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「SAND LAND」にみる狂言回し型の主人公

お疲れさまです。

先日久々に映画館に足を運びました。

「マリオ」を見ようと思ったのですが、
誤上映が怖いので、
「サンドランド」にしました。

https://filmarks.com/movies/109010


ポスターをご覧いただけばわかるように、
この映画、
女っ気がまったくありません。

主要キャラ5人のうち、
3人がじじいという、
海外ドラマ「ブレイキングバッド」をおもわせるむさ苦しい配役。
(鳥山明はじじいを描くのが好きなのか?)

それはともかく、
観た感想としましては、

風刺の利いた世界観や、
魅力的なじじいたちによる、
手に汗握る戦い、
迫力ある戦車バトル、
あるいは、良質なコメディタッチによるセリフの応酬、
あるいは、丁寧な構成、
丁寧なストーリー運び、
わかりやすいが、それでいて単調ではない、
シンプルと呼ぶに相応しい、
そんなストーリーで、

おすすめできる、
良作です。


一方で、
脚本的な視点からシビアに捉えたとき、

タイトルに題したように、
映画としては珍しい、
"狂言回し型の主人公"、
という形をこのストーリーは取っており、
その点がひとつ引っかかりましたので、

そのあたりに関しまして、
以下、
ネタバレ含め、 
分析してまいります。 







・「サンドランド」のあらすじ

魔物も人間も水不足にあえぐ砂漠の世界<サンドランド>。悪魔の王子・ベルゼブブが、魔物のシーフ、人間の保安官ラオと奇妙なトリオを組み砂漠のどこかにある「幻の泉」を探す旅に出る―。

https://filmarks.com/movies/109010

あらすじの通り、
「サンドランド」の主人公はベルゼブブですが、
一般的な主人公とは毛色が異なります。

知る人ぞ知る構成理論「13フェイズ構造」のキャラクター分類において、

https://youtube.com/playlist?list=PLZ8gOnOQFuWpd_h0d6FlDPS3d3Sod46By&si=TAw9vWuiNj8v9vJB

提唱者のかたは、
ストーリーの主人公を、

・(一般的な)主人公 
・狂言回し

の二種類にわけています。

・(一般的な)主人公、
については説明するまでもありませんが、

ストーリーの中心に常に位置し、
ストーリーが進むにつれ、
成長または変化していくキャラクター、
を指します。

具体例をあげれば、
「ドラゴンボール」の孫悟空、
「名探偵コナン」の江戸川コナン、
あるいは、「スラムダンク」の桜木花道、
映画なら「タイタニック」のローズ、
など、

おそらく世にあるストーリーの大半は、
このタイプの主人公です。

一方、
・狂言回し、
というのは、

一話完結型のテレビドラマやアニメで時々見受けられるタイプの主人公のことで、

一例をあげれば、
「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造。

主人公はセールスマンの喪黒福造ですが、
その役割としては、
悩める客と出会い、
客の願望を満たすサービスを提供し、
その後、ストーリーの蚊帳の外から客の変貌を眺める、
といった傍観者にすぎず、

実質的な主人公、
つまり、
ストーリーの中心にいて成長変化するのは、
一話ごとに登場する客といえます。

また、
「相棒」など刑事ものにおける主役刑事も、
狂言回し型主人公であるケースが多いです。

「相棒」のケースでは、
前述した喪黒福造のケースとは異なり、
主人公の杉下右京が常にストーリーの中心に立ち、
事件を捜査して解決します。

傍観者ではないため、
一見すると、
よくある一般的な主人公と同じに見えますが、

一般的な主人公の場合、
ストーリー、
つまり、
事件発生から解決に至るまでの道のりにおいて、
主人公自身が強い動機と強い目的を有しており、
抜き差しならない状況に陥り、
解決の果てに成長や変化が訪れます。

そういったもの(以下、ストーリーと区別するため、便宜的にドラマと呼びます)、
を背負っているのに対して、

「相棒」の場合、
そうしたドラマを背負っているのは、
主人公自身ではなく、
その回にゲストとして登場する犯人や被害者のほうであり、

主人公の刑事たちは、
ストーリーに介入することによって、
ゲストのドラマに付き添う存在、
という色合いが濃く、

その意味で、
一般的な主人公とは異なります。
 
したがって、
一般的な主人公の例にコナンをあげましたが、
コナンの場合も、
回によってはコナンが狂言回しを演じることがあります。

(上記の回などは、
典型的な狂言回しといえます。)

つまり、
狂言回しとは、

見た目上の主人公であり、
ストーリーの中心に立つこともあるが、
その実、ストーリー内で発生するドラマには深く関知せず、
かつ、変化成長することもなく、
ストーリーを進行させる役、

と定義できるでしょう。

※補足として、
ストーリーには主人公以外の狂言回しも存在しますが、
(有名な例に、「スターウォーズ」のR2-D2とC-3POがいる)
本題から逸れるためここでは触れません。


