[短編小説] ある日のクロスケ

ボクの名前はクロスケ。

生まれはどこかの段ボールの中で、兄弟はボクを含めて、3匹。いや、1匹は生まれて間もなく死んでしまったから、正確には4匹か。

名前の通り、ボクの全身は真っ黒な毛で覆われている。母さんもボクと同じような黒猫だったらしい。らしい、というのは、ほとんど記憶がないからだ。ある日、突然、ボクは段ボールの箱の中からむんず、と掴まれて、小さなカバンに押し込められ、随分と長い時間閉じ込められていた。母さんも兄弟たちの姿も見えず、心細くて声がかれるまで叫んだっけ。やっと解放されたと思ったら、今の飼い主のところに連れてこられたのだ。

飼い主のちーちゃんは、泣き虫でお人好しな女の子。人間で言うなら「みそじ」ってやつをとっくに過ぎてるそうで「女の子」と言うには、年が行き過ぎてるらしいけれど、ボクから見たらやっぱり「女の子」にしか見えないわけで。

ちーちゃんは、ボクに優しい。ちょっと甘えた声を出せば、すぐおやつをくれるし、遊びに熱が入って勢い余ってちーちゃんの手を鋭い爪で引っ掻いても、「クロスケは動きが機敏だねぇ」と、ニコニコしている。

そして、ちーちゃんはよく泣く。

昨日も仕事から帰ってくるなり、ぺたん、とリビングの床に座り込んで、ずっと下をむいていたかと思ったら、涙がつーっと頬をつたっていたんだ。

意地悪な先輩にいじめられたのか(ちーちゃんの会社には「おつぼねさま」と呼ばれるライオンみたいに獰猛なやつがいるらしい)、つきあってるたっくんからの定期連絡がなくて落ち込んでいるのか、はたまたお腹がすいただけなのか、ボクにはわからなかったけど、とりあえず膝にのって「にゃーん」って猫らしくすりすりしてあげた。

ちーちゃんはボクの顔をみると、「グロズゲ〜」と言って顔をぐしゃぐしゃにしながらボクをギュッと抱きしめ、わーっと堰が切れたように泣き出した。

ボク、お腹すいてるんだけどなぁ。早く終わらないかなぁ。

一応、飼い猫の勤めとして、ちーちゃんの腕の中でじっとしていると、ちーちゃんが鼻をぐしゅぐしゅさせながら、

「クロスケ、お腹すいたよね、ごめんね」

そういって、ボクを抱っこしたままふらりと立ち上がる。

こんな時でも、ちーちゃんは優しい。

でも、もっと自分勝手になってもいいのに、ってボクはいつも思うんだ。

んで、ちーちゃんが泣いてた原因なんだけど。

ボクの餌を用意しながら、ちーちゃんがこんなことを言ったんだ。

「・・・クロスケ、人はどうして死んじゃうんだろうね」

ボクはじっと耳を傾ける。ちーちゃんは手を止めて、少し黙ると、小さく鼻をすすった。

「どうして、りさこは・・・」

「りさこ」という名前に、ボクの耳がぴくぴくっと動く。

りさこちゃんは、ちーちゃんの一番の親友だ。この家にもよく遊びに来てくれて、ボクには時々ちゅーるをお土産にかってきてくれる、なかなか気の利いた女の子だ。

どうやら、りさこちゃんになにかあったようだ。

「どうして・・・」

そう言うと、ちーちゃんはまたうぅっ、と嗚咽を漏らして床にぺたん、と座り込む。

「にゃーん」

(ちーちゃん、とりあえずごはんくださいな)

ボクはペコペコのお腹を抱えながら、床に座ったちーちゃんの腕に少し強めに擦り寄る。

悲しいのはわかるけど、ボクももう限界なんだよな。

珍しく、ちーちゃんはボクのスリスリをスルーして、手のひらで顔をおおったまま、泣き続けている。

再三のボクのスリスリ攻撃に動じないちーちゃんの様子を見て、ボクもただごとではない雰囲気を感じ、ちーちゃんの隣にちょこん、と座る。

こうなったら、もう待つしかない。

どのくらいそうしていただろうか。

ちーちゃんはまたふらりと立ち上がると、ボクの餌の入ったお皿をキッチンから床に、ことん、と置いた。

お腹は空いていたけれど、ちーちゃんの様子が気になって、チラチラ見上げながら、ご飯をがっつく。

ちーちゃんの目は遠くを見ているようで、全く焦点があっていない。

一通り食べ終わって、お腹もふくれて満足したボクは、ちーちゃんの隣で、ぺろぺろと前足を舐めて顔をこする。

人間の世界では、 猫が顔を洗うと雨が降る、とか言うらしいけど、おあいにくさま、ボクらは毎日顔を洗う。人間の言うことは、時々おかしいよね。

ちーちゃんはまだ泣いている。

心配は心配だけれど、ボクにはどうにもできないことの方が多い。そんなときは、ただこうしいてそばにいることくらいしかできないんだけどね。

本当はいつもの定位置のハンモックで、食後のお昼寝をゆっくり貪りたいところだけど、今日はまだちーちゃんのそばにいた方がいいような気がして、隣で毛繕いをはじめたってわけ。

ネコだっていろいろと気を使うのさ。

ちーちゃんの嗚咽がだんだん小さくなり、呼吸もゆっくりになる。

もうそろそろいいかな。

ボクはちーちゃんの背中にひと擦りすると、ハンモックの方へとゆっくり歩き出す。

ハンモックからはちーちゃんの様子がよく見える。

まだ鼻をスンスンしているけれど、さっきよりはだいぶ目の焦点はあってきて、部屋の中を何かを探すようにぐるっと見渡して、ボクと目が合う。

ちーちゃんが少し微笑んで、

「クロスケ、ありがとうね」

そう言うんだ。

ボクは何もしていないんだけれど、声を出さずに「ニャー」と鳴いて、「どういたしまして」の合図を送る。

明日の朝は、ちーちゃんが鏡を見て、また大騒ぎすることだろう。

今日の泣き方だと、腫れた目を化粧でかくすのに、いつもの倍はかかるに違いない。

人間ってやつは本当に面倒くさい生き物だ。

ボクはふん、とひとつため息をつくと、前足に顎を乗せて、夢の中へ旅立った。

人間は知らないだろうけど、ネコだって夢くらい見るんだよ。


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