わが故郷・東三河 鳥居強右衛門
水ふかし 緑ふかまる 奥三河
この奥三河では、戦国時代に、長篠の合戦がありました。 織田信長と徳川家康連合軍が、武田勝頼軍に対して、鉄砲を使い勝利したことで有名です。 しかし、この戦いは、鉄砲よりも、名もなき足軽の活躍がありました。
家康から長篠城を託されていた殿様が武田軍に囲まれます。 落城寸前の危機に至り、岡崎の家康に援軍を要請するために足軽を走らせます。 なんと、城の下水口から川を泳いで敵軍を突破する命がけの作戦。 深き水と深き緑が幸いしたのか、見事に敢行します。 家康のもとにたどり着いて、援軍がすぐに来ることを知ると、折り返し長篠城へ。 ところが、敵軍に捕らえられる。
そこで、敵軍は、「援軍は来ない」と伝えれば、助命して褒美を授けると持ちかけます。 足軽は、それに同意して、城のそば近くから大声で伝えます。 「あと二、三日のうちに織田・徳川の援軍が来る。それまでの辛抱である。」 策にはまった武田軍は、その足軽をはりつけに。 かたや、その声に励まされて長篠城は持ちこたえる。 形勢は一転して、織田・徳川連合軍は勝利します。
この決死の覚悟で忠義を尽くした足軽こそ、鳥居強右衛門(すねえもん)です。 この三河侍の辞世の句が墓標に刻まれています。 「わが君の 命に替る 玉の緒を などいとひけん 武士(もののふ)の道」 飯田線の鳥居駅は、強右衛門の磔殺された地にちなんでいます。(平成22年葉月)