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Vol.25 先生は山伏


今まで出会った人の中でもかなり稀有な生き方をしている方が大学の中にいました。


この前まで続いた後期の授業期間、好奇心からとある授業を履修してみた授業がありました。その名も「東洋的身体技法Ⅱ」。
2年間学生をやっていますが、Ⅰがシラバスに上がっているのを見たことはありません。




東洋的身体技法Ⅱ

以下、シラバスから授業の概要を引用します。
たしかシラバス自体は学外の人もアクセスできたはずだから、たぶん大丈夫...

東洋的身体論に基づく身体技法を実践的に研究する。身体と心は不可分のものととらえる『身心一如』の思想を身の実感をもって理解する。それをベースに、自分の身心を快適に保ち、パフォーマンスを向上させるための実践的な身体の使い方を深める。
各自が主体的に自分の身体と向き合い、それぞれの興味・関心に基づく課題の探究を深める。

よく分かりませんと思った方。僕もです。抽象度が高くて掴めるようで掴めない。

ただ、1年の時から名前だけ見て気にはなってて、ちょうどコマも空いてるし行ってみよーのノリで分からないままにとってみました。





そもそも「東洋的身体論とは?」というところですが、僕の復習がてら記します。

心と身体との関係については、大きく分けて二つの主張があります。
一つは、物心二元論を唱えたデカルト以後、西洋で生まれた「心身二元論」。心と身体とを明確に区別し、特に心をより上位の存在とする考え方です。そのため、身体は心に従属するもの、心によって管理・支配されるものと捉えられます。

もう一つは、東洋で生まれた「身心一如」。こちらは身体と心とは密接につながっており切り離すことができないとする考え方です。心を正すことが身体を正すことにつながると考えます。心身二元論と異なるのは、その逆、身体を正すことで心を正すこともまた可能であるとする点です。

「トレーニング」と「稽古」のニュアンスの違いを考えると分かりやすいかもしれません。前者は科学的な視点に立って身体へのアプローチをとりますが、後者は身体のみでなくそれを通して心(精神)へのアプローチも目的にしているイメージがあります。根性論なんかはその一例でしょうか。
その違いは心と身体をどのように捉えているかの違いから来ています。


...とまあ、そんなところでしょうか。
「東洋的身体技法Ⅱ」は、この基本的な考え方を理解した上で、コロナ禍の目まぐるしい情勢の変化とそれに付随する様々な危機に晒された大学生の心身を整える方法を、東洋的な心身一如に基づき見出してみようという、至って良心的な授業だったわけです。座学のほか、ヨガとか瞑想とかやってました。

なんだ、とってよかったじゃん。





夏は山ごもり、冬は滝行

ここまで授業の概要をつらつらと書きましたが、僕はこの授業のレビューをしたいわけではないのです。
この授業を担当していた先生の話を書きたいのです。

これがまたなかなかクセのある先生なんですね。

現在60代後半くらいでしょうか。大学の教員ではないんです。一応、非常勤講師という立場だと聞いてます。大学の剣道部の監督をやってるらしいです。

以前は、とある高校のバスケ部に、東洋の古典的な身のこなしの技術を伝授する外部コーチとして関わり、チームを全国大会まで行かせたとか。敗けたのもあの能代高校を相手に、だそうです。

たぶんすごい人。



そして、面白いのはここから。

現役の山伏なんです。


山伏ってご存知でしょうか?
山に籠もって厳しい修行を行う修行僧のことです。
僕も先生に聞くまで存在を知りませんでした。

先生は毎年夏、山に籠もって一人修行に励みます。
昔、NHKの番組が先生のことを取材したいと修行に密着したことがあったらしく、その映像を授業で見せてもらいました。岩と岩の間にある割と密閉された空間で、何かの木々と唐辛子(?)を混ぜたものを燃やして、出た煙で自身を燻す修行でした。唐辛子を燃やしてるので煙が目や鼻に入って痛いらしく、何度もむせていました。これで自分の体内にある異物を除去することができるそうです。

こんなことを8月の1ヶ月間、続けるそうです。




冬は毎年、滝行に行くのが恒例らしく、

「授業のメンバーで行くか!来たら単位確定!」

なんて誘われましたが誰も首を縦に降りません。




もう必修はとり終わったので先生の授業をとるつもりはありませんが、また話は聞いてみたいです。単純に生き方として詳しく知りたいです。

とりあえず山伏になりたくなった時に頼るアテはできました。僕は自然が好きなので、なりたくなる可能性が0じゃないとも言い切れないんですよね...。





読んでいただきありがとうございました!

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