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やっと、解放されましたーーオリンピック、ありがとう(ただし、素直な意味ではなく)

今年の夏は、いろいろもやもやしていた。まぁ、個人的な問題が大半だったのだけれど。暑さでばてながら、ニュースを聞けば、イライラするばかりで、悪循環だった気もする。その疲れが、今、涼しくなってどっと出ているのかもしれない。ああ、眠い。

私は、子どものころから、スポーツが嫌いだったが、それでも、野球だけは好きだった。高校野球もプロ野球も、熱心に応援していたものだ。

だが、家を出て、しばらくして鬱になり、世間の情報を遮断して暮らすようになってから、いささか、趣が変わってきたのだ。

あれほど大好きだった野球中継に、関心が向かない。独り暮らしをするようになって、阪神・淡路大震災が発生するまで、ラジオをきいてなかったので、無理はないのだが(テレビは、家を出て以来、おいていない。テレビがあると、何もしないことはわかりきっていたから)、風物詩としても生活必需品だったはずの”野球”の存在を忘れていたのだった。

ラジオを常時聴くようになってから、再び野球中継も聴くようになった。けれど、以前のような熱意がわいてこない。

高校野球の場合、多くの人は地元の学校を応援する、という傾向らしいけれど、実は、私にはそういう要素が極めて少ない。地元だから? だから何? 

いつのころからか、人にこだわる傾向がはっきりしてきた私は、応援したい人がいなければ、関心を持てなくなった。高校野球の場合、監督さんに興味が出た学校を応援していた時期がある。徳島の池田高校の名物監督だった蔦文也監督のたたずまいが好きになって、甲子園に出れば、応援していたものだった。後は、茨城の常総学園の木内監督かな。蔦さんも木内さんも、故人になられた。逝去のニュースは、寂しかった。

もともとスポーツが好きでないうえ、勝利至上主義が大嫌い。高校野球を、妙に美化する報道もだんだん嫌になってきた。新聞などで、地方予選の記事を観れば、「ああ、もうそういう季節か」とは思うけれど、それ以上の感慨も関心も、もう持てなくなってしまった。

一方、プロ野球のほうは、大ファンだった王選手が、引退した後、監督もなさったが、成績がはかばかしくなく首になって、球界を去ってから、しばらくは関心がなかった。それが福岡ホークスの監督になってから、再びホークスを応援する形で、しばらくぶりに熱が戻ったのだ。

しばらく暗黒の時代が続いたけれど、この10年ほどはひとまず黄金時代と言っていいだろう。王さんも球団会長で健在である。

だが、オリンピックの開催にあたって、プロ野球界がファンの側に必ずしも立ってないことがはっきりした。加えて、コロナに感染して、亡くなった若い選手も出てしまった。それでも、何のコメントも出さず、オリンピックに参加したことで、私はすっかり幻滅してしまったのだ。

私自身、「なんで、スポーツ嫌いなのに、プロ野球だけは好きなのか?」と、自問自答せざるを得なくなった。

そこで、気が付いた。野球好きは、折り合いの悪かった父親からの影響だった、と。私は、父親を嫌う一方で、父親との楽しい思い出の名残として、野球好きにこだわっていたのだ、と。

事情があって、私は父とかれこれ40年近く会っていない。会いたいと思うこともなかったし、懐かしいとか慕わしいという感情もないのだが、今年のこのオリンピックのことで、私の中にあったはずの父親へのわだかまりが消えていることに気が付いたのだった。

父を嫌うことで、逆に父を求めていたのだ、と、ようやくわかった。そうして、私の中に父を求める要素が消えていると気づいたら、すーーーーっと、野球への愛情も亡くなってしまった。

相方とは、少し前から、プロ野球のシーズンが始まると、ラジオのチャンネルでもめていた。出会った頃はプロ野球ファンだったはずの彼女が、いつの間にか関心を亡くしていた。しかも、彼女は、”変える・変わる”ことが、苦手な人。それで、野球シーズンになると、中継を聴きたい私と、チャンネルを変えたくない相方との間で、ひと悶着起こっていたのだった。

オリンピックが終わるころ、相方に告げたものだ。

「あのさぁ、私、父親からの呪縛が解けちゃって、もう、プロ野球聴きたいと思わなくなったんだよね」

相方は、当然中継を聴くことになると覚悟していただろうから、これを聴いて目を丸くしたものの、苦笑いしつつ、いささか怨嗟の色も含んで、こう答えた。

「なんじゃ、そりゃ?! じゃあ私は、あんたの呪縛に振り回されとったんかい?!」

説明したところで、私の父親を知らない彼女だし、人の感情を推し量ることも苦手な人なので、納得は難しいだろう。それで「まぁ、そうゆうことになるかなぁ。ごめんね」とだけ言っておいた。

オリンピックが始まるまでは、熱心に聴いていたから、少しは寂しいかな、と、内心思っていたけれど、そういうことが全然ないのには、我ながら驚いている。むしろ、すっきりしているし、相方とチャンネルのことでもめることが減って、楽になった気分だ。憑き物が落ちたように、プロ野球の存在も遠くに感じるのだから、極端と申せば、そうですわね。

別に自分の中にある整合性のなさとか、矛盾に筋を通したかったわけじゃない。ただ、自分の中にあるもやもやに向き合った結果だ。私は、いまでもごちゃごちゃした矛盾をたくさん抱えて、それを折あれば指摘してくる相方とケンカになっている。今回の件は、すっきりした貴重な案件ですな。

これが片付いたから、というわけでもないけれど、来年早々に、最後の墓参りに出かけようと思っていたりする。或る時、香川までの道のりを考えていて、それがあまりに遠くて、日帰りなど到底無理だと気が付いて、愕然としたものだった。仙台や名古屋や奈良など、香川に比べれば、近い近い!!!

来年の春からは、敬遠していた大阪にも出かけることになりそうで、そうなると、香川は少しは近いかもしれないけれど、でも、大阪だって、私には旅先だからなぁ。なるようになるでしょうけれど、なんだか、来年から新展開が待っているような予感がする。何があるのかわからないけれど、それはそれで、ここでご報告、それも、楽しいご報告ができればいいな。そんなことを考える、秋の夜です、はい。

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