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200.存在しない友だちについてのリミックス(あかねちゃん/まこちゃんの前夜)

あかねちゃんとは今でも仲良しだ。ただ、あかねちゃんがあの時、私のどこを「変わった」と感じたのかは、未だに聞けずにいる。

あかねちゃん(リライト)1

あかねちゃん。谷津明音ちゃん。私とあかねちゃんは小学校から高校まで一緒の幼馴染だった。あかねちゃんは小学生のころから身長が高くて、中学と高校ではバレーボール部のエースアタッカー。私は背が低くて、名字が浅野なので、あかねちゃんとは背の順でも名前順でもずっとクラスの両端を担っていた。
あかねちゃんと最初に仲良くなったきっかけは正直、全く思いだせない。休み時間に男子に混ざってドッジボールしたり走り回ったりしていたあかねちゃんと、ずっと教室で過ごしていた読書好きの私が、どうやって友人になったのか今でも不思議だ。

わたしは覚えている。最初に茉子と話したのは小学1年生のときだ。わたしは、日直の当番だった日に高熱が出て、学校を休んでしまった。小学校に入って最初の日直だったのに。
休んだわたしの代わりに日直をやることになったのは、出席番号1番の浅野さん、つまり茉子だった。熱が下がって学校に行ったら、「ごめんね、日直代わってもらって」って謝ろうと思った。
でも、教室に着いて、先に話しかけてきたのは、茉子の方だった。
「谷津さん、熱下がったん? もう大丈夫?」
「え、うん」
「よかったぁ」
「日直、浅野さんがやってくれたんやろ? ありがとう」
「そんなん、ええよ。順番やし」
「……そっか」
「そうやで。谷津さんの前の人が休んだ時は、谷津さんが代わりに日直やるねんから。順番やん」
「……そう言われたらそうやな。わたし、急に休んだせいで浅野さんにわるいことしたなぁって思ってた」
「だからええねんって、熱あったら仕方ないもん」
「そっか」
「そうやで」
これが、わたしと茉子の最初の会話。他愛ないけど、わたしはよく覚えている。この会話がきっかけで、わたしたちは毎日話すようになって、中学も、高校も、その後も、ずっと親友だった。

わたしは覚えている。

まこちゃんの前夜 1

駐車場の明かりに照らされたまこちゃんは、長い髪の毛をかきあげると、缶コーヒーを一口飲む。そのあと吐く息が白い。僕は、まこちゃんとタツオキが乗ってきた車のボンネットに寄りかかってそれを見ている。

「街を出る前に会っておきたい人がいる」と、タツオキが切り出したのは、車を走らせてしばらく経ってからだった。まこちゃんは「もしかして元カノ?」とおどけて聞いてやろうかと考えたけど、気まずくなるのが嫌でやめた。これから何時間もふたりきりで車に乗るわけだし、向こうに着いてからもずっとふたりで暮らすのだから、出だしでつまずきたくはなかった。

「車の中で待ってたら? 寒いよ」と僕は言う。
「ううん、このまま待ってる」
まこちゃんはタツオキが入っていった斜向かいのアパートをちらりと見る。タツオキのいる部屋の窓だけ明かりがついているが、磨りガラスになっていて中の様子まではわからない。
「よかったのかな、こんな夜中に訪ねていっても」
「仕方ないでしょ。今を逃したら当分会えないだろうし。それに、車はタツオキが運転してるんだから」
「せめて、相手が誰なのかとか、聞いてもよかったんじゃない?」
「いいよ、そういうのは」
まこちゃんはもう一度缶コーヒーに口をつける。缶の中身がほとんど残っていないことを僕は知っている。

そもそも、この逃避行はすべてタツオキに原因があった。街を出ることも、次に住む場所も、タツオキが決めた。まこちゃんが決めたのは、タツオキについていくことだけだった。「一緒に来てくれるよな?」とタツオキが訊いて、まこちゃんは無言でうなずいた。そして、まこちゃんはタツオキが何をしでかしたのかもほとんど知らされないまま、真夜中の駐車場で待たされている。
もちろん、僕もタツオキが何をしたのかは知らない。まこちゃんが知らないことを、僕が知っているわけない。

