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我は市川|脚本

※AIには書けないストーリーを書く、がコンセプトの自伝脚本となります
※縦書き版はこちらとなります↓


あらすじ

売れっ子脚本家の市川舟平(39)の人生は祝福と栄光そのものだった。

市川は家族に愛されて育ち、才能に恵まれ、健康に恵まれ、時代にも恵まれた。

市川にとって日本とは、市川の市川による市川のための国家だった。

そんな市川はある使命感を抱えていた。それは40歳までに自決し、死を以て自身の作品に命を吹き込むことだった。

しかしその試みが未遂に終わったことで、以来市川の精神は蝕まれ、鏡の中にもう一人の自分を見い出すようになる。

妄想に取り憑かれた市川は鏡の中の自分と口論となり、もう一人の自分を自らの手で断罪しようと企む。

こうしてもう一人の自分の半生が洗いざらい暴かれていくが、そこにあったのはひたすら惨めな半生だった。

人生に呪われ、暗闇の中をさ迷い、創作の世界に居場所を求めていたもう一人の自分。

本作「我は市川」はそんなもう一人の自分が書きあげた脚本であり、市川は虚構の存在だったのだ。

真実を知った市川は絶望の中で鏡と対峙し、そこに本当の自分の姿を見るのだった。


登場人物

市川舟平(0)(5)(9)(14)(23)(39) 脚本家

阿佐田(39) プロデューサー。市川の知人
森(26) ディレクター。阿佐田の部下
まゆみ(22) 新人AD。森の部下
北條(30) 脚本家。市川の知人
菊池(40) 刑事
小林絵理子(18)(23)(30)(39) 市川の妻
広瀬すず(25) 市川の愛人
トムクルーズ(61) プレゼンター

市川吉子(71)(93) 市川の祖母
市川誠一(42)(63)(72) 市川の父
市川知江(30)(39)(60)(69) 市川の母
医師


脚本

○稲城市立中学校・校庭(25年前)
  体育大会が行われている。
  校庭内に体育着姿の中学生たちと保護者の姿。
  校舎の垂れ幕に以下のスローガン。
  「市川の市川による市川のための市川」
アナウンス「三年男子100メートル走、最終レースです!」
  市川舟平(しゅうへい)(14)、他の生徒たちと共にスタート位置に立つ。
  市川のレーンのみ、レッドカーペットが敷かれている。
  市川、自信に満ちみちた顔。
  スタート位置で、教師、手で耳を塞ぎながらピストルを構えている。
  市川、スタートの体勢をとる。
教師「(叫ぶ)市川について、よーい!」
  空砲が鳴る。

  以下、カットバックで回想

○稲城市立病院・外(夜)
  空全体にどす黒い雲が立ちこめている。 
ナレーション「市川は生まれたときから市川だった」

○同・分娩室(夜)
  分娩台の上で市川の母知江(30)が苦しそうに顔を歪めている。
  看護師、「がんばって」「もう少し」などと知江を懸命に励ます。
  産婦人科医、知江の股から赤ん坊を取り出す。
  室内に市川(0)の泣き声が響く。
  看護師、市川を抱え、
看護師「(知江へ)元気な男の子ですよ!」
  知江、市川を見て微笑む。
  と室内が俄に明るくなる。
看護師「…?」
  看護師、窓の外を見る。
  空を覆っていた暗雲が裂け、合間から眩い星々が姿を現す。
  看護師、胸に抱いた市川を見つめ、
看護師「この子は神の子よ…」

○若草幼稚園・教室
  園児たち、クレヨンでお絵かきしている。
  どれも子供らしい絵。
  市川(5)、墨と筆で絵を書いている。
  園長、市川のもとにやってくる。
  園長、市川の絵を見下ろす。
  雪舟さながらの水墨画が描かれている。
園長「(感嘆し)舟平君。これは雪舟かね」
市川「いえ、イッシュー(市川舟平の略)です」

○空き地(夕)
  空全体に暗雲が立ちこめている。
  少年たち、野球をしている。
  市川(9)、バッドを構えている。
  ボール、飛んでくる。
  市川、フルスイング。
  ボールは空高く舞い上がり、暗雲を裂き、空が眩しい光に包まれる。
  少年たち、騒ぎ立て、
少年1「イッシューは神童だ!」
少年2「いや、神童がイッシューなんだ!」
少年3「いや、イッシューがイッシューだ!」

○イトーヨーカ堂・ポッポ店内
  我が物顔の市川(9)、肩で風を切ってやってくる。
  市川、立ち止まり、ショーケースに並んだ今川焼きを見つめる。
  市川、店員へ、
市川「市川焼きひとつくれ」
店員「今川焼きひとつで?」
市川「市川焼きひとつだ」
店員「今川焼きひとつで?」

○市川家・玄関
  市川、帰ってくる。
  市川、号泣しながら靴を脱いでいる。
  吉子(71)、居間からやってきて、
吉子「(驚く)あら。舟ちゃん。どうしたの?」
市川「(泣き叫ぶ)今川に! 今川に負けた!」

○同・和室(夜)
  市川、畳に寝ころんで、まだ泣いている。
  市川の父誠一(42)、やってくる。
誠一「お婆ちゃんから聞いたぞ」
市川「(泣きながら)今川に…今川に…」
誠一「(笑って)負けず嫌いは俺に似たな。舟平。存分に泣け。その悔しさが必ずお前を成長させる」

○芥川賞受賞式会場
ナレーション「市川は市川の上に市川を作らず、市川の下に市川を作らず」
  スーツ姿の市川(18)、壇上で自著を手にして立っている。
  自著のタイトルは「市川のすべて」。
  市川、大勢の記者に囲まれている。
記者「市川さん! 芥川賞最年少受賞おめでとうございます。今のお気持ちを聞かせてください」

