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うちのインコたちの、ヒーリング法ーーーインコとの生活あれこれ その1

このところ、東日本大震災がらみの話が多かった。3月は、どうしても意識せざるを得ないところへ、地震が多いので、自然とそうなってしまった。

ちょっと話が重いな、私はまっすぐに書くしか術がないからなぁ、と、少しため息をついていた。

そんな時。

私の大好きなMiekaruさんから、いくつか、インコとの生活についての問いかけをいただいた。素敵な奥様のMiekaruさんは、鳥との生活の経験がないとのことで、時々、私が記事にしたり、コメントで書くインコのことについて、不思議に思うことがあるみたい。

なにしろ、好奇心旺盛で、探求心の塊のような方なので、未知のインコライフの断片は、彼女を刺激したらしい(と、勝手に思ってます、はい)。

う~ん、さすがは素敵な奥様だわ! 私が、自分の重い話題にため息ついていること、お見通しでしたのね♬

というわけで、少し、方向転換して、インコとの生活について、つらつら書いてみようと思うのであります。何回かに分けて。


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今回は、タイトルにも入れた通り、インコたちが、飼い主を慰める方法について。ただし、これは、我が家の子たちのことで、よそ様のお子さんたちには、またいろいろあるはず。それは、ご承知おきくださいね。

何度も言っている通り、我が家には、37羽のインコがいる。noteを始めたときは、40羽越えていたのだけれど、高齢化が進んでいる我が家のインコ社会、この半年余りで、ばたばた天国に帰ってしまった。

この37羽は、すべて同じ種族ではない。大きさもいろいろある7種族が、かごで暮らしつつ、共存している。たくさんのインコと暮らしている、というと、小学校や幼稚園などにある大きな屋根付きの鳥小屋を想像する人がかなり多い。そういう大きな小屋に、インコたちを入れている、と思うらしいのだ。

まぁ、無理もない。家の中で人と暮らしていて、鳥かごがなん十個もある光景は、なかなかお目に掛かれないだろうから。ちなみに、我が家では、たいてい1羽に1個の鳥かごだから、インコの数だけ、鳥かごがある。大きさも、まちまちだ。

これは、相性とか力関係とかによる。仲が悪い子たちを無理に同じかごに入れていれば、いずれ、ケンカになる。オカメインコなどは、比較的穏やかな性格だけれど、それでも、嫌いな相手には容赦はしない。

それに、日常生活に嫌な奴がいるというのは、インコたちにも相当なストレスなのだ。悪くすると、ご飯を食べなくなって、命を落とすことすらある。かごが別であって、近くにいないだけで、彼らにはかなりのストレス軽減になる。だから、限られた空間で、これだけの数のかごを置くにあたって、私たちは、慎重に彼らの相性とストレスのかかり具合を観察する必要があるわけですな。

また、年齢差がある子たちの同居も危険だ。体力差があれば、力が弱いほうは(性格の問題もあるけれど)、満足な食事ができなかったりするから。よほど仲が良くても、これはしないことにしている。

今は、37羽のインコたちのうち、4割ほどは、かごの鳥さんである。ほとんどの子たちは、いわゆる”手乗りインコ”だったのだけれど、年を取るにつれて、だんだん人との付き合いが 面倒になったものか、遊んでくれない子が増えてきた。まぁ、そういう子たちは、若いころから、人より同類が良い、というタイプでもあったのだけれど(だから、そういう子が、或る日突然、かごから出てきて、甘える、というのは、SOSを出している場合もあるし、お別れが近いことを告げに来ている場合なのだ)。

また、人と同じく、白内障などの老化現象もあって、外へ出るのが怖くなっている子もいる。そういう子たちには、無理に出したりせずに、名前を呼び、かごの中に手を入れて、声をかけながらなでるだけで、彼らは安心するようだ。

年を取ろうが、身体が不自由になろうが、どの子も大切な我が子だ。付き合いが長くなればなるほど、思い出もたくさんあるのだし。

あまり我が家のインコたちのことで具体的な話をしてこなかったので、どうしても説明が長くなりまする。すみません。やっと、本題に入れそうな感じです。

長く共同生活をしていれば、いろいろある。20数年インコと暮らしてきているけれど、出会った子たちは、おそらく100羽を超えている。或る時、そのことに気が付いて、我ながら気が遠くなる気がしたものだった。

出会った子たちのおそらくは3割くらいが、今手元にいる。天国に帰れば、当然、つらい。どんなにたくさんの子たちと暮らしていたって、1羽として、同じ子はいない。また、逝った子の代わりもいない。昔、職場で、たくさんの鳥と暮らしている話をしたら、或る同僚から言われたことがある。

「そんなに鳥がいるなら、1羽や2羽死んでも、どうってことないわね」

私にはそういう考え方はできないので、その言葉に絶句したものだった。今でも、時々その言葉を、苦い思いとともに、思い出すことがある。

愛鳥さんを亡くして、ペットロスになられる方の場合、おそらく、こういう考え方、つまり、「鳥なんて、いくらでもいるんだから、また、同じのを飼えばいい」という趣旨の発言をされて(そういった本人は、慰めているつもりなのだ、あくまでも)、深く傷ついてしまうことも少なくない。喪った命の重さを理解しない言葉は、慰めになるどころか、相手をさらに悲しみの中に突き落とすことになる。

我が家のインコの場合、私が、亡くなったインコを思って落ち込んでいると、様々な反応をしてくる。相方が、私のつらさに共感してくれないので、表に感情を出せない分、インコたちの前だけで、号泣してしまうこともある。

そんな時、私の肩に止まって、ぴったりと身体を寄せ、何も言わないで、そばにいてくれる子。私が、その子の歌うのが好きなことを覚えていて、歌ってくれる子。神妙な顔をして、手に乗って、黙って頭を下げて、「撫でて!」と甘えてくる子。或いは、妙なダンスをして、私を笑わせようとする子。または、大きな声で叫んで、「かあさん、泣かないで! 元気出して! 私がいるでしょ?!」とアピールする子。涙をなめる子もいる。

日ごろは、クールな感じでいる子が、こういう時は、優しくしてくれる子もいるし、逆に、私を怒らせて、元気を出させようとする子もいる。その子の個性が、こういう時、意外な形で現れる。

そういう時思うのだ。この子たちは、私が思っている以上に、こちらを観察しているし、理解もしてくれているのだ、と。今、泣いて泣いて、元気がなくなっているこの飼い主に、何をしたら、喜んでくれるか。自分にできることは何か? 

そこには、もちろん、私が気力を亡くして世話ができなければ、自分たちが困る、という危機感もあるとは思う。我が家では、その日に食べきる分だけのご飯しか出さないので、元気な子たちには切実な話だ。

けれど、それだけではない、と、私は信じている。損得だけで動いてはいない、という確信があるのだ。うまく説明できないのだけれど。彼らの真剣な私への働きかけが、私を救ってくれているというたくさんの経験からの確信なのだ。

まぁ、今回の話に、あえて落ちをつけるなら、37羽のインコたちが、全員私を慰めてくれるわけではない、ということですわね。まぁ、それぞれに思うこと、感じることはあるんでしょうが、表に出さない子も少なくはありません。ただ、普段と変わらないで、いつものように生きてくれている姿に、やはり、慰められたりはするんですけれどね。


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