小山田圭吾「いじめ」バッシング問題 14 「他人の書いたものを読み、解釈し、批判するときの作法」、原則②「批判対象とする他者について推測するときは、複数の可能性の中から、その他者にとってもっとも都合の良い可能性を選択せよ」

ここまで、「他者の書いたものを読み、解釈する」ときに従うべき原則について説明してきました。しかしこの原則だけでは、どのように他者を批判するべきかを決めるのに十分ではありません。なぜなら、以上の解釈の原則に従って読んでいったとしても確定しがたい点が残ることがありうるからです。

たとえば小山田さん自身が説明する以前には、排泄物を食べさせるといういじめが本当にあったのか、そして小山田さんがそれに積極的に加担していたのかが判然としませんでした。ROJではそう語られていたわけですが、QJでは不可解なことに全く触れられておらず、大きな疑問が残る点となっていました。このような点についてはどのように考えるべきでしょうか。実際にこのようないじめがなされていたのならば非常に大きな問題ですから、「どのように批判するのが適切であるか」を考えるためには、このような点をどう扱うかを考えなければなりません。

他者を批判する際に、こうした確定しがたい点をどう扱うかを述べるのが次の原則です。

 ②批判対象とする他者について推測するときは、複数の可能性の中から、その他者にとってもっとも都合の良い可能性を選択せよ。

確定しがたい点があるとき、実際にはどうだったのかを推測しなければなりません。推測される可能性が複数あるとき、批判の対象となる人にとってもっとも利益になるように考えるべきだとするのがこの原則です。

排泄物を食べさせるいじめに関してであれば、小山田さんの口から事情が語られる以前の段階では、1実際にそうしたいじめがあり、小山田さんが積極的に関与していた可能性、2 いじめはあり関与してもいたが、それほど積極的ではなかった可能性、3 そうしたいじめはなかった可能性など、複数の可能性が考えることができました。(ほかにも可能性は考えられますが、省略します。)原則②に従うなら、こうした場合には、もっとも批判される度合いが少なくなる3の可能性を選択するべきだ、ということになります。

3を選択するといっても、「小山田さんは排泄物を食べさせるいじめなどしなかった」と積極的に主張せよ、というわけではありません。いまは、他者を批判するときの原則として考えているのですから、3を選択するということは、小山田さんを批判する理由・根拠から「排泄物を食べさせるいじめをした」という論点を排除する、この点に関しては批判しないという選択をする、ということです。

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