○記者会見場
  市川(18)、高校の制服姿で座っている。
  市川、大勢の記者に囲まれている。
  カメラのフラッシュが焚かれている。
記者「市川さん! 読売ジャイアンツドラフト4位指名おめでとうございます!」
  市川、少年のような笑顔を見せる。
  会場の隅で、同じ高校の小林絵理子(18)がそんな市川をうっとりと見つめている。

○披露宴会場
  新郎新婦の席に市川(23)と絵理子(23)の姿。
  市川と絵理子、見つめ合って微笑む。

   ×    ×     ×

  薄暗い会場内。
  市川と絵理子の前にウエディングケーキ。
司会者の声「新郎新婦によるケーキ入刀です」
  市川と絵理子、ナイフでケーキを切る。
  ナイフが暗闇を裂き、ケーキから光が放たれる。

○雑誌の表紙
  市川の写真と共に、以下の文字が踊る。
  「抱かれたい男第市川 市川」

    ×    ×     ×

  市川の写真と共に、以下の文字。
  新ドラマ「金田市川少年の事件簿」脚本は芥川賞作家市川に決定。

    ×     ×    ×

  市川の写真と共に、以下の文字。
 「住みたい町ランキング第市川 千葉県市川市」

    ×    ×     ×

  市川の写真と共に、以下の文字。
  「映画「市川みたいな恋をした」がアカデミー賞脚本賞にノミネート。脚本は天才脚本家の市川」

○テレビ画面
  市川(39)のインタビュー映像が流れている。
市川「一川? いや、僕は四万十川だよ。なんちゃってね(とおどける)」

○イトーヨーカ堂・ポッポ店内
  店員、今川焼きを焼いている。
  ショーケースに並んだ今川焼き。
  商品名は「市川焼き」となっている。
  客たち、フードスペースで市川焼きを食べている。
  客、スマホ画面を見る。
  画面にはアカデミー賞の中継映像。

○アカデミー賞授賞式会場
  マイクの前にプレゼンターのトムクルーズ(61)が立っている。
トムクルーズ「(英語で)脚本賞を発表します」
  テーブル席に市川、妻絵理子(39)、母知江(69)と父誠一(71)、祖母吉子(93)の姿。
  五人、緊張した様子で見守っている。
トムクルーズ「(英語で)受賞者は…シュウヘイイチカワ!」
  市川、ガッツポーズをし、家族と抱き合って喜ぶ。
  市川、喝采の中、立ち上がる。
  市川、レッドカーペットの上を悠然と進んでいく。

  カットバック、おわり 
  
○アパートの部屋(現在)
  散らかりきった室内。
  床にストロングゼロの空き缶が転がっている。
  市川(39)、汚れた煎餅布団の上でにやついた寝顔を浮かべている。
  市川、目を覚ます。
  市川、寝ぼけ眼で立ち上がる。
  市川、台所へいき、シンク脇に置かれたカップ麺の残り汁をすする。
市川「(ぼそり)…夢か」
  と漏らす。
声「カット!」
  スタッフら、市川のもとへ集まってくる。
  この室内がテレビドラマの撮影現場であるとわかる。
  ディレクターの森(26)、手を揉み揉みしてやってくる。
森「いやあ、一発OKです! 市川さん、ホンが書ける上に演技もいけるんすね」
市川「まあな」
  プロデューサーの阿佐田(39)、一冊の本を持ってやってくる。
森「(気づいて)阿佐田さん! お疲れ様です!」
阿佐田「いーちゃん、どうだ調子は?」
市川「なんだ。阿佐田もいたのか」
阿佐田「演技、よかったよ」
市川「俺を誰だと思ってる?」
  今度は新人ADまゆみ(22)、紙袋をもってやってくる。 
まゆみ「(一同へ紙袋をかざし)広瀬すずさんから今川焼きの差し入れです!」
  その場の空気が凍りつく。
まゆみ「…?」
  森、泡を食ってまゆみに目で合図する。
まゆみ「(気づく)あ! 市川焼き! 市川焼きです!」
  市川、無言でまゆみを見る。
  阿佐田、手にしている本を市川に見せ、
阿佐田「(場を和ませるように)それより読んだよ。いーちゃんの自伝小説。「市川の栄光の半生」。いやあ。最高だった」
森「あ。僕も読みました。市川さんの人生ってほんと漫画みたいっすね」
阿佐田「冒頭の幼少時代のエピソードとかな。ホームラン打ったら雲が割れちゃうんだもん」
市川「(涼しく笑う)全部俺の妄想で、目が覚めるところから物語が始まると思ったろう?」
森「はい。フツーなら夢オチの展開かと思いますもん」
市川「俺の場合は違う」
森「さすが市川さん」
市川「あんな感じで最後まで続くからな」
森「え」
市川「今後も俺の人生が」
森「あー! フルスロットルでいっちゃってください!」
  市川、差し入れの今川焼きを手にする。
  市川、ちらとまゆみを見て、
市川「(森の耳もとで)クビにしろ」

○市川邸・外観(数日後)
  渋谷区松濤に構えられた豪邸。

○同・リビング
  市川、ガウンを纏い、ソファーでスマホを見ている。
  スマホ画面に以下のニュース。
  「令和の奇跡。テレビ界衰退はどこ吹く風。市川主演脚本ドラマの視聴率、脅威の40パーセント超え」
  市川、満更でもない顔。
  和服姿の絵理子(39)、やってくる。
絵理子「あなた…」
  市川、顔を上げる。
  絵理子、不安げな顔をしている。
市川「どうした?」
絵理子「警察の方がお見えに」
市川「…?」

