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新しい才能に、KOされてきました💖

一昨日、1か月ぶりに、コンサートに行ってきました。もっとも、先月のコンサートは、リサイタルでしたから、オーケストラを聴くのは2か月ぶりでした。

今回は、京都市交響楽団の東京公演。今年度から、沖澤のどかさんという新進気鋭の指揮者をシェフに迎えたので、彼女のお披露目でもあったのですね。

山下一史という最愛の指揮者がいる私ですので、彼が指揮しないコンサートに行くのは、珍しいと申せば、珍しいのです。

ただ、京都市交響楽団は、山下さんの指揮で初めて聴いて以来、好感を持っているオーケストラでもあります。加えて、このオーケストラのコントラバス奏者で、Juvichanという名前で活躍してらっしゃる方がいます。このジュビちゃんの音色が好きで、また、彼女が同僚と組んでいる弦楽トリオも好きなので、余計気にしているところもあるんですね。

さらには、2年前の夏、ミューザ川崎で、当時のシェフだった広上淳一さんとの演奏も聴いて、ますます魅かれるようになりました。

一方、沖澤のどかさんは、数年前、日本人として久しぶりにブザンソン指揮者コンクールで優勝し、注目されるようになった方です。若い音楽家を追いかける趣味はないのですが、彼女の言動にあちこちで触れて、「この人は、一度聴いてみたいな」と思ったのですね。明確な理由はないのですが、何かが私を惹きつけたようです。

その両者がタッグを組むというので、「これは、聴かねば!!」と、強く思いました。ただ、私は、どうも京都という土地と相性が良くないらしいのです。京響のホームホールが素晴らしいのは知っていますが(山下さんとの共演を聴いたのは、そこでしたから)、魅かれない土地にコンサートだけのために行く、というのも気が進みません(この点、仙台フィルの場合、私は仙台という街自体大好きですから、コンサートが一番の目的だとしても、ほかに行きたいところが少なくないのです)。なので、関東に来てくれたらいいのになぁ、と思っていたら、実現したのですな。

さてさて。漸く秋の陽気に切り替わってきた24日の午後。会場はサントリーホール。京響は、前日に地元で定期演奏会を開催しており、移動日なしの強行軍での東京公演です。地元では、チケット完売・満員御礼だったそうですが、東京公演には、当日券も出ました。それでも、開演前の客席は、8割は埋まっていたように思います。

酷暑からの厳しい残暑に、KOされている私ではあるのですが、秋の心地よい空気もあって、少し回復しつつあります。「沖澤さん、私の睡魔、追い払ってくださいよ」と、内心願いつつ(会場も気持ちいい温度で、いささか睡魔が襲ってきてたんですな)、開演を待ちました。

オーケストラが入場してきて、コンサートマスターの石田泰尚さんが登場すると、大きな拍手です。調音が終わって、静まり返ったホールにさらに大きな拍手が起こりました。マエストロ・沖澤のどかの登場だったからです。

初めて観る沖澤さんは、小柄な愛らしい方に観えました。上着が燕尾服のスーツ姿です。私は、舞台後方側の席でしたから、マエストロの表情が良く観えました。向き合う形だったのですね。

前半はベートーヴェンの4番のシンフォニー。開演前、私の前の座席の方が、「ベートーヴェンったら、“ジャジャジャジャ~ン!♬”(5番の出だしですね) だろうよ! 地味っつうか、通向きっていうか、なぁ・・・」と、連れの若い方に解説してましたが、確かに私もコンサートで聴くのは、これが初めてです(ちなみに、来月の山下&千葉響の定期演奏会のメインが、この4番だったりします)。それだけに、興味もありました。

タクトが上がり、奏でられたベートーヴェンに、腰を抜かしました。音が柔らかくて、若々しいのです。秋めいてきたこの陽気に似つかわしい瑞々しさも湛えています。私は♬一つ読めない素人なので、専門的なことは全然わかりません。けれど、彼女の指揮ぶりは、全身を使って、細やかにオーケストラに神経を配って、コミュニケーションを取りつつ、京響の魅力を引き出すことに成功していました。

