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3月22日〜23日 第1巻『唖の十蔵』

3月22日

朝起きると引き続き低気圧で、頭痛はするし体は重いしうっすら吐き気はするし……立ち上がりがすこぶる悪い月曜日、以前に買ってあった「テイラック」を服用して、何とか抵抗する。

なかなか本を読みださない、という引っ張り方もあるかなと思ったが、それをやったところでどうなるのだと思い直し、通勤の電車内でいよいよ『鬼平犯科帳』の第1巻を開く。鬼平犯科帳は基本的に短編集であり、第1巻には短編8本と植草甚一による解説が収録されている。「スクラップブックの人だ」と思うが、著作は読んだことがない。

1篇目は『唖の十蔵』。あやのさんの勧めで中村吉右衛門版ドラマの第1シリーズは見ていたので、読み始めてすぐに「あー、これはドラマ版の『むっつり十蔵』か」と気づく。たしか「唖」という言葉が差別的であるとして放送禁止用語だったはずで、それに合わせた改題なのだろうな。
ドラマ版だと十蔵役は柄本明で、生真面目で正義感もありながら、貧乏や家庭の不和などに悩み鬱屈としたものを抱えているキャラクターとして抜群な演技を見せていた。実写化作品を見た後に原作を読む、というのをあまりしないタイプなので、既に結末を知り、あの柄本明の演技(特に平蔵から「愚か者!」と言われた後の、呆然と戦慄が混在した表情)が脳内にばっちり刻印された状態で読むのは不思議な感覚だ。

午前中は体調が最悪だったが、仕事が忙しくないタイミングだったのが幸いで、ほとんどデスクでぐてーっとしていた。

昼食はガストで日替わりランチを食べる。最近Tポイントを貯めて投資信託を買うのがルーティンになっているので、昼食はもっぱらガストか、天気がいい時はファミマで何かしら買って公園で食べるという感じだ。

外にいるときはポッドキャストをずっと聞いていて、今日は『銀シャリのおトぎばなし』をぼんやりと聞いていた。急に「小学生の頃に土を食べてた」と言い始めたり、「空気は基本汚れているから、それに比べたら自分の手は洗ってなくてもキレイ」という謎理論を展開させたりと、鰻さんのナチュラルな変人っぷりがすごい。他愛ない雑談でゲラゲラ笑っているうちに30分経っていて、あんなに面白かったのに後には何も残らない感じが心地のよい番組。

午後はぽこぽこと仕事が入ったがある程度こなして帰る。雨が降ってきたけど、折り畳み傘がなくて、しかし新しく傘を買うのも癪だったので濡れて帰る。降雨量は多くないが、風が強い。

『汝のウサギを知れ』からの流れで、同じデ・パルマ監督作『殺しのドレス』を見る。かなりヒッチコックの『サイコ』なんだけど、サスペンス演出は流石に見応えある。美術館を舞台に、男女間の見る・見られる関係性が追う・追われる関係性へ変わり、さらに追わせる・追わせられる関係性へと二転三転、それにつれて緊迫感が増していくシークエンスはとても好き。ただこれ、犯人の設定や描き方に関しては『トランスジェンダーとハリウッド』で問題にされてる範疇でもありそうなので、そちらも早く見なければ(というかNetflixのプリペイドまた買わねば)。

で、ここで唐突に鬼平犯科帳へ戻るんだけど、『唖の十蔵』の冒頭を読みながらデ・パルマやヒッチコックの映画を思い出していた。
同心・小野十蔵が、新鳥越町4丁目の小間物屋の前に立つ。その店の主人・助次郎が賊の一味であるという疑いがあり、偵察に来たのだ。仲間から「唖の十蔵」とあだ名されるほど無口な彼は、偵察の際には虚無僧の格好をしているから、笠で顔を隠している。物言わぬまま人知れず、店の様子をただ「覗き見る」だけの存在として、十蔵はそこにいる。覗き見というと『殺しのドレス』含むデ・パルマ作品に頻出するけど、その源流はやっぱりヒッチコックで、『裏窓』『めまい』などが僕の脳裏をよぎっていく。
店の様子がおかしいと中へ入ってみると、助次郎が縄を首に巻かれて絞殺されていた。殺したのは、遺体のそばで泣いている助次郎の妻・おふじだ。思わず十蔵は、おふじへ声をかけてしまう。匿名の覗き見の立場を捨てて、おふじへ情けをかけてしまうことで、十蔵は悲劇の登場人物に仲間入りするのだった。この辺りも、尾行対象の女性に関わることで悲劇的な物語が展開する『めまい』なんかを思い浮かべながら読んだ。
ヒッチコックが撮った『唖の十蔵』、見てみたいけど、きっとそちらでも十蔵役はジェームズ・スチュワートではなく、柄本明だろう。

3月23日

見る側だと思っていたら見られる側だった!という立場の反転がある作品が僕は大好物で、大学の卒論のタイトルが「覗き見の映画史」だったくらいだ(その中でもヒッチコックを扱った)。
『唖の十蔵』も、後半を読むとまさにそういう展開。はじめは虚無僧姿の偵察者として「見る側」だった十蔵は、おふじに同情し助次郎の遺体を隠蔽する様子を、賊の一味・梅吉に見られてしまう。見る側は見られる側に対して、いつだって優位だ。梅吉はおふじを誘拐し、逮捕されている賊の仲間を開放するよう、十蔵を脅す。仲間にもしものことがあれば、おふじを殺した上で、お前のやったこともバラしてやる。十蔵が窮地に陥る一因として、「見る側から見られる側」への転落がある。

ここまで書いて、それにしても昨日の日記、長すぎじゃないか、と思う。1800字弱ある。元来、三日坊主の免許皆伝というくらいには飽きっぽいというか、面倒臭がって放り投げてしまう性格なので、毎日こんな量を書いては続くものも続かないぞ、と思いながら、それも書いている。

昨日から引き続きの業務は、午前中に片づけてしまった。
昼休憩で外に出ると日差しが暖かく、近所の公園では桜が咲いていて、芝生の上でレジャーシートを敷いてのんびり過ごしている家族がいたりする。子どもがしゃぼん玉を吹いている。しゃぼん玉は春の季語なので、もうすっかり春だなぁと朗らかに思っている間は、昨日雨に降られた寒い寒い帰り道のことなど忘れている。
ファミマで買ったサンドイッチをパクパク食べる。そのまま近くのブックオフを覗いたけど、これは習慣的な品揃えチェックだったので、ぐるりと本棚を見て回って、特に何も買わずに会社へ戻った。僕はブックオフのヘビーユーザーなので、定期的に調子を確認しに行く店舗がいくつかある。

午後は忙しくなく、まったりしてたら終わった。そそくさと定時で退勤して、もう実は出勤時の電車の中で『唖の十蔵』は読み終わってしまっていたので、帰りの電車で読むものがなかった。次の短編に移りゃいいんだけど、日記で半端に書くことになるとキリが悪いし……。

全24巻を1年かけて読むなら1ヶ月あたり2巻ペースで読まなければいけないわけで、そうなると2日かけて短編1作読むのがいいペースなのだが、短編が2日かけて読むほどの長さではない。鬼平を読む適切なスピードをまだ測りかねている。1年間で全巻読破なんて自分で敷いたルールなのだから、適当にすればいいのだけど。

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