見出し画像

意見否定と人格否定は全くの別物

こんにちは、つっぴー(@tuppy_osakacafe)です。何年前かの画像。最適な画像が見あたらず…

ソロ活動の時間もありますが、お互いの近況報告や意見の交換をしたりする人もいます。

志が高い、という仲間がいる事はとても嬉しく思う反面、意見がぶつかる事もあります。

例えば仲の良い人の事なら何でもうんうんと聞くのが良いかというとそうは思わなくて。共感する意見であれば『確かにね』『それいいよね』と言いますが、全然共感できない時は『どういう発想?』『それは分からんわ』と言います。

この時、意見に対して否定をしているのです。『え、自分の事が否定された』と感じる方もいらっしゃるみたいですが、タイトルにある様に『意見』を否定しただけであって、『言った人』を否定している訳ではないです。

どこの世界にも、気にくわないとか問答無用である人が言っている事を全否定する人もいます。意見否定にとどまらず、人格否定をしだす傾向があります。あいつは頭がおかしい、とかもっと汚い言葉も平気で使ったりします。

もし『悪く言われている』と感じる事があるとしたら、ただの『意見否定』かどうか振り返ってみるのも良いでしょう。変に勘違いして亀裂が入ってしまったら残念です。

自分で物事を考えられる人ばかりが周りにいると、意見のぶつかり合いはあります。こういう見方もあるのか、と引き出しを増やせたと解釈。

ベタかもしれませんが、僕は解散してからありがとうとラインを送っています。実際に、思考がより深まって別の機会で流暢に話せる事もあります。

ネットだと人格否定も見かけますが、通常生活を行っている時の否定の声は『意見否定』がほとんどかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?