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思いがけないこと。

昨日、Miekaruさんの「焼き芋の霊」に応える形で、我が家の焼き芋事情を書いたら、ご当人のMiekaruさんをはじめとして、思いがけない反応があって、かなりびっくりしている。

我が家の大きなインコたちが、焼き芋を、それも蜜芋が大好きという話なのだけれど、私が考えていた以上に、興味を持って読んでいただけたらしい。

そうなんだなぁ、と、ふと思う。我が家では何でもないことでも、私のこともインコのこともご存知ではない方には、「へぇ~!」と感じることだったのかな、と。

時々、「普通」って何かな? と思うことがある。おそらく、日本に住んでいる人たちの生活で、まったく同じものということは、まず、あり得ない。様々な習慣だったり、考え方だったり。或いは、地域特有の条件から生まれた風習だったり。にもかかわらず、日本ではよく”普通”という言葉が、愛用される。まぁ、そういう私も、つい「それが、普通でしょ?」などと口走ることが少なくないのだけれど。

自分や自分の家庭では当たり前であっても、一歩外に出れば、そうではない世界が存在している。私は、上京して30年が過ぎたけれど、香川から出てくるとき、随分友人たちに脅されたものだった。

「言葉が違うけん(違うからという意味。讃岐弁ほか、瀬戸内方面で使われるようです。もっとも方言の研究をしたわけではないので、これはあくまで私の経験に基づいた印象ですが)、気ぃつけまいよ!(気をつけなよ) いじめられんように!!」

いまこそ、関西弁は関東でも市民権を得ているが、確かに30年以上前では、まだ珍しかった。だからというわけでもないとは思うが、私は、上京して、しばらく、関西なまりをだして話ができなかった。耳の鋭い人には、アクセントやイントネーションの違いを指摘されることもあったが、大体、関東の言葉になじんでいたように思う。西の生まれだということを隠していたつもりもないけれど、緊張はしていたのだろうし、無意識に友人の脅しにおびえていたのかもしれない。

ただ、言葉というのは、やはり毎日の生活環境に影響される部分がある。関東で生活していれば、やはり、耳に入って来る言葉を使うようになるようだ。もう、20数年、香川には帰っていないが、帰省していたころは、地元の友人に会えば、やはり、讃岐弁に戻っていたし、そのほうがしっくりする感じもあった。

今は、どうか知らないのだけれど、東西で、「マクドナルド」の愛称が違うことを知って、絶句したことがある。かなり以前、塾で国語の講師をしていたころ、何かのはずみで、「マクドナルド」のことを、「マクド」と言ったことがある。中学生の女の子2人を前に、若いつもりで普段は使わない愛称を使って話をしたのだ。

そうすると、生徒の女子中が生二人が、きょとんとした顔で、私を観る。そうして、彼女たちは、尋ねてきた。

「先生、それ何? 何のこと??」

「え? ”マクドナルド”のこと、”マクド”っていうじゃんか」

私の答えを聴いて、彼女たちは大爆笑。

「先生、それ何?! 言わないよ、そんなの!!! それ言うなら、”マック”だよ!!!! どこで覚えてきたの???」

私はその時、初めて、マクドナルドの愛称が、東西で違うことを知ったのだった。立場が逆転して、また一つ賢くなった瞬間だった・・・・。

この違いは、結構有名なことだと知るのは、かなり後になる。何しろテレビがない生活を30年以上していると、雑学には疎くなりますわねえ・・・・(>_<)

思いがけないことに遭遇した時、状況にもよるけれど、驚愕・絶句の衝撃を抜けると、次第に快感になることも少なくない。あまりにそういうことが多い私は、いささかMの傾向もあるのかもしれない。ただ、若いころには恥ずかしいと思ったことも、「そうゆうことも、あったねぇ・・・・」と、遠い眼をして、微笑んで見せることができることもある。年取って、少しは、角が取れたのか、な????? 

ただ、先日のようなうれしいサプライズは、素直にうれしい。自分の文章で、楽しんでくれる方がいてくださるなんて! ユーモアあふれる文章なんて、なかなか難しいけれど、日々の中に喜びを見つけて、読んでくださる方が少しでもほっとしてくださればなぁ、なんて、殊勝にも願ってみたりする夜でございます。

暖かくして、良い夜を🎶

おやすみなさい。

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