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本当のZeroとは

さてさて記念すべき初投稿はわけのわからんことを書いてみようと思い、禅問答のようなタイトルをつけたわけですが、最近よく考えるようになった"Zero"というものを僕なりの解釈で紐解いてみようと思います。

Zero,0,零...と様々な文字や言語で表される"Zero"ですが、そもそもこの概念が定まったのは一説によると5世紀ごろのインドらしいです。もちろん数学はそれ以前に誕生し生活の基盤を支える大事な知識だったと思いますがそれでも2000年間ぐらいは"0"の無い数学が続いていたんです。しかしインドの偉い学者さんが、「無い状態」を"0"という「数」で表したみたいです。
これは当時の人からすればトンデモ概念でしたでしょうね。
1+1=2はわかります。でも1+0=1は意味がわかりません。なぜなら必要のない計算だからですね。だって計算する必要ないんだもの。目の前にあるものは1個なんだから。それを架空の0個を足す作業になんの意味があるのか。
現代を生きる僕でさえも深く考えてみるとわからなくなります。

さて、数学の話はこれぐらいにして(※だいぶ道逸れました)、本題に入りましょう。
僕の価値観で"0"を捉えるとき、"0≠無"になります。先程の数学の話では「無い状態」を"0"と定義していますが、そんなことは知りません。(笑) 
僕は"0"は実数と捉えます。
もうちょっと深い話をすると、"+""-"の境界線を指す重要な数値と捉えます。だから「ある」んです。
「無い」ものとして捉えると、自分の目標や計画を立てる際に非常に不都合になってしまいますので。
僕は一つの目標を立てるときに、目標の中に内包する複数のゴールを設定します。
目標不動ですが、内包する複数のゴール変動制を許可します。
わかりやすく例えると、ライブをする上でなるべく多くのお客様に見ていただきたいという目標を立てます。(大雑把!)
今回の最大キャパシティが1000人だったとすると、その目標は1000名ソールドアウト!となります。(※当たり前)
その目標を達成させる為に必要な複数のゴールや方法を設定します。
多くの場合、僕らの行うライブチケットには前売り料金(割引値段)と当日料金(定価)が設定されています。開催当日のみのチケット販売にしても良いのですが、それでは見込み収益を担保できなかったり、当日折角来場したのにキャパオーバーで入場できないお客様が発生してしまったり、というような様々なリスクが生まれます。そのリスクヘッジをする為に前売りチケットという制度を使います。
しかしそれは運営側の効率の話であって来てくださる一人一人のお客様には何のメリットもありませんので、その代わりと言ってはなんですが、「当日料金よりも価格を下げる」ことによってお互いがWin Winな状態になるようになっています。
この時予定を確実に立てられるお客様であらば迷いなく前売りチケットを購入すると思います。
中には「仕事がその時間までに終わるかまだ見通しが立たないが間に合えばぜひ行きたい!」という方は当日チケットが残っていることを願って当日を迎えるでしょう。
その時にチケット収益に関する計画内容が変わるので、運営側はいくつかの想定をします。(※変動性
発売後、ある地点において、

・"前売りチケットがソールドアウトした"
前売り値段×1000名=興行収入
当日 値段×0名=興行収入(0円確定)
<その時点で本番まで集客に関してはミッション無し>

・"前売りチケットが800枚売れている"
前売り値段×800名=興行収入(伸びしろあり)
当日 値段×200名=興行収入(最大目標値)
<その時点で本番までに集客に関するミッションあり>

と計画や想定の中に"0"を実数として盛り込むことによってある地点のそれ以降の行動に変化が生じます。
もちろん理由はこれだけにはとどまらず様々な場面で"0"を意識的に設定することにより、最終的な目標をクリアするために必要な過程(ミッション)を作ることができます。(※あくまで1000名ソールドアウトという目標不動にしながら。)
このように"0"と向き合うことによって、生まれてくる何かがある以上、「無い」ものとして扱うことはできません。
では本当のZeroとはなんなのか、
それは"Zero"でも"0"でも"零"でもなく
「無」と僕は呼びます。
冒頭でも書きましたが"0≠無"と定義していますので、この二つは別ものと考えています。
「無」とは思考の及ばない場所にあるものと定義しています。(※現時点で)
数式で言えば、"無>正の数>0>負の数>無"となります。
ファンがいてアンチがいてその下に無関心が潜んでいることもあれば、まだ出会っていないだけのファン予備軍もいます。どちらにせよお互いに現時点で相手の存在認識をしていないので、もしくは認識する気がないのでその先にお互いが交わる可能性が見えません。これを僕は"無"の状態と捉えています。
感情としても、正の数を超えた"無"あらばポジプティブな"無"(※ファン予備軍)ですが、負の数を下回った"無"(※無関心)はだいぶネガティブです。しかし思考の及ばない部分なのでどちらかを把握することは不可能に近いです。
対して"0"は正でもなく負でもありませんので、ネガティブでもなくポジティブでもありません。境界線なので中立です。どちらの要素も持ちません。

この思考の及ばないものがあるからこそ"無"はロマンがあると思っています。
どんな人、物、所など全ての事柄において自分にとっての"無"正も負も含んだまだ見ぬ可能性になります。
近い言葉で言うと"無限"かもしれません。
ただ"無限"というとなんだか、全人類に対して異なることなく平等に!という枕詞が付きそうなイメージ(※円周率とか)があるので正確には違うのですが。。。
個人個人で能力の差や環境の違い、経験値の量などで見える世界は変わってきます。
そして、それらが増えれば増えるほど"無""0"から遠のいていきます。自分の可能性の可視化域が増してくるわけです。
稀に天才肌と言われる、そういった経験を無くしても始めからぶっ飛んだ発想する方もおられますが、僕はそうではありませんのでなるべく多くの経験を得、人と出会い、少しでも自分から"無"を遠ざけ可能性の幅を広げていきたいと思っています。

長々と"Zero"やら"無"やらを好き勝手に書いてみましたが、結局好きな論語の一文が全てを物語っています(笑)
「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」
これを座右の銘に掲げたいとおもいます!!

いじゃう。

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