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喫茶店での密かな愉しみについて。

あるとき、喫茶店に一緒に行った母が幼かった私に教えてくれた。

「あなたのお父さんはね、コーヒーにミルクを入れて混ぜずに眺めるのが好きなのよ」、と。

コーヒーにミルクを入れてしばらく眺めていると、一度は沈んだミルクがぷつぷつと小さな気泡のように水面に上がってくる。
物を作る仕事を長くやっており芸術的な感性が強い父は、それを飽きずにずっと眺めていたのだという。

(こうやって書くとまるで父が他界してしまった後かのように聞こえるけれど、彼は今も40代前半でピンピンしているので心配しないでいただきたい。)

私の実の母と父は、私が小学生の頃に離婚しているので
母が懐かしがるように教えてくれたのは、若かった頃に2人で行ったどこかの喫茶店を思い出していたのかもしれないし、父と共に暮らしていた頃を思い出していたのかも知れない。

父は確かに母が大好きで、母も確かに父のことが大好きだった時間があったのだ。「この人となら」「この人じゃなきゃ」と思ったことが確かにあったのだろう。
娘として少しくすぐったい気もするけれど、結果として今2人で共に歩む人生ではないけれど、それってとても尊くて素敵な事実だと私は思う。

私は人間として父のことも母のことも尊敬しているし、「ままならなさ」も含めて愛すべき家族だ。母から聞いた思い出はなんだか内緒めいていて、少し甘い香りがして、私にとっても愛しいものとなった。

母からその思い出を聞いたことが今でも忘れられずに、喫茶店でコーヒーを頼んだ時はついついミルクに手が伸びる。
そして、ミルクをそっと注いだ後は混ぜずにコーヒーの表面で踊るミルクの模様を眺める。

瞬間ごとに変わっていくミルクが織りなす模様を見ているうちに、その向こうに若い頃の父と母の気配を感じる。
私と同じようにコーヒーを眺める父と、少し呆れたようなポーズをとりながらもその父を眺める母の、穏やかで甘やかな時間を感じながら、今日もコーヒーに浮かぶミルクを眺めている私なのだ。


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