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最愛のマエストロの指揮で、オペラを観たら、なんだか元気になった話。

先日からちょこちょこかいてましたが、昨日、オペラを観てきました。

ヴェルディの「イル トロヴァトーレ」。「トロヴァトーレ」っていうのは、イタリア語で、”吟遊詩人”という意味だそうです。マンリーコという青年吟遊詩人を中心にした、愛と呪いの物語。

そういう風にあらすじをまとめると、ちっとも面白そうではないのですが、いやはや、すごい作品でした。

私は、基本的にはオペラが苦手です。演劇と音楽と舞台美術が見事に融合した名作が、いまでも、上演されていますが、如何せん、ストーリーがひどい。悲劇が圧倒的に多いし、その被害者の多くは、ヒロインだったりします。オペラを書く音楽家は、女性に恨みでもあるの? と、聴きたくなる私です。

昔、舞台で「リア王」を観たことがあり、そのあまりの救いのなさに、すっかり悲劇は苦手になりました。どんな名作であろうと、観に行く気はなかなか出ません。

そういう私が、11年前にマエストロ・山下一史と出会って、一目ぼれし、大ファンになりました。以来、出来る限り彼が指揮するコンサートを聴くようになったわけですが、こうなると、やはりオペラも出てきます。

4年前だと思うのですが、彼が指揮するドニゼッティの「愛の妙薬」というオペラを観に行ったのが、私のオペラデビューです。これは、いわゆるコメディで、私も素直に楽しめたのです。何しろ、開演前のあいさつで、この作品を演じる俳優たちが所属する藤原歌劇団の代表が、おっしゃいましたよ。

「初めて、オペラをご覧になる方も、安心してください! この作品では、誰も死にません!!! 文句なく楽しんでいただけます!!!」

あの時は、日生劇場でしたが、マイクを使わず、朗々とお話される美声を今でも忘れていません。折江忠道さんが、代表をなさっているのですが、本来はバリトンの歌手だそうで、鍛え上げた声に、度肝を抜かれたものでした。

今回は、上野の文化会館が会場です。オペラはどうしても上演時間が長くなるので、昼興業がほとんどのようです、私が知る限り。加えてこの世情ですからね。午後の早い時間に開演することになるのでしょう。感染症予防対策も必要ですしね。

今回も藤原歌劇団の公演でしたから、折江さんのご挨拶もありました。ただ、飛沫の心配もあるのか、第一声の「こんにちは!」以降は、マイク使ってらっしゃいました。ご本人としては、悔しいようでしたけれど、何かあると大変ですしね。

切々とコロナ騒動の中での苦悩を語りつつも、その一方で、公演ができる喜びも爆発させておられました。私の席から、折江さんの姿は観えなかったので、声から判断したのですが、それほど見当違いではないと思います。

私の席は、3階席の前から3列目の真ん中あたり。オーケストラ・ピット(オペラの時の、オーケストラは、舞台前方の囲みの中で演奏します。それを、”オーケストラ・ピット”と呼ぶそうです)の右半分が何とか観えます。

先ほどから、申し上げている通り、私は山下さんのファンだから来ているわけです。けれど、折江さんの姿も観えなかったので、「これは、今日は、カーテン・コールまで、山下さん、観られないかも・・・・」と、がっかりしつつも、覚悟しました。オーケストラの音をしっかり聴いて、山下さんを想像しながら、舞台に集中しなさい、ってことかな、と、いささか悲壮感すらある思いを抱えて、開演を待ちました。

それだけに、開演して、山下さんが登場して、その姿が観えたとき、「あ! 山下さんが観える!!!」と、声にならない歓声を上げたものです。と、同時に、我知らず涙ぐんだんです。いやはや・・・・・(≧▽≦)

3週間ぶりに観るマエストロ、気合十分にタクトを振り始めました。オーケストラの演奏が、オペラの始まりを告げるのですね。

私はいくつか、オペラのストーリーを観ることもあるのですが、オペラって、突っ込みどころ満載だなぁ、と、痛感したりします。「あんた、それはまずいでしょ」とか、「それ、どう見たって、あんたのせい!!」とか・・・・。わきが甘いっていうか、わざわざトラブル起きる種、創っているっていうか。

その点、このヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」は、ストーリーも緊密にできていて、私が突っ込みたくなる要素が皆無でした。ただ、一つの疑問を除いて。

この作品世界のそもそもの発端は、中心人物の一人・ルーナ伯爵の弟が、ロマの女にさらわれる、という事件です。当時、ルーナ伯爵ももちろん子供だったわけですけれど、かれの父親の伯爵が、赤ん坊だった弟に呪いをかけたという罪を女に着せて、処刑したことから、愛憎いりまじった人間劇になっているんですね。

15年前の事件という設定で、いろんな人たちの語りで、当時何が起きたのかを、聴き手に伝えてゆきます。と同時に、自分はどうしたいのか、との思いも語ってゆきます。それらは、とても説得力があって、「それは、無理ないね・・・」と、私も納得せざるを得ない力を持っているんです。

ただ・・・。先代の伯爵に処刑されたロマの女は、或る夜、伯爵の次男の部屋に忍び込んでいるところを見つかって、大騒ぎになったらしいのです。ロマの女は、何故、伯爵の次男の部屋に忍び込んだの? 呪いをかけた、というのが濡れ衣だというのなら、何の用があったんだろう? 

その点は、まったくわからないわけですね。「ロマ=怪しい、卑しい奴」という当時の社会にあった差別意識や偏見を、ヴェルディは共通認識として、作っているのでしょうか? それだけが、いささか引っかかっている私であります。

時々、山下さんの指揮ぶりも観ながら、舞台も観て、字幕も観て・・・。本当に、オペラは、普通のコンサートの3倍は疲れます(ちなみに、今回の作品の歌詞は、すべてイタリア語です)。

それでも、今回私は、どんどん破滅に向かう世界に感情移入しながら、今まで持っていたオペラへの苦手意識が、いささか薄れているのを感じていました。

ルーナ伯爵は、レオノーラという女性に恋をしているのですが、彼女は、吟遊詩人で伯爵の敵でもあるマンリーコに、恋をしていて、伯爵など歯牙にもかけていません。マンリーコもレオノーラを愛していますから、伯爵にとっては、恋敵でもあるわけです。

かなわぬ恋に狂った伯爵に、レオノーラもマンリーコも死に追いやられてゆくわけですが、ラストで、処刑したマンリーコが実は弟だった、と、知らされて、絶望に打ちのめされた伯爵の姿で、幕になります。

これまでの私なら、暗澹とした気分で終わったはずです。けれど、今回、絶望する伯爵の姿に、カタルシスを覚えていたんですねぇ。

ストーリーをかなり端折ってますので、わかりにくいとは思うのですが、要するに、伯爵の姿は「自業自得だ」と納得する部分が、私にはあったのですね。彼は父親の遺言で弟を探してはいるけれど、舞台を観る限り、彼が弟を愛しているようには見えないし、かなわぬ恋に理性を失って、無慈悲な行為に走れる人物らしい。そういう人が、様々な愛憎劇の果てに、一人絶望に打ちのめされて、立ち尽くす。それは当然のことだと、私などは思って、むしろすっきりしたようです。

これには、まぁ、贔屓の引き倒しでいいんですけれど、最愛のマエストロとオーケストラ(東京フィルハーモニー管弦楽団)が、見事な音楽で説得力を舞台に持たせた、ということもあるんだろう、と、私は確信しています。

オペラって面白いのかもしれない。そんなことも思いました。でも! 私は、最愛のマエストロの指揮でなきゃ、行きませんけれどね。

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