小山田圭吾「いじめ」バッシング問題 5. 性的ないじめの実行者はだれか

小山田さんはROJで「だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」と語っていました。このいじめは、村田さんに対するものとしてQJで詳しく説明されています。その記述を見てみましょう。

「ウチの班(引用者註:修学旅行の班)布団バ〜ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。例えばバックドロップとかって普通できないじゃないですか?だけどそいつ(引用者註:村田さん)軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。面白いように決まるから『もう一回やらして』とか言って。それは別にいじめている感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。一応、そいつにお願いする形にして、『バックドロップやらして』なんて言って(笑)、“ガ〜ン!”とかやってたんだけど。」
(以上、QJ、63頁)

ここまでは、村田さんにバックドロップやブレンバスターといったプロレス技をかけるいじめについて語られています。ここには「遊び」の延長とも取ることが可能な微妙さがありますが、小山田さん自身が認めていますので、いじめだと認識すべきでしょう。問題はこの続きです。


「で、そこになんか先輩(引用者註:留年して同学年になった先輩。修学旅行で小山田さん、村田さんと同じ班になった人物)が現れちゃって。そのひとはなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプって言うかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。素っ裸にしてさ。そいでなんか『オナニーしろ』とか言っちゃって。『オマエ、誰が好きなんだ』とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。『ここはヤバイよな』っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。『オマエ、誰が好きなんだ』とか言って。『別に・・・』なんか言ってると、パーン!とかひっぱたいたりとかして。『おお、怖え〜』とか思ったりして(笑)。『松岡さん(仮名)が好きです』とか言って(笑)。『じゃ、オナニーしろ』とか言って。『松岡さ〜ん』とか言っちゃって。かなりキツかったんだけど、それは」
(以上、QJ、63−4頁)

ここで「全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニー」させるいじめが語られていますが、このいじめをしているのは「先輩」と、その場にいた何人か(「そこでもまだ行けちゃってるような奴」)であり、小山田さんではありません。

小山田さんは「そこまで行っちゃうと僕とか引いちゃう」、「僕なんか奇妙な立場になっちゃう」、「かなりキツかったんだけど、それは」と言っています。

この性的ないじめに対する小山田さんの関わりをどう評価するか、どの程度の非難に値するかについては、いまは置いておきましょう。少なくとも、このいじめの主体ではなく、またROJで言っているような「アイデアを提供する」という関わり方もしていないことは(小山田さんの発言を信用するのであれば)確かだと思われます。

だとすると、ROJの発言とQJの発言の間には、単に一方で語られていることが他方には欠けているという噛み合わない点があるという以上に、はっきりとつじつまが合わない点があると認めなければなりません。

ROJでは、あたかも自分自身が全裸にさせ、紐でグルグル巻きにし、自慰行為をさせたかのように語っています。しかしQJでは、それをさせたのは先輩および何人かの同級生であり、小山田さんではないことになっています。小山田さんが関わっていたとしても、かなり間接的なものであり、ROJの記述とはつじつまがあっていません。

ですから、ROJとQJ、二つの記事の中の小山田さんの発言を、両方ともに事実を語ったものとして受け取ることはできません。二つの記事の関係は、前者が大雑把で後者が詳細だとか、前者で語られていることが後者では抜け落ちている、といった、矛盾や対立にいたらない食い違いに過ぎないのではありません。もっとはっきりした対立をしていて、明らかにつじつまが合っていません。

この二つの記事をもとに小山田さんを非難するのであれば、それらの間にある食い違いを解消して、つじつまがあった理解を自分なりに作ったうえで、非難するべきでしょう。いや、「するべき」もなにも、この二つの記事を自分で読んだ方は、意識的にではないにせよ、そうしないではいられないはずです。まともにものを考える、ということがそれを要求するからです。

そうしないでいられるのは、自分の考えが矛盾しているかどうかも気にせず、自分の非難の言葉に根拠があるかどうかも気にせず、とにかく人を叩ければよいと思っている人にちがいありません。

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