小山田圭吾「いじめ」バッシング問題 8. 『週刊文春』インタビューと謝罪文を踏まえて
このnoteでは、『ロッキング・オン・ジャパン 1994年1月号』(以下、「ROJ」と略)と『クイック・ジャパン Vol.3』(以下、「QJ」)に掲載された二つの記事を読み込んで、それらから小山田さんがどのようないじめをしたと考えられるか、どの点で批判されるべきかを考える予定でした。しかし、下書きはしているものの、仕事に追われ更新が滞っているうちに、『週刊文春』9月23日号のインタビューと9月17日に発表された謝罪文で、小山田さん自身の口から自身がどのようないじめをしたのかについての説明がありました。加えて、9月16日にはQJの記事を執筆した村上清さんからの説明と謝罪もありました。小山田さんの説明の内容は、私がROJとQJの内容から整合性を重視して推測した結果とおおむね一致していました。
インタビューと謝罪文が発表される以前に、小山田さんが行ったいじめとして、ROJとQJの記事から読み取れると私が考えていたのは、次の2点でした。
1. QJの57頁上段(「段ボール箱とかがあって……」から「……『ヤメロヨー』とか言ったけど」まで)、および61頁下段(「太鼓クラブとかは……」から「……あれはヤバイよね、きっとね(笑)」まで)で語られている沢田さん(仮名)に対するもの。同じ頁の下段で語られているように、61頁で語られているのも小学生時代の太鼓クラブでのことである。(61頁で語られている事象を高校時代の出来事とするのは誤読だと思われる。また58頁下段から59頁上段で書かれている性的ないじめと取れる出来事には、小山田さんは主体的に参加していない。)
2.QJの62頁下段(「段ボールの中に閉じ込めることの進化系で…」から「… “毒ガス”ものとして(笑)」まで)、そして63頁下段(「で、ウチの班で布団バ~ッと…」から「… “ガ~ン!”とかやってたんだけど。」まで)で語られている村田さん(仮名)に対するもの。これは62頁上段で語られているように、中学時代のこと。63頁下段で語られていることのうち、プロレス技を掛けるなどの部分については、いじめであるか否かに関してあいまいさがある(「それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。」)が、小山田さんも関わっているとは推察できる。(しかし63頁下段、後ろから6行目からはじまる話(「で、そこになんか先輩が現れちゃって…」から「…かなりキツかったんだけど、それは」まで)は、いじめの主体は先輩であり、小山田さんが行ったものではない。)
これに加えて、ROJやQJの記事での語りそのものにも大きな問題がたくさんある(たとえばQJの65頁下段の語られる近所の養護学校の話や、69頁上段における朴さんについてのコメント、記事の末尾に年賀状が掲載されたこと、など)と思われますが、この点については今は置いておきます。
週刊文春のインタビューで、小山田さんは、2の「プロレス技を掛ける」などの行為は「友だち数人とプロレスごっこをしていると」と述べています(133頁)。しかしそれ以外の点、すなわち沢田さんに対するいじめ、そして村田さんに対する62頁下段で語られているいじめに対しては認めています(いずれも134頁)。二つの記事から合理的に推測される範囲とほぼ一致しており、事実であると強く推定可能なことを否定していないので、この『週刊文春』でのインタビューでの発言を疑う理由は見当たりません。
このnoteで取り上げたROJとQJの間の食い違いについては、ROJでの発言が否定されています。この点については、ROJに比べるとQJのほうがより詳細でリアリティのある語りがなされており、両者が食い違う場合にROJのほうが正しいことを述べていると考えるとQJの多くの発言を否定しなければならなくなってしまうため、QJを優先するべきであると思われます。この考えに従うならば、二つの記事を整合的に読む結果推定されるいじめの事実は、先にあげた二つに絞られます。その結果と、今回のインタビュー及び謝罪文の内容が一致したわけです。
二つの記事にあった食い違いが解消され、つじつまが合う仕方で当時の状況が推定できるようになりました。村上さんの説明とも矛盾点はないようです。かなり説得力のある説明がなされたと言うことができ、それを信頼して受け入れるべきだと私には思われます。私自身がROJとQJをどう読むかを詳しく書く必要はなくなったと思います。
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