小山田圭吾「いじめ」バッシング問題 9. 『週刊文春』インタビューと謝罪文に納得できない人はどのような人だろうか?

しかし、謝罪文を読んで、それに対して私と異なる感想を持っている人も多いと思います。『週刊文春』のインタビューや9月17日の謝罪文を読んで、それらの内容を信用できないとか、言い訳に過ぎない、許せないといった思いを表明する人をかなり見かけます。そこでしばらく、小山田さんの説明に納得した私と、納得しない人との間にどのような違いがあるのかを考えてみたいと思います。そして私がどのようなやり方でROJやQJの記事、インタビューや謝罪文を読んでいるかも説明したいと思います。これを説明したとしても、納得しない人が納得するようにはならないかもしれません。しかし、小山田さんの説明に納得するということが、けっしてファンの盲目的な欲求によるのではなく、それなりに筋の通った考えであることは示しておきたいのです。


謝罪文に説得力を感じない人の中にも、いろいろな方がいるでしょう。この文章を書いている時点で私が念頭に置いているのは、

1.ROJとQJ、二つの記事を自分で読んでおらず、新聞やテレビでの報道、インターネット上での情報(ブログやツイート)のみで、小山田さんのいじめに関する情報を得ている人
2.ROJとQJの両方を読んでいるが、それらの読み方が私とは異なる人

このどちらかの方です。これ以外にも、たとえば

3.ROJとQJの両方を読み、その読み方がタカムラと一致してもいるが、謝罪文に説得力を感じない、謝罪文を読んでも許せないという気持ちを抱き続けている、あるいは報道の仕方は不当ではなかったと考えている人

あるいは

4.自分ではインタビューも謝罪文も全体を読んでおらず、ネットで紹介されている一部分だけしか読んでいない人

などもいるでしょう。3に当たる人は、必ずしも不合理な見解の持ち主だとは思いません。小山田さんは実際いじめをしたのですし、二つの記事での語り方にも問題が多々ありますので、筋の通った仕方で考えて、彼を非難し続けることを選ぶ、という選択もありうるのでしょう。今のところ私には、インターネット上のやり取りを通じてそうした方と自分との間の懸隔をどう埋めたらよいのか分かりませんので、今回は取り上げません。

4に当たる方は、論外だと思います。自分で読んで、自分で考えないのならば、黙っているべきでしょう。

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