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3月28日〜31日 第1巻『浅草・御厩河岸』

3月28日

前夜、なかなか寝付けなくてなにか映画でも見ているうちにうとうとするかな、と思って選んだのが、よりにもよって実写版『賭ケグルイ』。負けたら2億円の借金を背負う頭脳戦がものすごいテンションで展開されて、結局最後まで見てしまう。寝たのが早朝4時前。

昼前まで寝たかったのに8時ごろには目が覚める。眠い。

昼からはラテさん・神山くんが主催している月末読書会にZOOMで参加。今回の課題本は佐々木中『切り取れ、あの祈る手を』で、僕はたぶんこの本が刊行されてすぐ話題となっていた時期に読んでいた、それ以来の再読だった。初読時、僕はまだ大学生で、割と書いている内容をそのまま丸のみしていた気がする。10年近く経っての再読は、ある程度距離を保って「それってどうなの?」という疑義も持ちながらになり、それをみんなでわいわいと共有できたのは楽しかった。
ちょっと読んでて引っかかったのは、革命というのは結果もたらされるものであって、本を読み始めたときに「革命」を目的にしては読んでいないだろうということ。いや、著者も「革命を目的とした読書」という話はしていなくて、読み書きの営みが革命となっていく、という時系列ではあるんだけど、この本が最終的に「革命について」というパッケージングになった結果、どうしても革命が目的化しているようにも思えてしまって、どうなのかしらん、という気持ちになった。
たしかに本を読んでしまったことで、考え方や行動が変わり、アウトプットの内容が変わり、それが周囲へ波及していくことはある。ただ、最初の「読んでしまった」段階では、まだそれが革命になり得ることにはいつも気付いていないはずだ。読むのが楽しいから読んでるわけだし。ただ、本を手に取るときには多少「こういうことを知りたい」という期待もあるわけで、その期待がそのまま革命にまで至るものなのかはよくわからなかった。

夕方から新文芸坐に行きたいと思っていたけど、さすがに寝不足がピークだったので、家で18時くらいに寝てしまう。そのまま8時間くらい寝れたらよかったものの、起きたら22時だった。眠いけど寝られず、録画していた宮藤官九郎・作の舞台『印獣』を見て過ごす。スティーブン・キング、ミーツ、三田佳子といった感じの作品。と言っても僕はスティーブン・キングを何作かの映画だけでしか知らないのだが。

3月29日

更なる寝不足を抱え込み、なかなか午前中は仕事が捗らず、かなりしんどい状態。午後からちょっと持ち直した。
中村吉右衛門が緊急搬送のニュース。とりあえず療養中とのことなので容体は落ち着いているのかもしれないが、今まさに鬼平を読んでいることもあって心配は募る。

仕事終わりはまっすぐ帰って早寝。2日連続で鬼平読めず。

3月30日

比較的よく寝れたので調子が戻ってきた。仕事の物量がじわじわと増えてきているので、ちょっとコロナ禍の影響が薄れつつあるんだろう。「もう我慢の限界」となっているところが多いのかもしれないが。

帰りに新文芸坐へ寄ろうか迷ったか、時間が厳しかったので見送る。またいつか見れるかしら市川崑初期作。

で、ようやく鬼平犯科帳を読み進めた。今日から『浅草・御厩河岸』。『血頭の丹兵衛』では、賊の頭領の堕落が描かれたが、今作では「盗む者も泣きを見ず、盗まれる者も泣きを見ず」という大盗賊の理想を貫く頭領・海老坂の与兵衛が登場。更に「真の盗賊のモラル」まで語られる。

一、盗まれて難儀するものへは、手を出さぬこと
一、つとめするとき、人を殺傷せぬこと。
一、女を手ごめにせぬこと。
(『鬼平犯科帳 一』文庫p131)

「鬼平」の世界では盗賊にも、誇りを持って盗みを働いている者から、心根の腐った下衆な悪党までグラデーションがある。ひと口に賊と言っても、その中にはちゃんとそれぞれスタンスの異なる個人が息づいている。

新年度になるし何か新しく勉強してみたいな~、という気分になり、とりあえずNHKの語学講座を観てみることにした。「テレビで中国語」「テレビでハングル講座」の2番組がちょうど今週から初回スタートなので、毎週録画しようと思う。大学時代の第二外国語はフランス語だったから(それも一年間だけだったので、もはや何も覚えていない)、完全にゼロベースだ。
今日は「テレビで中国語」で、そもそも中国語と言っても地域によって異なったり使ってる文字が違ったりするよね、という基礎知識がメイン。どうやら中国語学習は発音の難しさが初学者にとって大きな壁のようで、同じ音でもトーンの上げ下げで意味が異なるらしい。先生の発音に続いて「マー、マー、マー、マー」と言ってみる。字面は同じ「マー」だが、声の出し方は第一声~第四声へと変えていく。第三声が難しい。
ゼロの状態から「あ、そういう感じなのね!」と知識が増えていく感覚が、なんだか久々で新鮮な気持ちだ。テレビを消した後も、ちょいちょい呟いてみる。マー、マー、マー、マー。

3月31日

月末。午前中は仕事が忙しめだったが、午後から手が空いたので、会社のブログを書き進める。基本的に何を書いてもOKというルールなので、「日本翻訳大賞」を紹介する記事を書いていた。

『浅草・御厩河岸』。小さな居酒屋の主人・岩五郎は盗人であり、しかも火付盗賊改方の密偵でもあった。リスペクトすべき賊の頭領と出会い心底惚れ抜きながらも、自分の家族を守るために密告を決意する。善悪というのでもない家族への責任や保身も混じった案配で、しみじみと終わっていく。それにしても岩五郎の生い立ちががっちり語られたり、与兵衛の盗みの計画が数年がかりだったり、サクッと読める短編なのに、情報の密度が結構濃い。それでいてとうとう、平蔵本人が登場するのは最後にちょっとだけ。「鬼平」を冠しながらも、視点は江戸の市井にあるシリーズなのだな。だからこそ24巻も続いたのだろう。

今日は「テレビでハングル講座」を見た。表音文字のハングルの母音には陰と陽があって、陽母音の言葉は明るいイメージ、陰母音の言葉は暗いイメージが多いというのを知って早速面白いなーとなっている。昨日の中国語は表意文字な割に微妙な音の上げ下げを練習していたし、その意外さによってとりあえず楽しい出だし。

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