あかねちゃん(リライト)2

あかねちゃんは男子によくモテた。顔も可愛くてスタイルもよく、いつも溌剌として元気。その上、とっても親切で、「人気になるのも当たり前やなぁ」と私はいつも思っていた。あかねちゃんに告白した男子は数えきれないほどいたが、全員玉砕。フラれた男子から「何があかんかったと思う?」と、なぜか私が相談を受けたこともあった。
あかねちゃんだって他の女子と同じくらいには、恋愛に興味があった。だけど、好きになったのはいつも、決して自分とは付き合ってくれない相手だ。

あかねちゃんの初恋は小学1年生の時で、相手はおそらく当時50代後半だっただろう校長先生。いつもにこやかで穏やかな雰囲気だったとはいえ、父親よりもかなり年上の校長先生はお爺さんのように見えた。
しかし、あかねちゃんは本気で校長先生のことが好きだった。どうやら「生徒全員の名前と顔を覚えていて、優しく声をかけてくれる」という、努力家で生徒想いなところに惹かれたらしい。

「校長先生のことが好き」というわたしの相談を、茉子は真剣な顔で聞いてくれた。そして、「あかねちゃんが秘密を教えてくれたから、私の秘密も、教えるね」と言った。
「私にはな、見えない友達がおるねん」
茉子がそんなことを言い出したので、思わず周りを見回した。放課後の教室には、わたしたち二人以外に誰の姿もない。
「え、なんか怖い話?」
「ううん、お化けとちゃうくて……。なんて言ったらええんかな。私がひとりぼっちの時に出てきて、話し相手になってくれるっていう感じ」
わたしは、茉子がひとりごとをぶつぶつ言っているのを見かけたことがあった。その時も“見えない友達”と会話していたのだろうか。
「その友達って、今ここにもおるん?」わたしはおそるおそる尋ねた。
「ううん、私が一人の時だけ出てくるねん。それで、ずっと私と彼で話したりして過ごすっていうか」
「男の子なん?」
「そう、同い年くらいの」
「名前は?」
「うーん、名前で呼んだことないから知らんわ」

それ以来、茉子は“彼”とどんな話をしたのか、わたしに教えてくれるようになった。内容はどれも大したことなかったけど、茉子はずいぶん楽しそうだった。茉子とそんなにも仲のいい“彼”のことが、ちょっと羨ましくもあった。

私たちが小学4年生の時、校長先生が退職することになり、あかねちゃんの初恋は終わった。

まこちゃんの前夜 2

駐車場とアパートの間に横たわる車道を、自転車がライトもつけずに猛スピードで駆け抜けていった。自転車に乗っている人物の顔は見えなかったが、きっと若い男だろうとまこちゃんは思った。僕もそう思う。

「怖いんだよね、車の中で待つのって」とまこちゃんが言う。
「怖い?」
缶コーヒーを持つまこちゃんの右手の小指がピンと立っていて、そこだけが光に照らされているように感じる。
「小さい頃ね、小学校1年生とかそれぐらいのとき、休みの日はお父さんにドライブに連れていってもらった。ファミレスに行ったり、広い公園に行って遊んだりして」
「うん」
「その帰りに、たまにお父さんは車を路上に停めて、『ちょっと待ってて』って私を残して、何かの建物に入っていくことがあった。今思えば、仕事の用事を思い出して会社に立ち寄ったんだってわかるけど、そのときの私には何もわからなかった。お父さんも『用事があって』としか言わなかった。車の中で待っている間、いろんな想像をして、不安になった」
「想像って?」
「まず、お父さんが二度と戻ってこなかったらって想像した。私は車の中でずっと待ってる。そのうち夜になって、朝が来て、でも、お父さんは姿を見せない。私はお父さんを探しに行けない。車の中で待ってるように言われてるから。お父さんが帰ってこなくても、約束は守らなきゃって思ってた。それから次に想像したのは、知らない誰かが突然、運転席に乗り込んできて、勝手に車を走らせて、私を遠くへ連れ去ってしまうこと。それも怖かった。そうなったら私はどんなひどい目に合わされるんだろうと考えると震えが止まらなかったし、それに、お父さんもかわいそうだと思った。だって、待ってくれてると思った娘が車ごといなくなってるから。それはさ、お父さんとの約束を破ることにもなるし。置き去りにされるのはすごく怖かったけど、置き去りにする方が怖かったのかもしれない。だから、お父さんの『ちょっと待ってて』のあとの、車の中で怖いことを考えているその時間も怖くて、気を紛らわせたくて、誰か、話し相手が欲しくて」