○同・玄関の外
  菊池(40)、立っている。
  玄関のドアが開く。
  市川、姿を見せる。
  菊池、市川に軽く会釈し、
菊池「夜分にすみません。こういうもんです」
  と警察手帳を見せる。
市川「(警戒し)いったい何の用です?」
菊池「まあそう身構えないでください。実はあなたへの脅迫めいた書き込みをネット上で見つけまして」
市川「脅迫?」
菊池「いえ、脅迫といっても、あなたのような有名人に対する誹謗中傷というか、要はそういった内容の書き込みなのですが」
市川「(拍子抜けし)そんなことならネットに限らずとも、どこで私の電話番号を知ったのか、わざわざ電話をかけてきて私を罵る輩もいる」
菊池「なるほど。有名人というのも大変ですな」
市川「そうした輩に対しては相手にしないことにしているつもりだが」
菊池「それがですね。少し事情が込み入ってまして、事の発端は一枚の捜索願いでして」
市川「…?」
菊池「ある老齢の女性から失踪した息子を捜してほしいと捜索願が出たのです。その息子はあなたと同い年で、姓名もあなたと同じ。不思議なことに顔まであなたにそっくりなのです」
  菊池、懐から一枚の写真を取り出す。
  菊池、市川に写真を見せる。
  卒業アルバムの写真を印刷したものであり、一人の学生が写っている。
市川「(見て)確かに俺と瓜二つだ。しかし、なぜこんな昔の写真を?」
菊池「ええ。これしかなかったもんで」
市川「(蔑むように)なるほど」
菊池「この男への調べを続けてみたところ、男のものだと思われるSNSのアカウントを見つけました」
市川「…」
菊池「脅迫と先ほど申しましたが、男のSNSにはあなたへの憎しみに満ちた言葉がずらりと並んでいるのです」
市川「…」
菊池「そんなわけでして男に関して何か知っていないかと思い、お邪魔させていただいたわけです」
  
○同・居間
  市川、戻ってくる。
  絵理子、不安げに見て、
絵理子「あなた」
市川「何でもない」
  市川、ソファーに腰を下ろす。
市川「家出人探しだそうだ。その人物に心当たりはないかと聞かれたが、私とは一切関係のない件だった」
  市川、スマホを操作する。
  市川、Twitterを開く。
市川「しかし警察も大変だ。行方不明のその男というのはだね、働かずに実家で親のすねをかじり、挙げ句借金を作って逃げ出した、いわば人間のクズだよ。仕事とはいえ、そんな奴を探さねばならんのだから」
  市川、あるアカウントを見る。
  以下のようなツイートで溢れている。
  「市川は運だけの人生」
  「市川はコネまみれのクソで、社会の害悪」
  「自己責任論を垂れ流す市川が許せない」
  市川、ため息をつき、
市川「…絵理子。世の中には二種類の人間がいる」
絵理子「あなたか、あなた以外か? でしょ?」
市川「努力するものと、それを放棄するもの」
  市川、ツイートを冷たく見下ろし、
市川「この男は負けるべくして負けた」
  と、スマホにLINEの通知。
  送信者名は「広瀬すず」。
  「会える?」のメッセージ。
  市川、立ち上がる。
市川「ホンの打ち合わせだ。出かける」

○ホテル・外
  帽子を目深にかぶり、マスクをした二人組が寄り添って歩いている。
  二人、ホテルへ入っていく。

○同・中
  間接照明が灯った薄暗い室内。
  市川と広瀬すず(25)、ブランデーを飲んでいる。
すず「市川さん。会いたかった」
市川「昨日撮影現場で会ったばかりだろう」
すず「でも、人前じゃこんなことできない」
  すず、甘えるように市川に体を寄せる。
市川「すず。子猫のようだ」
  二人、キスする。
  すず、うっとりした顔を浮かべる。
  市川、真剣な顔になって、
市川「それで、例の話は考えてくれたか?」
すず「…」
市川「俺は今年で40になる。これ以上は待てない」
  すず、俄に表情が曇る。
市川「芥川龍之介は35。尾崎豊が26と思えば、遅すぎるくらいだ」
すず「でも市川さん…」
市川「(遮って)すず。作品は作家の死によって完成する。俺が30代で死を遂げるのは定めであり、使命なんだ」
すず「…」
市川「俺に必要なのは非業の死だ。愛する君との非業の死こそが、作品に永遠の命をもたらす唯一の選択なのだ」
  市川、すずの手を握りしめる。
市川「どうか頷いておくれ。お前に金やマンションを与える男は山ほどいる。幸せにしてやれる男もいるだろう。しかし伝説を与えられるのは俺しかいない」
すず「市川さん…」
市川「すず。俺と伝説にならないか?」

○並木道(数日後)
  市川とすず、向き合っている。
  その周りをディレクターの森や撮影カメラマンが囲んでいる。
すず「さよなら。タクヤ」
  すず、踵を返す。
市川「ちょっ、待てよ!」
  すず、振り返らない。
  すず、凛とした顔つきで歩き続ける。
声「カット!」
  森、カメラの前に出てくる。
森「(一同へ)全シーン撮影終了です! お疲れさまでした!」
  拍手が起こる。
  スタッフ、市川とすずに花束を渡す。
  市川とすず、見つめ合う。
  すず、覚悟を決めたように力強く頷く。
  市川、優しく頷き返す。

