【ふなログ665】親子登山をキッカケに「ワガママ」に生きる決意を新たに。
■明日、長女と富士登山してきます!
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夜中の3:30あたりに出発し、
5:00頃に富士宮五合目の下、水ヶ塚駐車場に到着予定。
長女はすでに就寝。
これを書いたら私も寝ます。
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先週末に登った後に「返す刀」で、
初の親子登山にチャレンジ。
どこまで登れるか分かりませんが、
長女の意思と体調を尊重します。
(その前に私がくたばったら話にならないですがw)
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以前、私の中では
「七合目まで行ければ御の字」それ以降は行かずに、
下山すると考えていましたが、
登ってみなければ実際のところは分かりません。
長女としては登頂したい!
という気持ちが満々。
もちろん、
「簡単な話ではない」ことは十分伝えています。
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しかし、
本人の登る心も折れておらず、体調も問題なければ、
私から一方的に下山を決めるのも、
ある意味「エゴ」だと気付きました。
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自分の可能性を活かすも殺すも自分次第です。
しかし、
親の一方的な判断で決めるのも問題です。
本人が嫌だというのに
強引に連れて行くのは親の「エゴ」ですが、
登りたいのに
強引に引き返すのも親の「エゴ」かもしれません。
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もちろん、
「危険」と判断したら
問答無用で下山を決めます。
その責任は親である私にあります。
しかし出来るだけ、
富士登山の楽しさを知ってもらうのが、
何度も登頂している親である私の役割です。
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ともに山頂でドヤ顔している写真を撮るのが、
私の「エゴ」であり、ワガママですが私の目標。
一度しかない人生、
「ワガママに生きようとしちゃならん」
というのが多くの人の信念かもしれませんし、
私にも過去かなり根付いていた信念でした。
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しかしそれは、
「ワガママに生きる」というのが誰かを傷付けたり、
無責任に生きる、ということのように
勝手に意味付けていた結果のような気がします。
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人は社会で生きる存在ですし、
資本主義社会に生きる立場であれば、
経済を無視して生きることはできません。
能力的なこともしがらみになる場合もあります。
それらのしがらみの中で、
「ワガママ」という自分の「エゴ」「欲求」に向き合い、
どちらか一方を殺してどちらか一方を得る、
というような簡単な話ではない、ということです。
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人である限り「エゴ」があります。
しかし、しがらみと向き合い格闘しながら、
自分が生きたい人生を
責任もって生きることが大切です。
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しがらみを言い訳にして、
安易に自分の「エゴ」から目を逸らしていないか?
「エゴ」から目を逸らすことで
逃げるように「正義」を偽っていないか?
もちろん、
「エゴ」を通すのは容易な話ではありません。
その分、様々な苦難や痛みに
立ち向かう必要があるのも言うまでもありません。
それこそ自己責任。
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しかし、
そういった苦難や痛みから逃げずに、
向き合って乗り越えた先に、
自分が求める生き方が実現できるのであれば、
これだけの喜びに震える人生はないはずです。
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これまでの富士登山では、
そのような喜びを何度も味わってきました。
しかし、
私もそろそろ富士登山だけではなく、
自分が抱える普段の問題や苦しみにもっと向き合って、
克服していくのを、
この「親子登山」をキッカケにしていきます。
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人それぞれ、
人生の課題にぶつかった時、
そこに立ち向かうか目を逸らすか?
常に試されています。
あなたの人生の課題は何ですか?
向き合うことで、
前に進むことができる「痛み」や「苦しみ」は何ですか?
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自問自答しながら床に就き、
明日、親子の登山を楽しんできます!
(寝坊せんように!!!)
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それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。
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