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独り言を言いたいときは・・・・・。

このところ、インコの話が続きましたが、今日は、ちょっと、そちらをお休みして、昔の恥ずかしい失敗談を、お話ししようかな、と、思うのです。思い出すたびに、今回使わせていただいた画像のワンチャンのような顔つきになっている・・・・、はずです。

確か、中学生だった頃の話。そのころ、私は、退屈な学校生活にも憂鬱な家にも、いささかうんざりしながら過ごしていました。後年、そのころの私が生き生きと過ごしていて、うらやましかったなどという的外れの感想を、当時の同級生から聴かされて、驚いたことがあります。まぁ、あまり周囲に自分のことを話さなかったので、精一杯の演技というか、虚勢がそう見えた人もいたんでしょうね。

そんな私の息抜きは、読書でしたが、家で本を読んでいると、親が文句を言ったりする。学校からの帰り道の距離が、結構あったので、帰る道々読んだりもしていたんです(絶対、真似はしないで! あぶないですから!!)。

それと、もう一つの息抜きがありました。それが、ぶつぶつ独り言を言いながら、帰ることでした。

まぁ、今から思えば、危ない感じもあったし、確かに、自分でも必死に心身のバランスを保とうとしていたんでしょう。ただ、自分の心の中にある思いを言葉に出してみる、というのは、案外ストレス解消になっていたようです。地声が大きいので、自分では小さい声で言っているつもりでも、結構大きな声になっていたみたいです。田舎道で、車の通りも少ないし、今のような携帯電話なんて、SFの世界の道具でしかありませんでした。人通りも少ないのを見越して、独り言をつぶやいていたんですが(そのくらいの羞恥心は私にもありました、はい)、たまに、すれ違う人がぎょっとした風情で、私のほうを振り向くので、慌てて家路を急ぐ、なんてこともありました。

まぁ、部活などで帰りが遅くなって、しかも日暮れが早い時期などは、怖いので、この独り言に助けられたこともあります。歩いて通学していましたしね。妙に妄想力もあり、記憶力もよかったので、怖い話などを思い出しては、びくびくしながら家路を急いでいました。今は、どうなっているかわかりませんが、そのころは、街灯などもほとんどありませんでしたから、夜道は、余計暗く怖く感じたのです(それでも、犯罪の話は、あまり聞かなかったので、或る意味、良い時代でした。田舎でしたがね)。

さて。あの時は、どういう状況だったのでしょうか。中間試験か期末試験で、帰りが早かったものか。ともかく、何かの理由で、部活もなく、早く帰れた日だったのです。私は、早く帰れるので、うきうきして(そのころ、親に強制されて入った、好きでもない部活が苦痛で仕方なかったのです)いたようです。すると、背後から、人の気配がします。振り返りはしませんでしたが、どうも同じ中学生。同級生の男の子のようです。学校でこそ憎まれ口をたたくけれど、帰り道などで一対一になると、面白い話をする同級生がいました。その彼だと、何故か、直観で思ったんです。確認もしないで。

それで、私は、その彼に向って、いろいろ話をしたんですよ。話の内容は、覚えていません。たわいない教師の悪口なんかだった気がします。気分良く、彼相手にペラペラしゃべるのですが、いつもなら何らかの反応をするはずの彼が、何も言わない。変だなぁ、と思って、「そう思うやろ? なぁ、M」そう言って振り返りました。そして、ぎょっとしました。

そこにいて、私の後ろを歩いているのは、私より1学年上の人で、しかも女子!!! その人には、一卵性の双子の弟がいたはずです(兄かもしれません)。もっとも、だからって、仲が良かったわけじゃないし、その人も私を知っている様子でもない。自分を振り返った私を、怪訝そうに一瞥して、黙って先に行ってしまいました。まぁ、馬鹿にされたわけじゃないのが、救いでしたねぇ。その後、噂にもならなかったので、その人は、誰にも話さないでくれたのでしょう。或いは、危ない人だと思って、忘れようとしたのかもしれません。

その人の後姿を見送りつつ、帰り道が同じですから(途中まで)、少し距離を置いて、私は、恥ずかしさで口もきけなくなって、歩きました。今と違って、もう少し繊細でしたから、自分を責めつつ・・・・。

「何故、確認しなかったのか?」 「何故、Mだと、早とちりしたのか?」「何故、得意になって、大声で話し続けたのか?」

自問自答というか、果てしない堂々巡りを続けて、家に帰ったのでした。

あの経験から、私の独り言の癖は、激減した気がします。10年後に、進学のために上京して、一人暮らしを始めるまでの間は。ただ、本や文章を読みながら、ぶつぶつ言う癖があって、それは、治りませんでしたが、それでも、歩きながら大声で独り言を言うことは、減りました(なくなってない、というのがみそですわね)。

もう40年も前のことですが、何故か、ふっと思い出すのです。そして、思い出すたびに、恥ずかしさで床を転げまわっていたのですが、最近では、恥ずかしさはこみあげてきても、苦笑いで済むようになりました。やはり、感受性が、鈍くなってきたんでしょうかね。

まぁ、いろいろ恥ずかしい失敗は、している私ですから、そうした積み重ねが、昔の失敗を苦笑いで受け入れられるようになったんでしょう、たぶん。いいんだか悲しいんだか。

そういえば、昔、尊敬している方から、「フラーノ、”厚顔”にはなっていい。だけれど、”無恥”になっちゃいかんよ」と、諭されたことがありましたわ。そんなことを思い出す、春の雨の夜です。

明日は、荒れる地域もあるとか。皆様、どうぞ、くれぐれもご無事で!

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