○テレビ局・廊下
  市川と阿佐田、歩いている。
  北條(30)、二人の前方で待っている。
  市川、北條に気づき、立ち止まる。
市川「北條じゃないか」
  北條、一礼し、
北條「クランクアップおめでとうございます」
市川「うむ。君のほうこそ向田邦子賞を取ったそうじゃないか。おめでとう」
阿佐田「(北條へ)上の人間たちから最近君の評判を聞かない日はないよ」
  北條、恐縮する。
北條「賞を取れたのは先輩が私を見いだしてくれたからに他なりません」
  北條、万年筆の入った箱を差し出す。
北條「あなたへの感謝の印です」
  市川、受け取り、
市川「(笑う)これを渡すためにわざわざ待っていたのか。相変わらず律儀な男だな。うむ。万年筆か。大切に使わせてもらうよ」
北條「では私はこれで」
  市川、去ろうとする北條へ、
市川「北條。実のところ、感謝しているのは私のほうだ。才能ある君のような好敵手がいなければ張り合いがない」
  北條、涼しく笑い、颯爽と去る。
  市川と阿佐田、北條を見送る。
市川「(ぽつりと)3月29日」
阿佐田「…?」
市川「すずと話し合って決めた。1ヶ月後。ちょうどドラマ最終回の日だ」
  阿佐田、俄に表情が変わる。
市川「ドラマ直前にニュース速報。視聴率、どれくらいになるかな(と笑う)」
  市川、歩き出す。
  阿佐田、無言で後に続く。
  二人、エレベーターの前で立ち止まる。
市川「とめないのか?」
阿佐田「…長い付き合いだ。とめてもむだだってことくらいわかってる」
市川「違いない」
阿佐田「いーちゃん。送別会をさせてくれ」
市川「構わないが、君以外には計画を漏らしたくない」
阿佐田「森を呼ぼう。あいつは信用できる」
市川「うむ。それなら北條も呼ぶか」
  阿佐田、身震いする。
阿佐田「…そうか。神の子いーちゃんが、神様のもとに帰る日がきたのか」

○街中(一ヶ月後・夕)
  どんよりと曇っている。
  ビルの巨大モニターに市川とすずの姿。
  以下の文字が表示される。
  「明日、市川脚本のドラマがいよいよ最終回」

○居酒屋・個室
  市川、阿佐田、森、北條の四人、座っている。
  森、ビール片手に号泣している。
森「市川さん! 俺もお供させてください!」
  阿佐田、しんみりとビールを飲んでいる。
森「阿佐田さん! 悲しくないんですか!」
阿佐田「バカ野郎。いーちゃんとは「金田市川少年の事件簿」以来、ずっと一緒にやってきた仲だ。悲しくないわけないだろう」
  と男泣きする。
  市川、北條のグラスに酒を注ぎ、
市川「北條。驚かせて悪かった。そういうわけだから、今日は私のために飲んでほしい」
北條「…」
市川「自決が作品に命を与える。映像畑にはその自覚が足りてない。スタンリーキューブリックは自決で終わるべきだった」
  北條、酒の注がれたグラスを手で押しやる。
北條「…あなたほどの人間がそんな妄言を口にするとはよもや思わなかった」
  市川、思わず北條を見て、
市川「妄言?」
  俄に場が凍りつく。
  森と阿佐田、不安そうに様子を見つめる。
北條「ええ。妄言です。それならあなたは黒澤明や小津安二郎の作品には命が宿っていないというのか」
市川「むろんだ。今まさに君が名前を出した二人の晩年を見たまえ。黒澤は駄作を、小津は焼き直しを量産した。その晩年の人生が、彼らの全盛期の優れたる作品群から命を奪い取ったのだ」
北條「(敢然と)作品は作家の全生命が凝縮されたものだから偉大なのであって、作家の最期などは問題ではありません」
市川「北條。君は映画一辺倒で文学を知らないのだ。芥川の苦悩がわからないのだ。だから作品と人生を切り離したがる」
北條「死で価値が変わるような、そんな薄っぺらいものが文学ならば私は知りたいとも思わない」
  市川、ぎろりと北條を睨む。
森「(動揺し)まあまあ。少し落ち着いて」
阿佐田「北條君、君は大人げないぞ」
  市川、酒をあおり、
市川「…てっきり私のために涙を流し、酒を飲んでくれると思っていたが、とんだ見込み違いだったよ」
北條「そんな言い方はやめていただきたい。私はあなたを尊敬している。しかしそれとあなたの考えに反対することは別だ。それがわからないあなたではないでしょう」
阿佐田「(諫める)北條君」
市川「よろしい。遺書には君には今後一切仕事を与えないよう書き残しておこう。ついでに君は真面目だけが取り柄の、何の才もない、三流脚本家だったと、私からの評論も付け加えておく」
  市川、座ったままの北條を睨みつけ、
市川「何をしている。今すぐ帰りたまえ」
  北條、立ち上がり、
北條「…我々脚本家は時として身の丈を忘れることがある」
市川「…?」
北條「それは物語を創造する全知全能の神になれるからだ。先輩。あなたの企みは人間の驕りであり、この世界の創造主に対する冒涜に他ならない!」
市川「帰れといっている!」
  北條、かっとなって出ていく。
  森と阿佐田、沈黙している。
市川「…取り乱してすまなかった」
  市川、優しく二人の顔を見回す。
市川「君たちは私のために涙を流してくれた。私は君らのためにあの世で恵みの雨を降らすと約束しよう」
森「(涙ぐむ)市川さん…」
市川「(明るく)さ。飲んでくれ。今宵は大いに楽しもうじゃないか」

○市川邸の外(夜)
  雨が降っている。
  一台の高級車が門の前にとまる。
  車から市川が降りてくる。
  ずぶ濡れのまゆみが門の前で土下座をしている。
市川「(気づいて)…君は」
まゆみ「市川様への非礼をお詫びしたくて」
  市川、優しい笑みを浮かべ、
市川「…ずぶ濡れじゃないか。立つんだ」
まゆみ「いいえ。市川様にお許しいただけるまでこうしております」
  森と阿佐田、車から降りてくる。
森「何してるんだ! 市川さんはな! 市川さんは!」
  市川、森を制して、
市川「立ちなさい。あのときは意地悪をして悪かったな」
  まゆみ、土下座したまま動かない。
市川「(森へ)私から君に最後の頼みだ。この子を大切に育ててほしい」
森「…はい(と涙ぐむ)」
市川「それじゃ、私はこれで」
  市川、門へと歩き出す。
阿佐田の声「敬礼!」
  市川、振り返る。
  三人、どしゃ降りの中で敬礼している。
阿佐田「市川様、ご武運を!」