話を「サンドランド」に戻しますと、
この作品の主人公ベルゼブブは、
前述した、
相棒の杉下右京、
(あるいは、黄門様でもアンパンマンでもいい)
と同じタイプの主人公です。

「サンドランド」のストーリーは、

水が枯渇した世界で、
悪魔のベルゼブブと人間のラオがタッグを組んで、
幻の湖を探しにいく、

というものですが、

その過程において描かれるのは、
ラオの過去や、
ラオとゼウ(ラスボス)の宿命、
あるいは、
人間の業の深さや愚かさ、
など、 
ひたすら人間側のドラマであり、

一方のベルゼブブは、
人間同士の争いを、
ストーリーの中心に立ちながらも、
一歩引いた視点から見ている、
という立場であり、

このストーリーにおける、
実質の主人公はラオです。

https://sandland.jp/

終始、人間側のドラマが描かれるので、
ベルゼブブの手によって、
幻の泉を探し出したからといって、
あるいは、
ラスボスを倒したからといって、
あるいは、
世界を救ったからといって、
ベルゼブブ自身、
何か変化成長をするわけでもありません。

あくまでラオの付き添いであり、
ストーリーが織りなす人間側のドラマを、
間近で見届ける存在、
といった役割にすぎないのです。


「サンドランド」には、
魅力的なキャラクターがたくさん出てきますが、
唯一魅力に欠いていたキャラが、
主人公のベルゼブブだったと思います。

原因としましては、
キャラの見た目や、
キャラクター性もありますが、
ここまで書いてきたように、

主人公が狂言回しであり、
それゆえドラマを背負っていない

という点が大きいと考えます。

あくまで一個人の考えと前置きした上で、  
映画のストーリーというは、

特別な出来事または体験を通して、
主人公の人生(人生観)が一変する

を描くものだと思うので、
主人公が変化することがない、
というのは、
映画の主人公として、
いかがなものでしょうか。

一話完結型アニメの特別編というのならまったく問題なく楽しめますが、
一本の映画として差し出されるとなると、
どうしても違和感を覚えます。

ただし、
作り手が主人公のドラマを描こうとした形跡は、
一応見受けられます。

以下は、
本作の予告編に出ていたテロップです。

本当の「悪」はーー
悪魔か
人間か

文字通り、
本当の「悪」を暴くストーリーであれば、
ベルゼブブ(悪魔)対ゼウ(人間)の構図となり、
主人公のドラマになりえます。

しかし、
この予告はある種詐欺であり、
ラオ(人間)対ゼウ(人間)の構図があって、
その争いに特に意味もなくベルゼブブ(悪魔)が参加している、
というのが実情です。

また、
作中の折々で、
人間による魔物への偏見が描かれていますが、
この偏見を軸にしてストーリーを描けば、
たとえば、
旅の中でベルゼブブとラオがいがみ合うなどすれば、
これも主人公にとって一つのドラマになりえます。

しかし、
本作の魔物は偏見を抱く人間に対してどこか冷めた態度を取っており、
主人公と人間のあいだに偏見をめぐる衝突が発生していないので、
そこにドラマを見出すことはできません。


本作の面白さは、
主人公の脇を固めるキャラクターの魅力で成り立っている部分が少なからずあります。

たとえば、
僕のお気に入りは、
主人公の付き人であるシーフ。

コメディ担当のキャラクターであり、
旅の道中で繰り広げられるベルゼブブやラオとのかけあいがおもしろく、

主人公側にドラマがないにもかかわらず、
見るに耐えうるストーリーに仕上がっているのは、
シーフのキャラによるものが大きいと思います。

その一方で、
シーフのキャラやかけあいが、
主人公のドラマの欠如をごまかすための、
恰好の目くらましになっている、
という見方もまたできます。

もしシーフが存在せず、
ベルゼブブとラオの二人旅だったらどんなストーリーになるか?
を想像すると、
正直、
あまりいいビジョンが見えてきません。

記事の結論になりますが、
やはり主人公にドラマを背負わせ、
ベルゼブブ(悪魔)、
ラオ(正義)、
ゼウ(悪人)、
この三者を絡ませて描いてほしかった、
というのが正直なところです。

たとえば、
映画「グリーンブック」は、
差別と偏見蔓延る時代の中を、
異なる人種の二人が旅する話ですが、

それと同じように、
悪魔への差別蔓延る中で、
悪魔と人間という異なる種族が、
呉越同舟で旅をすれば、
ベルゼブブとラオの関係にドラマが生まれるはずです。

しかしそうすると、
本作で描かれている、
私利私欲で水を独占する悪を打ち倒す、
というラオとゼウのドラマが疎かになる可能性がありますし、

どちらも追求すれば、
ストーリーがぐちゃぐちゃになる可能性も出てきます。

究極的には、
本作のストーリーを保ったまま、
それでいて、
ゼウを倒すことによって、 
ベルゼブブが変化成長する、
そんなクライマックスが理想ですが、

そういったものを作るには、 
持ちうるすべての能力と情熱を費やし、
かつ、ひらめきが降ってくるのを待たなければならず、
運も必要になるのでしょう。

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