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出雲の魔女(大叔母)が死んだ。

タイトル通り、大叔母が今朝亡くなった。
私の実家は島根。
大叔母は出雲の人間であるので、まさに「西の魔女が死んだ」ならぬ「出雲の魔女が死んだ」状態。

悲しさや寂しさはもちろんあるけれど、本当にいろんな素敵な思い出を貰っているから「いっぱい遊んで楽しかったね、ありがとう!長い間お疲れ様でした。」と敬意を持って、笑って送りたい。

今日だから書き残せる言葉もあるんじゃないかとnoteを書いてみている。
今はまだ実感が湧かない。多分もう少し時間が経って、実感が伴って来たら悲しさと戯れることになるかもしれないな。
それはそれで味わうとして、今の感情を残しておこうと思う。


おばちゃん。
私の中で、おばちゃんは素敵で不思議な魔女だったよ。
いつもいつも黒い服を着ていたし、足が元々悪かったから杖をついていたし、ジブリに出てくるおばあさんのような顔だちをしていたし。

おばちゃんのベッドは魔法のベッドで、おばちゃんが望むものすべてがそこにあり、私たちが遊びに行ったときにはいろんなお菓子やお茶請けが出てきた。
それでは足らず、「なにか出前でも取ろうか?なにがいい??」と聞いてくれる(電話もベッドから出てくる。どうなっとんねん。)けれど、いつもお腹空いてないからって丁重に断っていた。だってご飯食べたやん。

あれは永遠にお茶をつぐのと同じように、永遠に食べ物を召喚するという出雲ならではのおもてなし方法だったのかしら。
おばちゃんの家の魔法のベッドも、匂いや日の入り方も、開け方の難しいしかけ付きの障子も、幼い頃のあったかい記憶と共にきっとずっと、忘れることはないと思う。

どれだけ大きくなっても いつも最後には、お小遣いを握らせてくれたけれど 私はもう社会人だったし自分でお金を稼いでいたんだよ。
何度も押し問答をして、最後には「ありがとう」と有り難くいただいて帰ってきたなぁ。

本当にあらゆる方法で、いつまでも愛し続けてくれていた。


勇敢で天真爛漫で人のことばかり考えて、優しい優しい魔女。
意地と我が強くて、それに見合うリーダーシップも持っていて。
凄く大好きだったし、今もなお大好き。

病気で苦しかっただろうに、長い間 病院や家で緩和ケアを受けながら
遺される私たちの心の準備が整うまで、待っていてくれたね。
最後まで人のことを思って本当におばちゃんらしいね。ありがとう。

おかげで、私のばあちゃん(おばちゃんの妹)は最後の最後、これ以上何もしてあげられることはないと思えるくらいまでおばちゃんのことをしっかり見送ることが出来ただろうし、私も毎日手紙を書いたりして想いを伝えられた。

それだけではなく、きっとおばちゃんの家族も 太陽みたいなおばちゃんの喪失の予感に、少しずつ準備を重ねていったんだろう。
周りの人たちの準備が出来るまで、苦しくても痛くても生き抜いたおばちゃんは、優しすぎるね。その優しさにきっと多くの人が救われた。

最後まで意地っ張りで、自分のことよりも人のことを考えてて、
おばちゃんらしいわ。かっこいいよ。


最後に少しだけ電話が出来た時
「美味しいお蕎麦屋さんを知っているから、また一緒に行こうね」って
約束したけれど、それが果たせないことだけが心残り。

一緒に行きたかったなぁ。

きっとおばちゃんの独壇場で、めちゃめちゃしゃべり倒して、
これ以上入らないよってくらい食べ物を勧めてくれて、
あれこれ忙しなく世話を焼いてくれるんだろう。
すごく楽しそう。また、行こうね。


おばちゃんの通夜と葬儀には諸々の事情もあるし、私は行かない。
今度島根に帰った時には、とびきりのおしゃれをして挨拶に行くからね。

おばちゃんの通夜と葬儀が、どうか悲しくしみったれただけの
つまらないものではなく、各々が素敵だと思う一張羅や一番のお気に入りの着物を着て、ワイワイと送り出してくれるようなものであればと願います。

最後の挨拶が出来るひとたちは、せっかくのチャンスだから素敵なお召し物と自分の持ちうるすべての陽気さで、愛すべき私たちの魔女を送ってあげてほしいと思う。
おばちゃんが見ていて楽しい時間になりますように。


さて、どんな人間でも魔女であっても 命って本当に終わる。
周知の事実だけれど、そのことを改めて肝に銘じて生きていくね。

もう生きているおばちゃんとは二度と会えないのは、寂しいけれど
おばちゃんが苦しさや痛みからやっと解放され身軽になったのは、すごくうれしい。
死んだあとって、好きなところに行けるのかな。
どうかこれからは自分の魂の赴くままに好きなところに行って、おばちゃんが心地よいといい。
無に帰るなら、それはそれでいい。

本当にお疲れさま。ありがとうね。
見ていて清々しい人生だった! またね。


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