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第1052号『居酒屋考』

気がつけば、2011年の春、浜町から横浜に事務所と住まいを移して干支を一周りした。それゆえ横浜での飲食は、もっぱら関内から野毛あたりの街場になることが多い。横浜駅から、一駅二駅過ぎたエリアが守備範囲である。理由は、横浜駅周辺に比べてチェーン店が少なく、居心地の良い店が多いから。

ふと、昔のことを振り返ってみた。2002年に会社を設立したとき、僕のマーケティングと酒の師匠、故宇田一夫に顧問役をお願いしてスタートした。神田佐久間町の友人の会社の一席を借り、その後、内神田に移る。そして隅田川にほど近い浜町に本格的に事務所を置いた。神田や浜町、人形町といった街場に事務所を構えた一番の理由は、やはり馴染みの居酒屋があったからだ。神田なら、今はなき三州屋や大越と升亀・・・、人形町なら、笹新そして釉月・・・と。

こうした店は、日々の生活の延長線上にあり、身に滲みた美味しさを感じさせてくれる。それは、データだったり、コストパフォーマンスに敏感で、いつも賢い消費者風に振る舞うこととは違う。いわゆる、「グルメ」とか「食べ歩き」とはまったく別次元の美味しさが存在する。

そして、居心地の良い居酒屋のある街は、すべてにおいてマニュアルで動いているような、チェーン展開の店が、闊歩することを許さない。なんと例えればいいのか、ともあれ、どことなく大人びた風情がある。それは、恐らくそれぞれの店が矜持をもって、自分たちの生業を立てているからであろう。だから、店が客にやたらとへりくだることもなければ、客にあれこれ指図することもない。その上で、客が店に育てられ、店も客の頃合いを上手に理解してくれる。

野毛にも関内にも、こうした頃合いの良い店がある。馴染みの面々と、その店らしい佇まいに包まれての一献に勝るものはない。喩えれば、町内の原っぱらで草野球をする少年のような気分になる。居酒屋とは、いわば生活の細部に入り込んだ細胞の一部といっても過言ではない。さて、今宵もあの店で仲間と一献やるか。

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