[長編小説] あいのかたち 〜年下の彼〜

サラサラとクセのない栗色の髪を、ゆっくりとかきあげる。

額から鼻先にふわりと滑り落ちた、男の子にしてはちょっと長めの髪を、そっと指先で弄ぶ。

「ん・・・。」

薄目を開けて、眩しそうに私を見上げる瞳は、濃いブラウン。日本人離れした髪と目の色は、彼の中に異国の血を感じさせる。たしか、おばあさまがイギリス人だったとか。

「ごめん、起こしちゃった?」

返事をする代わりに、彼の髪を撫であげていた私の右手首をそっと掴み、手の甲に唇を押し当てる。

あたたかい唇の感触、ぬるっとした舌先が、丁寧に手の甲から指先までを舐め上げ、指先にねっとりと絡みつく。

体の奥がしゅんしゅんと潤ってくるのを感じながら、私はじっと彼の唇と舌の動きを見つめる。

7つ年下のシュウくんは、取引先の出版社の若手編集者。

私の文章に偉く惚れ込んでくれて、女性雑誌のコラム枠を何本か紹介してくれたのをきかっけに、二人でよく飲みにいくようになったのが半年前。

それから体を重ねるようになるまでは、たいして時間はかからなかった。

お互い、なんとなく人恋しくなると、二人で抱き合って朝を迎える関係。

恋とか、愛とか、そんなややこしいものは介在しない、体を満たすだけのセックス。

今の私にはちょうど良い距離感で、気を使わなくていい相手。

「んぁ・・・」

たまらず漏れる声。

ぴちゃぴちゃといやらしい音をたてて、私の人差し指を、唇と舌全体をつかってゆっくり舐め上げる彼の視線は、まっすぐ私をとらえてはなさない。

体の相性は最高によかった。

彼とのセックスは、全てを忘れてただ快楽に身を任せて漂う時間。

言葉はいらない。

彼の唇と舌先が、指先からゆっくりと腕の内側を這って、肩から鎖骨へなめらかな曲線を描く。

それだけで、息が上がり、微かな喘ぎが漏れる。

ふいに、ぐいっと強い力で、私の両手首を頭の上に押さえつけたかと思うと、有無を言わせず深いキスが降ってくる。

もうこうなったら止まらない。

解き放たれた2匹の獣のように、淫らな音を響かせてお互いを貪り合う。

そんな時間が、私にとっては唯一、もう一人の自分をさらけ出せる安らぎの時間だった。

そう、彼に再会するまでは。

◇◇◇

シュウくんの誘いをなんとなく断るようになって、1ヶ月が過ぎた。

こんなに長く空くのは会ってから初めてで、さすがにシュウくんも電話の向こうから訝しげに探りを入れてくる。

「ゆうこさん、好きな人でもできたの?」

「・・・そんなんじゃないのよ。ただ、忙しいだけ。」

事実、都内のカフェを紹介した単発の記事が好評で、2社から連載のオファーがきていた。

ふうん、じゃ、また電話するね、と、納得していない声音で、電話を切るシュウくんに、ごめんね、と心の中でつぶやく。

仕事が忙しいのは事実だが、シュウくんを避けている本当の理由が他にあることは、自分でもよくわかっていた。

ショウキチさんと再会してから、時折MICADOで会うようになって。

特に約束をしているわけではないけれど、平日の夕方になると、MICADOに自然と足が向く。からんからん、とドアのベルが鳴るたびに、ソワソワと入り口に目をやる私がいた。