○市川家・書斎(深夜)
  市川、机で遺書を書いている。
  市川の声「愛する絵理子へ」

○同・居間
  和服姿の絵理子、編み物をしている。
市川の声「数々の女優と浮き名を流してきた私だが、どれも遊びにすぎなかった。一緒に死ぬ女も同じだ。君だけが我が心の光。心では君と死ぬつもりでいる。詩人アルチュールランボーは海と太陽のつがいを永遠と呼んだ。私の永遠は君そのもの。私が海で、君が太陽。どうかお元気で」

○市川の実家・居間
  誠一と知江、テレビを見ている。
市川の声「父と母へ。明日、私は神のもとに帰ります。悲しまないでください。笑ってください。死は幸福そのものです。私は死によって永遠の命を手に入れるのです」
 
○同・吉子の寝室
  吉子、ベッドで眠っている。
市川の声「大好きなお婆ちゃん、今までお世話になりました。どうか泣かないで。孫の選んだ道を信じてください。いつかあなたがその生を終えたとき、あなたがそうしてくれたように、私も愛情と真心をもってあなたをお出迎えします」

○書斎
  市川、筆をおく。
  市川、立ち上がる。
  市川、遺書を金庫にしまう。

○車内(翌日)
  市川、運転している。
  助手席にすず。

○人気のない湖畔
  市川の車、やってくる。
  車、停まる。

○市川邸・居間(夜)
  テレビがついている。
  警報音とともに以下のテロップ。
  「ニュース速報」
  「脚本家の市川舟平(39)と女優の広瀬すず(25)が心中自殺」

○ネットニュース記事(翌日)
  以下の文字が飛び交う。
  「売れっ子脚本家市川舟平とトップ女優広瀬すず、相模湖で心中を図る」
  「車内には練炭。女優のみ死亡」
  「市川は意識不明の重体」
  「ドラマ最終回の視聴率は70%」

○居酒屋・店内(二週間後)
  阿佐田、森、まゆみ、テーブル席で飲んでいる。
森「報道デスクの人間から聞いた話では、意識は取り戻しましたが、気が狂ったともっぱらの噂です」
  阿佐田、しんみりと酒を飲み、
阿佐田「…完璧な人生を歩んできたいーちゃんが、最後の最後でヘマをしちまうとはな」
  三人、うつむく。

○大学病院・病室
  市川、ベッドに座っている。
  絵理子、市川の爪を切ってやっている。
  市川、置かれていた手鏡をのぞき込む。
市川「なぜだ? なぜお前は生きている?」
  絵理子、鏡へ語りかける市川へ、
絵理子「あなた、しっかりして」
  市川、絵理子の体をはね飛ばす。
  市川、鏡を睨みつけ、
市川「お前は死んだはずだ。お前は誰だ?」

○同・診断室(数日後)
  絵理子、市川の母知江、父誠一の三人、医師から話を聞いている。
医師「体のほうの回復は順調です。早晩退院も可能でしょう。しかし彼は妄想に取り付かれています。奥さんが以前彼から聞いたという彼に瓜二つの家出人と、鏡に映った自分の姿を重ね合わせてしまっている」

○市川邸・玄関(一週間後)
  市川、大きなカバンを抱えた知江と誠一に連れ添われて歩いている。
市川「絵理子がいない」
知江「(寂しく)少し体調を崩して実家へ戻ったの」
誠一「舟平。お前が元気になるまで、しばらくは俺たちもここに暮らすことにした」

○同・居間
  室内にある鏡が布で覆われている。

○同・書斎(夜)
  市川、机に座っている。
  市川、ふと窓を見る。
  暗闇に覆われた窓に市川の顔が映し出されている。
市川「…なぜお前がここにいるんだ」
  市川、立ち上がり、窓の前に立つ。
市川「(かっとなり)お前はホモで、マザコンで、童貞で、無職で、アル中で、SNSに誹謗中傷を書き込むしか能のないクズだ!」

○同・廊下
  知江と誠一、書斎の前に立っている。
  室内から市川の怒号。
市川の声「市川! なぜ黙ってる!」
  知江、誠一にすがりつくように泣き崩れる。

○同・書斎(翌日)  
  机の上に手鏡が置かれている。
  市川、椅子に座り、鏡に映る自分を手持ち無沙汰に眺めている。
  市川、おもむろに立ち上がる。
市川「…よろしい」 
  市川、スマホを取り出して鏡へ見せる。
  画面には以下のツイートが並んでいる。
  「市川は恵まれてるから成功しただけ」
  「市川は強者の論理を振りかざすクズ」
市川「(鏡へ)市川。私への誹謗中傷で今すぐお前を警察に突き出すことも可能だが、一つ余興をするとしよう」

○テレビ局・スタジオ(翌日)
  森とスタッフ、機材の片付けをしている。
  阿佐田、やってくる。
森「お疲れ様です」
阿佐田「ちょっといいか」

○同・食堂
  阿佐田、森、まゆみ、食べている。
森「弾劾裁判?」
阿佐田「いーちゃんに頼まれてな。市川の過去を調べてくれと」
森「市川さんの過去を?」
阿佐田「(頭をかき)つまり、いーちゃんが妄想で鏡の自分と重ねちまってる行方不明の男、その男のことだ」
森「でも、調べてどうするんですか?」
阿佐田「その男の人生を暴き出して、自らの手で裁いてやろうって腹積もりらしい。正気じゃないんだよ。いーちゃんは」
  三人、寂しげにうつむく。
まゆみ「…あれから市川さん、奥さんにも出ていかれたんですよね」
森「局員たちも一斉に手のひら返しで、今では誰も市川さんのことは口にしませんし」
阿佐田「…いーちゃんは負けたんだよ。負けた奴からはみんな去っちまうんだ」
森、まゆみ「…」
  阿佐田、二人を見て、
阿佐田「いーちゃんへの置き土産だ。アイツの気が済むよう、その男の過去を徹底的に調べてやってくれ」