これがさらにはっきりしたのが、後半のギヨーム・コネソンンの「管弦楽のための『コスミック・トリロジー』」(日本初演)でした。いわゆる現代曲で、日本でこの作品を取り上げたのは、沖澤さんが初めてなんですね。作曲家のコネソンは、フランスの現役の音楽家。私は、もちろん全然存じ上げない方です。ただ、最近、”今”の音楽家の作品に興味が出てきている私には、ベストなタイミングでの出会いでした。

前半のベートーヴェンは、編成が小さかったのですが、この作品は、前半の3倍くらいの編成で、楽器もいろんなものが出てきます。昨年、山下&千葉響の秋の定期演奏会で聴いた、吉松隆の「オリオン・マシーン」もそうでしたが、現代曲には、いろんな打楽器が活躍します。金管楽器なども大活躍ですし、それを眺めているだけでもワクワクします。

演奏の冒頭から、「銀河鉄道」をイメージするしかないほどの輝きと暗闇を持ったエネルギッシュさです。舞台に乗っている楽器たちが、ぶつかり合い、笑いあい、譲り合い、眼には見えないけれど何か大きなものを、客席に作り上げていました(もちろん、演奏家たちの演奏が、私にはそう見えたということです)。

瞬間瞬間で、無音のときもあるのですが、全体としては、幾重にも重なり、ぶつかり合う音の饗宴です。そうして積み上げられていく音たちは、聴く者に音の厚みをも感じさせます。それでいて、圧迫はしません。涼やかだったり情熱的だったりと、引き潮と満ち潮がバランスよく聴き手にやって来るのです。最初は戸惑っていた私ですが、演奏がどんどん進んでゆくにつれ、そうした音の饗宴にどっぷりつかって、快感にさえなっていたのでした。

色白のふっくらしたほほを紅潮させながら、マエストロは、緩急自在にオーケストラを鳴らしていました。そうしたマエストロを、オーケストラがしっかり支え、彼女の意図を汲み取って応えようとしている様も、私には好感が持てたのでした。

昔、フランスの作曲家だったサン=サーンスは、ストラヴィンスキーの「春の祭典」の初演を聴いて、途中で席を立ったのだそうです。「こんなのは音楽じゃない。ただの騒音だ」という意味のことを言って。

私は、サン=サーンスの作品も、ストラヴィンスキーの作品も好きですし、実際人気もあります。ただ、今回のコネソンの作品の演奏を、サン=サーンスが聴いたら、やはり、”騒音だ!”と言って、席を立つかなぁ、と、ふと妄想しました。同時に、仮にサン=サーンスが嫌ったとしても、私には心地よかった、ということは、時代のせいかもしれず(現代は、本当に騒々しいですしね)、彼と私とでは感性が違うということなんだろうなぁ、などと、考えたことです。

圧倒的な迫力で、演奏が終わった時、しばし会場に沈黙が訪れました。マエストロが息を整えて、客席に向き合う瞬間を待って、会場が割れるかと思われるほどの拍手と賞賛の”ブラヴォーーー!!!”が起きました。大役を果たした安堵感あふれる満面の笑み。オーケストラへの感謝を示す態度も初々しい。このコンビがこれからどのくらい続くのか、わかりませんが、きっと、いい関係がどんどん続けば、京響はさらに飛躍すること間違いないでしょう。そう確信した演奏でした。前任の広上さんとは14年続きましたが、さてさて??? あと1回くらいは、聴けるかな、関東で(←京都に行く気がない私)。

今週で9月も終わりますね。今週が残暑のヤマだとか、気象予報士さんいうとりました。熱帯夜は、どうやら終わったようなので、なんとかなりそうな私です。

寒暖差が大きい日々になりそうです。皆様、くれぐれもご自愛くださいませm(__)m💕💛

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