まるで、片想いをする女子高校生みたいだな・・・。

何度目かの空振りのベルに、今日は会えないのかな、とため息をついた自分がふとかわいくなり、今更こんな気持ちになるなんて、と、可笑しくなる。

「・・・今日は遅いね」

マスターが私の心を見透かしたように、コーヒーカップを磨きながら、ドアに目をやる。

曖昧に微笑みながら、2杯目のグァテマラをゆっくりとすする。

ショウキチさんとは、不思議なくらい、プラトニックな関係が続いていた。

MICADOでひとしきり話した後は、私の家まで送ってくれるのが習慣になっていたが、その先へ進むことはなかった。

カランかラーン

このベルで来なかったら、今日はもう帰ろうと思いながら、祈るような気持ちでドアに目をやると、そこには意外な人物が立っていた。

「・・・シュウくん?」

「近くにいたんで、きちゃった。家にいなかったから、ここじゃないかと思って」

外は季節外れの夕立が降っていたのか、全身ずぶ濡れのシュウくんの髪の先からは、ポタポタと雫が落ちている。

マスターが気を聞かせて大振りの真っ白なタオルを渡す。

ありがとうございます、と小さくつぶやいて、シュウくんが顔をタオルで拭う。

こんな風に、突然会いにくるのは珍しい。

さっき電話をした時は、すぐ近くにいたということか。

一通り、身体中の水滴をぬぐい終わると、シュウくんは隣の席に座り、ブレンドを注文する。

「だれか、待ってたの?」

珍しく強い口調のシュウくんと目が合うと、思い詰めているような真剣な眼差しを返してくる。

いたたまれず目を逸らし、もう冷たくなった琥珀色の液体をゆっくりとすする。

「そういうわけじゃ、ないんだけれど」

曖昧な返事に、少し苛立ったようにシュウくんが何かを言いかけた。

「ブレンド、お待ちどうさま」

絶妙のタイミングで、マスターがコーヒーを出す。

いつもと違うシュウくんの雰囲気に、嫌な予感が漂う。

そんな私の予感は的中し、シュウくんの大きくて冷たい手のひらが、私の右手に覆い被さり、ぎゅっと強く握られる。

ショウキチさんの手は、やわらかくて、あったかかったな。

彼に会いたい。

そんなことをぼんやりと思いながら、シュウくんの手の甲のを見つめ、この状況をどうしたものかと思案する。

カランかラーン

「いらっしゃい。遅かったね」

マスターの声に、はっと我に返りドアに目をやると、そこにはショウキチさんが立っていた。

店内をぐるっと見渡し、私と目があうと、ほっとしたような表情になった後、その視線は少しずれてピタリと止まる。

私の手に重ねられたシュウくんの手。

慌てて手を引っ込めようとするが、シュウくんは強く握ったまま離そうとしない。

シュウくんが凍りついた私の視線の先を追って、ショウキチさんに気づく。じっと彼を見上げた後、まるで見せつけるように私の耳元に唇を寄せて囁く。

「ゆうこさんの家に、いきたい。このままじゃ風邪ひいちゃう」

ショウキチさんと、目が合う。

見られてはいけない何かを見られてしまった子供の様に、私は俯き、いても立ってもいられず、二人分のコーヒー代をカウンターに置く。

私はシュウくんに腕をつかまれたまま、逃げるようにMICADOを出た。

◇◇◇

「あいつ、誰?」

マンションに着くなり、シュウくんが詰問するように口を開く。

少し小降りなった雨の中、私たちは無言で家までの道を足早に歩いた。

「とりあえず、風邪ひくから。お風呂入って」

その問いには答えずに、バスルームに向かい、扉を閉めてバスタブにお湯を注ぐ。

もうもうと立ち込める湯気の中、最後に見たショウキチさんの顔を思い出す。彼はどう思ったのだろうか。悲しそうな、失望したような、そんな風に見えたのは、私のかいかぶりだろうか。

この後におよんでも、気がつけば思いをめぐらせているのはショウキチさんのことで、そばにいるシュウくんのことではないという致命的な事実。

ため息をついて、タオルを手に取り、バスルームのドアを開ける。

さっきまでの勢いをすっかり失い、だらりとソファに座るシュウくんの濡れた髪の毛に、ぱさり、とタオルを広げ、そのまま髪の毛をわしゃわしゃとこする。

「珍しいね。こんなふうに会いにくるなんて」

シュウくんは黙ったまま、されるがままに身を委ねている。

「・・・ゆうこさんにとって、俺はもう用済みってこと?」

タオルの中からくぐもって響く彼の声に、どきり、とする。時々、人の心を見透かしたように、勘の鋭いことを言う。

同時に、どうしようもない愛おしさが込み上げてくる。年齢のわりにはクールで、割り切っているように見える彼の中に、年相応の男の子の姿を見つけたような、そんな愛おしさ。

彼の横に座りタオルをはらりと、肩へ落とす。

私を見つめる、真摯な眼差しに、さらに愛おしさが込み上げる。彼の頬を両手で包み込み、啄むように軽くキスをすると、堰をきったように彼が深く、激しく求めてくる。

何十回となく交わしてきた営み。そして、これがきっと最後。

彼の愛撫を一つずつ脳裏に焼き付ける様に、私は全身で味わい、答えていく。

彼の熱く、かたいものを子宮の奥に擦り付け、私の名前を呼びながら高みへと昇っていく彼の濡れた髪を愛しく抱きしめる。

ただの体の営みだけではない、何か愛しいものが、確かにそこにはあったのに、認めたくなかった。こうして、いつかくる別れの時を知っていたから。少しでもお互いが傷つかない様に、都合のいい事実だけを見てきた私たちは、とても不器用だったのかもしれない。

明け方近くまで、見えない何かを確かめ合う様に、私たちはただ、お互いを求め続けた。

◇◇◇

「ゆうこさんのこと、離したくなかった。」

別れ際にそうつぶやいた彼は、切なそうに目を細めて、指先で私の頬を軽くなぜる。

「コラムの担当は、変えてもらうよ。そんなに俺、器用じゃないから」

外はまだしとしとと雨が降り続いていた。

差し出した傘を、返す予定がないから、と受け取らなかった彼は、静かに、ドアを開けて去っていった。




























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