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母ちゃんは転売ヤー③

②  https://note.com/furaidopoteto/n/n36db22f8c366

闇の中の文房具店

孝志は周囲を見渡した。
通りを一歩脇道へゆけばそこは転売ヤーが潜むと噂される路地裏だ。

孝志は足をとめて路地裏へと続くトンネルののような細い道を眺めた。
(羽生のためだ)と孝志は思った。
恩人である羽生がマスク不足で困っている。これまでに彼から受け取ったマスクを返さなくてはいけない。
市販のマスクが買い占められている以上闇マスクに手を出すほか選択肢は残っていなかった。
とはいえ孝志は頑固者だ。
転売ヤーという人種がいけ好かない。
自分が汗水流して働いて稼いだ金でなぜ奴らの懐を温めなければならないのか。
躊躇う理由は他にもある。
転売ヤーは今や路地裏で闇マスクを売りさばくギャング組織と化していた。連中がどんな人間なのか見当がつかず、少なからず恐怖もあった。

あくまで金のやりとりだけだ。
孝志は覚悟を決めた。
奴らは商売人でも何でもない。真っ当な店であればこちらも礼儀をみせるが、それは必要ない。
へらへらするのはやめよう。
彼はカバンから久しく吸っていなかった煙草を取り出すと口にくわえた。
と彼はひんやりとしたものを頭上に感じた。
見上げると、雪だ。
暖かい春の陽射しが目の前まで迫っているこの季節にまさか東京で雪が降るとは…
孝志は昨今の異常気象と現在のパンデミックを結びつけて考えるほど感情に流されやすい人間ではなかった。がそれでも少し心が揺ぐ。
買い占めはとまらない。ウィルスの脅威は一向に収まる気配がなく首都封鎖もありえるという。それによって買いだめ騒ぎが起こっている。夜行バスで東京を出る若者もいるという。
これからどうなるのか。
俺たちの行く道に何が待っているのか。
この雪がウィルスを洗い落としてくれるといいのだが…
そんなことをぼんやり考えながら、孝志は煙草に火をつけた。

孝志は人気のない路地裏をしばらくうろついていた。突然、
「あるよ」
どこからか声が聞こえた。
声のした方に視線を向けると、民家の塀の前でしゃがみこむ老人が姿が映った。
「…?」
孝志が老人の前を通り過ぎようとすると、
「あるよー」
唄うように、しかし確実に孝志へ向けていう。
転売ヤーだと彼は直感した。
が彼は戸惑った。老人は好好爺にしか見えなかった。
「マスクが欲しいのですが…」
「ボールペンあるよ」
「…ボールペン?」
「お兄さん、寄っていきな」
話が噛み合わない中、孝志は老人に案内されて一軒の店の前までやってきた。
看板には"イトウ文具店"とかかれていた。

路地裏の母ちゃん

「いらっしゃい」
店番と思しき老女が現れて孝志へにこにこと挨拶する。
彼は不思議そうな顔で店内を見渡した。何の変哲もない文房具屋だ。
「何をお探しで…」
「このお兄さんはボールペンだってさ」
と好好爺が口を挟む。
「いや。私はマスクが欲しいのですが…」
「ボールペンね。白色、黒色、赤、青。どれにしようか。白色はちょっと高いね。色付きは半値だよ」
「いや私は…」
「お兄さん、勤め人かい?」
とまた好好爺が口を出す。
「はァ…まあ」
「だったら白だな。会社いく人が黒はないわな」と歯の欠けた口を開けて笑う。
(なるほど)
孝志はボールペンという用語がマスクの隠語であることを察知した。
「何本買いますか?」
と老女が尋ねる。
「20本…いや10本」
「白を10本…2万円ね」
老女が事も無げにいい、手元にあった白色のボールペンを10本手に取ると包装紙で包み始める。
孝志は戸惑いつつも言われたとおりの額をカウンターに置いた。
老女は包んだボールペンを彼に手渡すと、
「…はい。2万円ちょうどのお預りで」
2枚の一万円札を丁寧に数え、それをハンドバッグにしまう。
「福引きは一回ね」
そういうと老女はカウンターの下から商店街の福引きで使うようなガラガラを取り出した。

「一等が出ればテレビゲームだよ」
老女がカウンターの棚を指差す。
その先にswitchがあった。『一等景品』と貼り紙がはられている。
孝志は訳がわからないといった様子でとりあえずガラガラのハンドルを回す。
白い玉が出た。
「残念賞。マスク10枚」
老女は10枚入りの市販マスク1袋を孝志へ渡した。
なるほど。
マスク転売は法律上で禁止されている。直接は売買できないから福引きの景品にすることで法の網をくぐり抜けているのだろう。
姑息な手を考えるものだ。
孝志は目の前にいる二人の老人をまじまじと見た。
それにしても彼らはどういう素性の人間なのだろう。まさか転売を取り仕切る元締めではあるまい。
カウンターを離れた老女は奥の部屋へ、
「伊東さん! 白が切れそうだよ!」
と奥にいる何者かとやりとりしている。
店の主人だろうか。
老人らを手足として使い、買い占めたマスクを法外な値段で売りつけ、困ったいる人たちの弱みにつけ込み金儲けをしている。
そういう存在を孝志は決して許せなかった。彼はむかむかと腹が立ってきた。
「ったく在庫くらいチェックしときな!」
部屋の奥から荒い言葉をまくし立てながら中年の女が出てくる。
孝志は息を呑んだ。
彼に気づいた中年女も固まったように動きをとめる。
「母ちゃん…」

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