○市川邸・大広間(二週間後)
  テロップで「二週間後」。
  広い室内の中央に大きな鏡。
  市川、椅子に座り、鏡と対峙している。
  室内には他に、まゆみ、森、知江、誠一、医師の5人。
市川「(森へ)はじめてくれ」
  森、頷き、まゆみを促す。
まゆみ「これから読み上げる報告書は、市川が実家に残した日記及びSNSの投稿、そして市川の母親への取材記録に基づいたものになります」
  まゆみ、持っていた資料をめくり、
まゆみ「(読む)市川舟平、以下市川は1984年11月18日、東京都稲城市の病院にて三人兄弟の長男として生まれました。3300グラムある元気な赤ん坊でしたが、1歳の時にアトピーと卵アレルギーを発症します。このことが市川の人生に暗い影を落とし、10代の終わりに書かれた市川の日記には「俺を苦しめる手枷と足枷」と綴られています」
  市川、じっと耳を傾けている。

○コンビニの前(回想)
  クレープ屋の移動販売車が停まっている。
  市川(9)、友人らとクレープを買っている。
  市川、不安げな顔でクレープを受け取る。
まゆみの声「市川にとって卵アレルギーは内面のコンプレックスであり」
  友人ら、クレープを食べ始める。
  市川、クレープを一口食べる。
  市川、クレープを口に含んだまま友人らのほうへ目線を走らせると、気づかれぬよう物陰へいく。
  市川、口からクレープを吐き出す。
  市川、まごつきながら残りのクレープも捨てる。
まゆみの声「市川はアレルギーを恥ずかしいものと思い、学校の行事でケーキなどの卵料理が出される日は理由をつけて休んでいたといいます」

○(戻って)大広間
まゆみ「市川はアトピーにより生じた膝の裏の黒ずみにもコンプレックスを抱き、肌を露出することを極度に嫌いました。市川が手枷と足枷と呼ぶ内面と外見、この二つのコンプレックスが引っ込み思案な性格の市川をさらに殻の中へと向かわせました」
  市川、怪訝そうに首を傾げ、
市川「治療はどうしたのだ? 不治の病でもあるまい」
まゆみ「この後に述べますが、市川は病気を放置されて育っています。そのため長年の間本人は治療不可能だと思い込んでいたようです」
市川「(押し黙り)…続けろ」
  森、資料を手に一歩前に出る。
森「(読む)次に市川の家庭環境に関してですが、市川は小学3年生の時、父親と祖母を立て続けに失っています」

○市川家・門の前(回想)
  ランドセルを背負った市川、帰ってくる。
  玄関のドアが開け放たれている。
市川「…?」
  誠一(42)、玄関の床に仰向けに寝そべり、額に大きな瘤を作って喘いでいる。
  市川、ぎょっとする。
  知江(39)、慌てた様子で部屋を行き来している。
  救急車のサイレンの音が近づく。
森の声「調理師だった市川の父親は仕事で悩んでおり、酒に酔って灰皿に頭を打ち付け、数日後に病院で亡くなります」 
  市川、居間でランドセルを下ろし、テレビをつける。
  市川、うわのそらでテレビを眺める。

○同・和室
  喪服の市川、知江、吉子(71)と、その他親戚などの姿がある。
  室内に棺。
  棺の開いた扉の中に菊に囲まれた誠一の死に顔。
森の声「市川は父親を愛していました。父親と出かけた西武球場。父親から教わったポーカーゲーム。父親との思い出が市川の中に甘美なものとして残り続けます」

○(戻って)大広間
森「長男坊だった市川は祖母に可愛がられて育ちましたが、その祖母も父親の死から半年後に肺癌によって他界します」
まゆみ「度重なる不幸に見舞われた市川は、以降強迫観念に悩まされることになります」
市川「強迫観念?」
まゆみ「市川は何かの本で、鏡が割れるのは不吉な前兆ではなく鏡が自分の身代わりになってくれた幸運の印、という話を読み、何か悪いことが起きるのではと不安感に駆られる都度、鏡を割るという奇妙な習慣を身につけます」

○市川家・市川の部屋(回想)
  市川(9)、手鏡を手にして立っている。
  市川、鏡から手を離す。
  鏡、床に落ちて粉々に割れる。
  市川、割れた破片をじっと見つめる。

○(戻って)大広間
まゆみ「父と祖母の死後、頼れるのは母親のみになりますが、市川の日記には、当時の母親は情緒不安定で、自分の心を弄ぶかのように、癌になったと死をほのめかしたり、お前はマザコンだと罵倒するなど、そうした仕打ちへの恨み節が滔々と書き綴られています」
森「この母親に関して、市川は一筋縄ではいかない複雑な感情を抱いており、愛憎のゆらめきの中で常に葛藤と戦っていました。感情を抑えてきた市川でしたが、10代半ばにふとしたきっかけで卵アレルギーは治療が可能と知ったとき、もし母親が放置せず病院に連れていってくれたなら、数々の惨めな思いをせずに済んだのでは、と母親への憎しみを爆発させます」
まゆみ「この件を母親に聞いたところ、母親は病院に連れていこうとしたものの父親がそれを拒否したと答えています。母親は市川にもその事実を伝えたが、市川は信じなかったといいます。愛する父親によるネグレクトという事実を市川は受け入れられなかったのです」
森「劣等感と強迫観念にまみれた10代を過ごした市川は、高校卒業後、力尽きたように家にこもり、ここから数年間にわたる長い引きこもり生活がはじまります」

