[短編小説]ある日の千夏

りさこが、死んだ。

「は?何言ってるの、真奈。もう冗談がすぎるんだから・・・」

同級生からの電話を受けて、また悪い冗談だと笑い飛ばそうとした私の声は、電話のむこうの啜り泣く声に凍りつく。

シンダノヨ、キノウノアサハヤク、ジタクデクビヲツッテタッテ。

真奈の声が、意味のわからないただの音声の連なりとなって私の耳を通り抜ける。

オカアサンガミツケタッテ。

ケンシノケッカ、ジサツデマチガイナイダロウッテ。

なに、言ってるの。意味わかんない。

りさこが死んだって?ありえない。

だって、だって、りさことは何日か前に会ったばかりで、クロスケの鼻についたちゅーるを見て、二人で大笑いしてたじゃない。

なにかの間違いだ。これは悪い夢だ。そう、いつも見るやつ。朝起きて、夢でよかったって、安心する類の。

そう自分に言い聞かせて目を瞑ると、携帯電話の向こうですすり泣く真奈の泣き声が、これが夢ではないことを残酷に突きつける。

「・・・それで、お通夜はいつ?」

何言ってるの、私。

冷静すぎる自分の声が、まるで別の誰かの声のように、聞こえる。

大切な親友が死んだって言うのに、お通夜はいつ?って。

「まだ決まってないって。もしかしたらやらないかもって。」

クロスケに会いたい。

あのふわふわした黒い塊に顔を埋めて、ぎゅうっと抱きしめたら、悪い夢から冷めるかもしれない。

真奈との電話をなんて言って切ったのか、覚えてない。

気がつけば家の前にいた。

ガチャリ、いつものように鍵を開ける。

「にゃーん」

お腹がすいたクロスケが、「今日はおそいんじゃない?」と言いたげに、小走りに走り寄ってくる。

りさこが、死んだ。

実感のわかない、この小説の一文のような文章を、頭の中で繰り返す。

りさこが、死んだ。

いつのまにか、床に座り込んでいたらしい。近寄ってくるクロスケの気配。

私の頬を生あたたかいものが伝う。

りさこが、死んだ。

何も言わずに、逝ってしまった。

「にゃーん」

クロスケが「どうしたの?」と言いたげに膝に乗ってくる。

生あたたかい猫の体温に、ふと現実に戻る。

たまらず、クロスケを抱き寄せ、ぎゅっと抱きしめてその体に顔を埋める。

「グロズゲ〜」

クロスケのふわふわとした毛に、私の涙がポタポタと落ちる。

一瞬、ビクッと体を震わせて、でもクロスケはじっと腕の中でおとなしくしている。

クロスケ、りさこ死んじゃったんだって。

あのこ、一人で逝ってしまったんだよ。

声にならない声で、クロスケに話しかける。クロスケは耳をピクピクさせながら、じっと私の声を聞いているようだった。

クロスケをギュッと抱きしめても、悪い夢は覚めてくれなかった。

どのくらいの時が経っただろうか。

もぞもぞと腕の中で居心地悪そうにするクロスケの動作に、ふと我に返る。

そうだ、クロスケにご飯あげなくっちゃ。

こんな時でも、日常は容赦無くやってくる。

「クロスケ、お腹すいたよね、ごめんね」

クロスケを抱いたまま、ふらりと立ち上がり、キッチンへ向かう。

いつものカリカリを30g、きっちり測り、カラカラとお皿に入れて、ふと手を止める。

「カリカリばっかりじゃかわいそうだよ。たまにはさぁ、高級なキャットフードとかあげなよ。クロスケも毎日同じご飯じゃ味気ないでしょ。ね?クロスケ」

腎臓の悪いクロスケに、獣医さんから勧められた安くはないカリカリを、きっちり測ってあげるのがいつものご飯。

「りさこはなんにもわかってないんだから。クロスケのためにはこれが一番なの」

そういって、ちゅーるばかりをあげようとするりさこを睨みつけたのは、いつだったか。

ふいにまた、どうしようもない悲しみの波が押し寄せ、涙が止まらなくなる。

なにも言わずに、どうして。りさこ・・・。

私たち、友達じゃなかったの・・・?

あんたにとって、私はなんだったの・・・?

「・・・クロスケ、人はどうして死んじゃうんだろうね」

今度の言葉は、口から出ていたようだ。クロスケが私をちら、と見上げる。

「どうして、りさこは・・・」

りさこ、と言う名前にクロスケが反応したような気がした。

クロスケ、りさこはね、もういないんだよ。

たったひとりで、逝ってしまったんだよ・・・。

「どうして・・・」

堪えきれずにまた、嗚咽が漏れる。ずるずると床に崩れ落ち、もう抑えることはできなかった。

クロスケが何度か鳴いたような気がしたけれど、その声も、もうどこか遠くの世界の出来事のように感じる。

りさこ、りさこ、りさこ。

りさことは幼なじみで、幼い頃はよく喧嘩もして。

でも、気がつけばいつも隣にいて、すぐに人を信じては傷つくことを繰り返してきた私の人生をいつもケラケラと明るい笑い声で包んでくれた。

「また千夏はやっちゃったね」

そう言って、ぽんぽん、と優しく頭をたたいてくれたりさこは、もういない。

もう私の隣で、私の人生にダメ出しをしてくれることもない。

あ、クロスケのごはん。

餌の入ったお皿をことん、といつもの位置に置く。

待ってましたと言わんばかりにクロスケがかけより、チラチラと上目遣いで私を見ながら、はむはむ、とご飯を食べ始める。

最後に会った時、りさこはどんな顔をしていたっけ。

なにを話したっけ。

私はどうして気づけなかったの。

自分で死を選ぶほどに追い詰められていた彼女に、なんと言って別れたのだろう。

彼女は、どう思っただろう。

頼りがいのない友人に絶望していたのだろうか。

ふと、りさことの会話が頭をよぎる。

「クロスケはいいよね。いつでも自由でさ。次に生まれ変わるなら、絶対ネコにするわ」

そういって、さみしそうに笑った横顔。

そう、あの時のりさこは、声の明るい調子とは裏腹に、なぜか寂しそうだった。

なにがあったの、りさこ。

なぜ、言ってくれなかったの。

ご飯を食べ終えたクロスケは、私の横で毛繕いをしている。

いつもなら、すぐにハンモックの上で眠りにつくのに、今日は私のすぐ隣にちょこん、と座り、丁寧に顔をこすっている。

心配してくれているの、クロスケ。

じんわりと、クロスケと自分の暮らす現実に呼び戻される。

りさこのことを知らなきゃいけない。

彼女が死を選んだ理由を。

彼女の思いを。

りさこも、そう望んでいるような気がした。

いつのまにか、クロスケがハンモックの上で私を上目遣いに見上げていた。

「クロスケ、ありがとうね」

サイレント「ニャー」でかえすクロスケ。

まるで、すべてわかっているかのような飼い猫のそぶりに、少し落ち着きを取り戻す。

明日、りさこの家を尋ねよう。

彼女が最後に見たものを、この目で確かめたい。

クロスケが前足に顎を乗せ、髭をだらり、と下げる。

お腹がいっぱいになった時の至福の表情を浮かべ、ゆっくりと目を閉じる。

おやすみ、クロスケ。

猫も夢を見るのだろうか。







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