小山田圭吾「いじめ」バッシング問題 12 「他人の書いたものを読み、解釈し、批判するときの作法」、原則①について:意味のずれの問題

①批判の対象とする他者は、解釈者である自分と同じ意味で言葉を使っており、合理的な人であり(つまりあからさまに矛盾したことを信じたりしていない)、その人の主張していること・信じていることのできるだけ多くが真であると仮定して解釈せよ。

 

 自分以外の誰かが書いた文章を根拠として、文章そのものやその著者を批判する時には、その文章を正しく理解することが前提となります。その文章で書かれている言葉の意味をを正しく把握しなければ、見当違いの批判をすることになります。

 

私たちは、同じ言葉を他人とは少し違った意味で用いることがあります。これはつまらない例ですが、たとえば大阪出身である人と広島出身である人では「お好み焼き」という言葉が意味する食べ物はまったく違います。あるいは、文章の書き手であれ読み手であれ、普通に使われている言葉を誤解している場合もあり、そうした場合は書き手と読み手の間で把握される意味が食い違ってきます。そのため、誰かの文章を批判するとき、その書き手である他者と読み手である自分とのあいだで把握している意味がずれており、それが原因で不当な批判をしてしまう恐れがあります。ですから、正しく批判しようとするならば、そうした意味把握のずれを可能なかぎり埋めなければなりません。しかしそれはどうすれば可能になるでしょうか。

 

使われている言葉と、それが意味する内容とが独立に存在して、言葉を介することなく意味を把握することができるのであれば、ずれを解消することは簡単でしょう。右手に自分の意味する内容を持ち、左手に相手の意味する内容を持って両者を見比べ、同じかどうかを確かめる。一致していればよいし、ずれていれば相手に合わせてその主張内容を把握すればいい。

しかし残念ながら、言葉を介さずに意味そのものを把握することなどできません(できる、という人は、たとえば「飛躍」という言葉の意味を、言葉抜きで把握してみてください。できることはといえば、それを別の言葉で言い換えることぐらいではないでしょうか)。

 

その文章で何が言いたかったのかを書いた本人に確かめられず、その人の書いた文章以外に手がかりがない場合、「この文章であなたが言いたいことは・・・ということですか」とたずねることもできません。私たちは小山田さんが雑誌の記事、インタビュー、HPに掲載された文章の意味を把握しようとしているわけですが、それについて小山田さんにたずねることはできません。(もしたずねたとしても、おそらく答えは言葉で返ってくるので、相手が言おうとしていた意味そのものが与えられるわけではなく、意味を正しく把握すべき他者の言葉が増える結果に終わることになります。)

結局、ある文章を批判するためにその文章の意味を正しく把握しようとするとき、多くの場合はその文章自身を手がかりにして、自分と書き手の間の意味のずれを埋める努力をせざるを得ないのです。

では、そうした努力は、どのように進められるでしょうか。私が、著者とやりとりができない文章を読んだり、翻訳したり、批判したりするときに従っている手順は次のようなものです。

まず、相手について、次の三つを仮定します。

1、一つ一つの言葉について理解している意味が、相手と自分とで一致している。

2、相手の言っていることの多くは間違っておらず、真であることを言おうとしている。

3、相手は、明らかに間違っていることやはなはだ非常識なこと、矛盾したことを信じていない。

要は、批判の相手と自分とで、理解している言葉の意味や持っている考え、常識、世界観、合理的に考える力などが基本的には一致していると仮定するわけです。

 

この仮定のもとで、相手の言っていること・文章が有意味で整合的であり、大部分は真であることを主張していると受け取れるように解釈していきます。また、文章は、その書き手が信じていることを表現するために書かれたものですから、相手の考え、信念も問題にしなければなりませんが、そうした考え・信念に関しても、基本的には正しく、つじつまがあっており、常識的であると仮定します。 

こう仮定した上で読んでいくと、相手の文章の中に、どうしても他の文とうまく噛み合わない、つじつまが合わない文が出てくることがあります。その文を何らかの仕方で解釈すると、有意味で正しい主張をしている文と受け取れなくはないけれど、そうすると他の文を間違っているとか非常識とか無意味と見なさなければならなくなる場合があります。そうした場合にはじめて、そこでは同じ言葉を相手は自分とは違った意味で使っているとか、その文を間違っているとか無意味なことを言っていると見なします。そしてそのような間違っている文を書いてしまったのは、相手の考えが間違っていたからだとか、自分の言っていることから導き出せる帰結に気づかなかったのだとか、嘘をついているのだとか、部分的に非常識なことを信じていたからだと解釈します。

 要するに、文章の書き手側の誤り、失敗、不都合と見なさざるをえないことを最小限にするよう解釈していくということです。もし相手があまりに多くの間違ったことや不合理なこと、非常識なことを言っているのだと解釈することになったら、それは実際に相手がそのように問題が多い文章を書いたのではなく、自分の解釈が失敗したのだと見なして、よりよい解釈をするよう読み方を改めなければならない。そう考えて、読み、解釈するということです。

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