小山田圭吾「いじめ」バッシング問題 4. 「ウンコ喰わした」はQJに登場しない

では、ROJとQJ、二つの記事の関係に関する話に戻ります。両者の内容には、うまく噛み合わないように思える点が二つあります。小山田さんを軽率に非難するのではなく、真っ当な批判をするには、その内容をうまく噛み合わせる必要があります。

まずは一点め、ROJでは「ウンコ喰わしたり」とされていました。そしてそれが「バックドロップ」と一連の流れの中にあるかのように語られていました。しかしこの件はQJの記事にはまったく登場しません。村田さん相手のいじめだけでなく、沢田さん相手のいじめの記述の中にも登場しません。

ここで、次のように言われるかもしれません。「小山田はROJでウンコ喰わせた上にバックドロップをしたと言っている。そしてQJで、村田さんにバックドロップをしたと言っている。これらから、村田さんにウンコを食べさせるいじめをしていたと結論するのは当然ではないか。どうせ小山田がQJのときには隠したんだろう」と。

このように言われる方には、その結論はごく当然のもの、自然なものと思われるのでしょう。しかしわたしには、そう結論することが当然だとも、自然だとも思えません。

QJの記事、「いじめ紀行」は、いじめを面白がるというスタンスで貫かれている記事です。もし小山田さんが、村田さんにであれ沢田さんにであれ、大便を食べさせるいじめをしていたのなら、そんな「おいしい」ネタを取り上げないはずがないと思うのです(大便についての話をおいしいと形容するのも我ながらどうかと思いますが)。記事を書いた村上清さんは、間違いなく「ウンコ喰わした」件を尋ねているはずです。そして小山田さんがそれにどう答えたかは分かりませんが、何らかの理由でその件は取り上げられなかったのでしょう。

QJに大便を食べさせた件が登場しなかった理由はわかりません。さまざまな可能性が考えられます。
①小山田さんが「あれはROJのインタビューを盛り上げるために大袈裟に言っただけ」と言い、そして実際そうだったのかもしれません。
②小山田さんは率直に大便を食べさせるいじめについて語ったのに対し、その内容のあまりの凄惨さに村上さんやQJの編集部が話題として使うのを避けたのかもしれません。
③一度はそれも盛り込んだ記事になったのだが、イメージダウンを恐れた事務所がそこを削除させたのかもしれません。
④小山田さんは率直に大便を食べさせる話をしたのに対し、村上さんが「これはいじめじゃなくて、ただ馬鹿な小学生連中が馬鹿なことやって盛り上がってただけの話だ、使えない」と却下したのかもしれません。
等々、いくらでも可能性は考えられます。

この点についてはっきりさせるには、小山田さんや村上さん、QJの編集部、そして当時の和光中学の状況を知る人たちからの証言が必要です。それがなされないかぎり、なんとも言えません。

現時点ではっきりしているのは、ROJとQJの記事を手がかりとするしかない人にとっては、①やそれ以外のさらに別の可能性が開かれていて、②から④などの可能性を選択して「小山田圭吾は障害者に大便を食べさせるいじめをした」と結論しなければならない理由はないということです。
それらの結論は、二つの記事から事実と思われることから、しっかりした根拠もなく推測されることにすぎず、二つの記事のなかに事実として読み取れることではない、あるいはそこで事実として読み取れることから論理的に導き出せることではない、ということです。

なぜ②から④のような可能性を選び、①を採らないのか。それは客観的な根拠のない直観や感情に基づく選択ではないでしょうか。そうした可能性を選んだ上でなされる非難は、正当な理由を欠いた恣意的なものに思われます。

ここでつぎのように反論されるかもしれません。「QJにウンコ食わせた件が登場しないからと言って、ROJとQJのそれぞれの発言が矛盾しているわけではないだろう。だからそれらを組み合わせて、小山田が村田さんにウンコ食わせるいじめをしたと推測することは十分に合理的であるはずだ。タカムラは不当に小山田に有利なように解釈しているだけだ」と。

この反論が成立するかどうかを確認するため、ROJとQJの噛みあわない点の二つめを見てみましょう。

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