は「スイート」が3部屋、残るはすべて「Luxury Room」と呼ばれます。

この「Luxury Room」、部屋のサイズ(60㎡)と間取り・デザインはどの部屋も一緒です。

違うのは、この窓からの眺めだけ。

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私たちは前もって良い部屋を指定して予約したので、この写真のように目の前は広い海だけ、という素晴らしい環境でした。

しかし少し金額を下げようとすると、建物自体が少し離れた別棟に移り、窓の先はホテルのプールになってしまいます(プールの先に同じく海があるけれど、低層階では見えづらい。また、プールの客から常にこちらが見られている)。

繰り返しますが部屋の広さ・デザインは一緒。つい最近リフォームされたばかりで水回りもピカピカで、窓の方角も同じです。ただ眺めが違うだけで、金額が変わります。

この窓には水色の板戸がついているので、閉めてしまえば全く同じ空間と言ってもいいのです。


リゾートホテルではよくあることだし、高層マンションも同じように「眺め」だけで金額が違うのがもはや常識ですが、あらためて考えると不思議だなぁと。

私たちは当たり前のように「眺めがいい部屋を」と考え、追加料金を払うことも厭わないけれど、「眺め」という視覚情報に無意識のうちに重きを置いていることを深く考えたことがあるでしょうか。

なぜ「眺め」が良くあってほしいのか?

バラガンの建築が「フォトジェニックだ」と書いた時にも考えたのですが、「居心地がよい」という感覚の多くは、視覚情報によって決まると思っています。まだ整理しきれていないので、これはもう少し詰めて書きたいテーマです。

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「窓展」では、窓の役割として上記のような「眺め(風景)」はもちろんのこと、窓的なものとしての絵画、採光や通風という根本的な役割の再考、また「窓と呼べるかもしれないもの」までかなり幅広く展示しています。考えるきっかけとして良い体験になりました。

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「窓史」ともいえる年表がとても面白かったです(単体で販売してくれないかなぁ)。ハンマースホイのこの絵は、採光を強調している点が興味深い。東京都美術館の展示も観に行かなければ。

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なんとゲルハルト・リヒターの作品も!

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藤本壮介氏「窓の家」モックアップ。

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最後に。

「窓展」では触れられていなかった「窓」について、個人的な話を。

私は住めば住むほど東京を愛してやまないのですが、わけても夜、高層ビルを眺めるのが大好きです。高層オフィスビル、高層ホテル、高層マンション……それらが夜になると一斉に輝く様子は、シンプルに都会的で夜景として美しい。

加えて、「人間がそこにいる」という感じがたまらないなぁ、といつもうっとり見上げています。

「あ、あのフロアだけこうこうと蛍光灯の光が……ブラック企業なのかな」

などと考えながら夜の東京を歩くのが、非常に幸せな営みです(ちょっと変態かもしれない)。

窓は一般的に外部の光を取り込むためのものだと思われているし、実際にそうです。私たちは生きるために“自然”光を必要としている。でも夜になると、窓から漏れる”人工“照明の明かりが、まるで生命の証のように街を照らしている。

誰かが意図して始めたわけじゃない、ある意味ではこれが都会の「自然」。その逆説的な状況に魅力を感じます。

(おわり)

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