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大伯母の入院で思うこと

母からの知らせ。
今夜、大伯母が高熱で入院したらしい。

御歳77歳。
つい、一昨日会ったばかりで動揺が隠せない。

着物が好きで、おしゃべりが好きで、人が好き。
普段は柔和なのに、着付けになるとビシリと引き締まった表情を見せる人なのだ、と最近気付けたばかりなのに。

ままならないだろうけれど、混乱と動揺を沈めるために自分の感情を文字に起こしてみる。
こんな時にもnoteは役に立つのね。

夕方に40度近い高熱が出て、緊急で病院へ。
コロナは陰性だったみたいだけれど、肺炎になっているとの事。
そう言えば一昨日会った時も、息がしにくくて酸素が欲しいくらいだ、と言っていたなぁ。

そんな状態で着付けを手伝ってくれたのか…と感謝はすれど 後悔はない。
きっと彼女も着物が好きで、私達が好きで、あの時間はどちらにもかけがえの無いものだったように感じるし、それを私が後悔したらそれこそ大伯母の気持ちを蔑ろにする事になる。

こういう局面では色々と悪い方向に考えてしまいがちだけれど、言葉にしてしまったら現実に近付く気がして、こういう時こそ意地でも前向きな言葉を選びたい。

嫌な想像は振り切って、また復活してくれる未来しか描かないようにする。


視点を変えれば、むしろ大伯母にとっては良い変化だという見方も出来る。
入院してしまえば、苦しい時に頼れる専門家がすぐ近くにいてくれるし、身の回りのこともある程度は看護師さんがやってくれる。

家事に仕事に、と家に居たらつい動き回ってしまう大伯母にとっては、この上ない療養の場なのである。

とはいえ、いちばん不安なのはきっと本人だと思うので、どうしたら気持ちの面で寄り添うことができるのか…
小さい時からお世話になっている私なのに、そこを考えることくらいしか出来ないけれど、それが出来る環境なんだから真摯に向き合いたい。

77年も体を使ってきたのなら、痛いところも思うように動かないところも出てくるだろう。
その痛みやもどかしさからくる、厭世感だったり無気力感だったりを、どうにか言葉や行動で取り除けないだろうか。

気力さえあれば、人間は回復出来ると信じているので、前向きな気持ちになって欲しい。
欲を言えば、明日を楽しみに生きて欲しい。

いつか来る最後には
〝苦しいならもう終わってもいいや〟ではなく
〝思う存分やって楽しんだから満足〟な気持ちで満ち足りた船出を迎えて欲しい。

そのために自分が何を出来るのか、改めて考える夜だ。
この時間は私にとっても大切な時間なのだろうな、と思いながら大伯母に思いを馳せる。

今回のことが気付かせてくれたのは、彼女1人の大切さでは無い。
人って、死に直面するとすごくショックで周りの人の大切さを噛み締めるくせに、直ぐに忘れてしまう。

大好きだったひい婆ちゃんが亡くなった時にも痛感したのに、また私は忘れていた。

自分自身や家族はもちろん、すれ違う人もみんな誰かの大切な人で、皆が今同じように生きていること。そしていつかは全員死ぬこと。
今もどこかで亡くなった命が沢山あって、悲しむ人がいること。
私がその全てに胸を痛めることは出来ないこと。
きっと、この胸をグッと掴むような思いもすぐに忘れてしまうこと。

こういう事は当たり前過ぎて、きっと残酷過ぎて、するりと指の間をすり抜けてしまう。
人間の防衛本能が避けるのかも知れない。
もっとずっと痛ければ良いのに、なんて幼いことを考えてしまう。
忘れたくない。
大切な人を 新鮮な優しさでずっと大切にしたいのに。

ダラダラと長くなってしまったけれど、まずは手紙を書こうと思う。
手紙を無くしてしまっても、もしも手紙を読めなくても、手紙を貰ったことはきっと忘れない。
こんなにも愛していたんだなぁ、と感じたこの気持ちを持ち得るいちばん柔らかい言葉にしてみよう。

ここまで書いてきて、あんなに落ち着かなかった心が緩やかに前を向いている。
自分の気持ちに向き合う時間って、必要ですね。
色々な気持ちを感じさせてくれたおばちゃんに感謝。
元気になってまた会うぞー!

もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃるなら、貴方にも感謝。
貴方にとっても、優しい夜でありますように。
おやすみなさい🌙

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