○市川家・市川の部屋(回想)
  カーテンの閉め切られた薄暗い室内。
  市川、文庫本を読んでいる。
森の声「薄暗がりの部屋の中で市川にとって小説が救いとなりました。文学小説を読み漁り、無頼派作家色川武大と夭折の天才北條民雄に傾倒します」
  市川、ノートにペンを走らせている。
森の声「同時に市川は過去の出来事などを記録した日記をつけはじめます。その中で市川は、自分は多くの労力を余計なことに費やしてきた、学校では逃げ場を探すために必死になり、家では母親の顔色を伺い、意味のない強迫行為にとりつかれ、いたずらに精神を消耗させた。人間には努力できる人間とそうでない人間の二種類いて、どちらに所属できるか、それは運で決まる、と書き綴っています」

○(戻って)大広間
  市川、鼻で笑う。
  一同、困惑する。
市川「実に不快だ。いや、不快を通り越して犯罪だよ」
  市川、立ち上がる。
市川「なるほど。話を聞いた限り、少しばかりの不運や不幸はあったかもしれない。身近な人間の死はさぞかし辛いだろう。しかしそれをいつまで嘆いているのだ。不幸だからといって社会に甘えていいわけではない。世の中にはお前よりも不幸な境遇で育ち、社会の中で必死に努力している人間は山ほどいる。市川、お前はただ努力をしない言い訳を作っているだけなのだ。病気の治療が可能であると気づいたのなら、なぜ前を向かないのだ。母親のせいだと? 論外だよ。片親で三人の子供を育てる母親の重圧を考えろ。長男なら母親を支えるのが当然であるところを、引きこもりだと?」
  市川、鏡の前に立つ。
  市川、自分の姿を睨みつけ、
市川「市川。甘えるのもいい加減にしたまえ。お前の歪んだロジックは人に責任をなすりつけるための詭弁であり、惨めな人生も、現状の有り様も、その一切が努力不足からくる自己責任にほかならないのだ!(と鏡を殴る)」
  鏡がひび割れる。
  市川、こめかみを押さえて顔を歪める。
  医師、市川の様子を見て、
医師「少し休みましょう」

○同・廊下
  森とまゆみ、窓を見つめて立っている。
  空に黒い雲が立ちこめている。
まゆみ「…悲惨な人生ですよね」
  森、資料に貼られた市川の顔写真を見て、
森「近影が高校の卒業アルバム。それがこの男の人生を物語ってるよ」

○同・居間
  一同、集まっている。
  市川、ひび割れた鏡の前に座っている。
森「(資料を読む)引きこもりから脱した20代前半、市川は宅配業者の倉庫で仕分けのアルバイトを始めますが、そこで最初で最後の恋をします。名を絵理子といいます」
市川「(反応し)絵理子だと?」
森「この絵理子という存在ですが、市川の日記には登場するものの、実在する人物なのか我々の調べでは確認することはできませんでした」

○駅のホーム(回想)
  市川(23)と小林絵理子(23)、電車を待っている。
絵理子「いーちゃんって音楽とか聞く?」
市川「あ、はい」
絵理子「(笑う)なんで敬語?」
市川「あ、うん」
絵理子「好きな歌手とかいる?」
市川「…ZARDとか小松未歩とか」
絵理子「ふーん」
市川「あ、好きな歌手いるの?」
絵理子「清春!」
市川「(思わず)清春って黒夢の?」
絵理子「よく知ってるね」
市川「黒夢好きだったから」
  お互い、不思議そうに見つめる。
森の声「きっかけはバイト帰りの何気ない会話でした。二人が好きだった歌手の清春が共通点となり、仲が深まっていきます」

○インターネットカフェ・中
  テレビが置かれた個室。
  絵理子と市川、ソファーにもたれて映画「2001年宇宙の旅」を観ている。
絵理子「1コマ1コマが絵画みたい」
  市川、ぎこちなく頷く。
  絵理子、リモコンで一時停止し、
絵理子「(映像美を指さして)いーちゃん。すごくない?」
森の声「絵理子は市川をいーちゃんと呼び、内気な市川を弟のように可愛がりました」

○ライブハウス・中
  人で溢れかえった客席。
  市川と絵理子、ビール片手に立っている。
  遠くから、清春ー、と叫ぶ客の声。
絵理子「(叫ぶ)清春ー!」
  絵理子、市川へ、
絵理子「いーちゃんも叫べば」
市川「…きよはる」
絵理子「ちっさ(と笑う)」
まゆみの声「市川にとって初めてのライブ。初めてのビール。絵理子とのライブは市川にとって永遠に輝く思い出となります」

○(戻って)大広間
森「絵理子との交流を綴った日記は約2ヶ月続きますが、突如として途絶えます」
まゆみ「最後の日記には「呪われた肉体では可能なことが不可能となる」とあります。絵理子との間に何があったのか、我々は知る由もありませんが、これ以降、市川の日記から絵理子の存在が消えます」
森「それから少しのち、市川は母親と決別し、一人暮らしをしており、その頃の日記には外見のコンプレックスの悩みと、アパートとバイト先を行き来するだけの孤独で空虚な日々の様子が記録されています」
まゆみ「30歳になった市川は、たとえどんな結末を迎えようと自分が生きた証を残さなくてはならない、と考えるようになり、突如、脚本教室に通い始めます」
市川「待て。市川が脚本を?」
森「この頃の日記が存在しないため、以下、市川が市川家の乱名義で書いていたnoteの記事を参照しての報告となりますが、30の年に市川は母親と和解して実家へ戻っており、親のすねをかじって脚本教室に通っていたものと思われます」
市川「…続けろ」
まゆみ「脚本教室に通った市川でしたが、脚本を書ききれず、一度挫折します。しかし教室を辞めた後も勉強を続け、後に市川は書き上げた自作を賞へと応募します」
森「しかし一向に結果が出なかったことで、市川は疑心暗鬼を深め、自分の作風はコンクールに不向きであり、実力不足のせいではない、という考えを持つに至ります」
市川「それで実際のところ、市川の脚本のレベルはどうなんだ?」
森「その件ですが」
  大広間のドアが開く。
  北條、ドアの前に立っている。
市川「(驚いて)なぜお前が? 私の姿を笑いにきたのか」
北條「あなたを誰が笑おうか。尊敬するあなたのお役に立ちたいがために、私はここにきたのです」
  北條、颯爽と入ってくる。
北條「砕けた言葉使いになることをお許し願おう。ネットに公開されている市川の脚本にすべて目を通した。市川の脚本に通底するのは奇抜な舞台装置を用意し、それを土台にストーリーが語られる点である。伊参スタジオ映画祭応募作「中学生ドライバー」ではドライブレコーダー視点から不条理コメディが展開されるが、この点をリアリスムの欠損と捉えるか、前衛的な着想と見なすかは評価が割れても不思議ではない」
  市川、じっと聞いている。
  以下、北條のセリフが続く。
北條「一方で描写に関する評は概ね一致するだろう。題材への明らかな取材不足に加え、人物の書き分けが皆無で、それらを克服しようとしている形跡すらない。すべてを想像で書いている。推敲した様子もなく、見直しをしているとは到底思えない」
北條「構成面ではストーリー先行の粗が目立ち、機能不全家庭をテーマとした「黄金の馬」などは目も当てられない。しかし他方、「神様がくれた4360万円」の円環構造、「鍋パーティで会いましょう」におけるクライマックスの構造、そうした構造部分については見れないこともない」
北條「最後にテーマだが、「背番号は21」「カールズバー」「令和元年のベースボール」などを読むと、市川は父親を描くことに固執している。我々創作者は人生で得られなかったものを書きたがる傾向がある。私の推測になるが、市川が求めていたのはいかなる困難をも乗り越える力であり、その力を与える存在こそが父親である、そう考えていたのかもしれない」
市川「よろしい。それで君の結論は?」
北條「我々プロの目からすれば彼はアマチュア作家です。プロフェッショナルな視点を持っておらず、プロの世界では通用しないでしょう」
  北條、引き下がる。
まゆみ「(資料を読む)そして去年12月31日、「gameover」という短編脚本を投稿したのを最後にSNSの更新が途絶え、現在に至ります」
  まゆみ、資料を閉じる。
  市川、立ち上がる。
市川「…市川。自分を客観視しろ。お前の歪んだ論理はすべてお前自身の弱さをごまかすためのまやかしであり、市川という愚かなモンスターを生み出したのは、市川、誰のせいでもない。お前自身のせいなのだ。お前はお前自身の意思によって、社会の不要物になることを選んだのだ」
  市川、鏡を見て、
市川「市川。最後にいうことはないか」
  ややあって、市川、鼻で笑う。
  一同、困惑する。
市川「なるほど。世の中には二種類の人間がいる。自分の責任で生きられる人間と、自分の責任で生きるしかない人間…か」

○同・玄関前
  北條、封筒を抱えて門へと歩いている。
声「北條!」
  北條、振り返らずに立ちどまる。
  市川、玄関から出てくる。
  市川、北條へ近づき、
市川「事件以来多くの人間が私のもとから離れていった。しかし君はここにきてくれた」
北條「…」
市川「北條。あの時の非礼を許してくれ」
  北條、無言のまま立っている。
市川「…どうした?」
  北條、ようやく振り返り、
北條「やはりあなたに真実を隠すことはできない」
市川「…?」
  北條、原稿を封筒から取り出す。
北條「市川は失踪前に実はもう一作脚本を書いていたのです。これは市川の部屋のパソコンに残っていた原稿のコピーです」
市川「(胸が騒ぐ)北條。その脚本がなんだというのだ?」
北條「恐ろしいことが書かれています。これまでのすべてと、これから起こることが書かれているのです」
  市川、北條から原稿を受け取る。
  表紙に以下のタイトル。
  「我は市川」。
市川「(震え出し)北條。予感がするぞ。何か恐ろしいことが起こる気がする」
北條「すべては定めなのです」
市川「親愛なる友よ。私がこれを読み終えるまで、どうか見守っていてくれないか」
北條「唯一無二の偉大な先輩よ。あなたのためならば夜が明けるまで私はここに立っているつもりです」
  市川と北條、頷き合う。
  市川、屋敷へと戻っていく。

○同・書斎
  市川、手を震わせながら机で原稿に目を走らせている。
  以下、原稿用紙が映し出され、ト書きとセリフが次々と流れていく。 

トムクルーズ「(英語で)受賞者は…シュウヘイイチカワ!」
  市川、ガッツポーズをし、家族と抱き合って喜ぶ。

  「ニュース速報」
  「脚本家の市川舟平(39)と女優の広瀬すず(25)が心中自殺」

市川「市川。甘えるのもいい加減にしたまえ。お前の歪んだロジックは人に責任をなすりつけるための詭弁であり、惨めな人生も、現状の有り様も、その一切が努力不足からくる自己責任にほかならないのだ!(と鏡を殴る)」

    ×     ×     ×

  市川、最後のページを閉じる。
市川「(声を震わせ)それなら俺は…市川によって…いや、まさにここに書かれていることがこれからも起こるのだ」
  と、机の上に置かれた手鏡が割れる。
  市川、恐怖で立ち上がる。

○同・廊下
  市川、歩いている。
  布で覆われた鏡が音を立てて割れる。
  市川、割れた鏡へと向かう。
  遠くで鏡の割れる音がする。
  市川、導かれるように進んでゆく。

○同・大広間
  市川、やってくる。
  市川、ひび割れた大鏡の前でおそるおそる立ち止まり、
市川「(喘ぐ)市川…市川!」
  市川、鏡を見る。
  そこに映し出されたのは、壮年の男とはおよそ思えない、おそろしく幼く、おそろしく醜い、不安げで、怯えた目をした、今にも泣き出しそうな、市川の顔。

○タイトル

(おわり)

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