あかねちゃん(リライト)3

その後のあかねちゃんはというと、中学校で教頭先生に好意を抱き、高校では生活指導も担当しているおっかない数学教師に片想いをした。
高校2年の頃、「あの先生と谷津が付き合ってるらしい」という噂が校内に流れた。真偽を確かめたい男子はまたもや私に「あの噂、ホンマなん?」と聞きに来て、そのたびに私は「あかねちゃんの方は好きらしいけど、付き合ってへんと思うよ」とだけ答えた。
噂を聞いた先生がちょっとその気になりはじめ、なれなれしく接してくるようになると、途端にあかねちゃんは先生への興味を失った。別にあかねちゃんは年上好きというわけではなく、ただ単純に、誰かに好かれることが苦手だったのだと思う。
「ずっと追っかけている方が、なんか、しっくりくるねんなー」と、学校帰りに寄ったマクドナルドで言っていたのを覚えている。

マクドナルドを出て、駅まで歩く。茉子が“彼”との話をしてくれる。わたしは相変わらず「ふぅん」と気の抜けた相槌を打つ。駅に着いて、同じ方向の電車に乗る。茉子はバイトがあるから、わたしより3駅手前で降りる。「じゃあね」とお互いに手を振って、別れる。

茉子はバイト先に着くまで“彼”と話すのだろうか。
電車に揺られながら、わたしにも“彼”がいたらいいのに、と思う。わたしは、茉子にも言えないことを、“彼”に打ち明けるだろう。小学校まで普通に遊んでいた男友達が、中学に上がったくらいからわたしのことを異性として意識し始めて、それがなんだか気持ち悪いこと。わたしは普通にしているつもりなのに、男子に媚びてるみたいに思われて、女子のクラスメイトから嫌われていること。学校の先生に好意があるように振る舞っているのはーー少なくとも、中学以降はーークラスの女子たちに「わたしは男子に興味ないから。あなたたちの敵じゃないからね」ってアピールするためだってこと。そのスタンスひっくるめて、女子生徒の中で浮いてること。わたしは茉子が思っているような人気者じゃないこと。親友と呼べるような友達が、茉子しかいないこと。

茉子のことを本当に、本当に、親友だと思っていること。

まこちゃんの前夜 3

「茉子」

タツオキがまこちゃんの名前を呼んだ。いつの間にかアパートから出てきていたタツオキが、車道をふらふらと渡ってこちらに歩いてくる。タツオキには僕が見えないので、まこちゃんも僕なんていないふりをする。
「ごめん、待たせた」
「もういいの?」と言いながら、まこちゃんは僕がいる辺り、ボンネットの方へと目を泳がすけど、まこちゃんにも、もう僕は見えない。
「いい。納得した」
タツオキがまこちゃんの手から缶コーヒーを奪う。思っていたより缶が軽くて、笑う。
「何、納得って」
まこちゃんも笑う。
「車の中で話す。思ってたより遅くなっちゃったし。途中でコンビニ寄る?」
「寄る。飲み物ないから」
タツオキが運転席へ、まこちゃんが助手席へ乗り込む。まこちゃんは僕が車に乗っていないことに気付かない。

さっきまでタツオキがいたアパートの一室はいつの間にか明かりが消えていて、駐車場以外はすべて闇に沈んだように感じる。

車が動き出す。今まさに駐車場から道路へ出ようとした目の前を、無灯火の自転車が横切った。急ブレーキを踏んで、タツオキは舌打ちをした。まこちゃんが後ろを振り返る。駐車場の備え付けの電灯が照らす辺りを見つめている。でも、まこちゃんはもう、僕のことを思い出すことさえできない。

あかねちゃん(リライト)4

同棲に向けて準備を始めるらしく、あかねちゃんの部屋の隅には引越用の段ボールが置いてあった。
「あかねちゃんが、誰かと付き合う日がくるなんてさぁ。人って変わるものだね」と私がしみじみ言う。
「そんなん言うたら、茉子も変わったと思うよ」とあかねちゃん。
「そうかな?」
「うん。めっちゃ変わった」
「どこが?」
「うーん……、なんて言ったらええんかな……」って、わたしは悩んで、茉子がわたしとの会話でさえ関西弁ではなく標準語で話すようになってしまったことも変わったことのひとつだけど、と思いながら、一番気になっていることを聞く。
「……なぁ、“彼”、元気?」

「え? あー、言ってなかったっけ、別れたよ」
当時の私は、数年間同棲していた恋人と別れたばかり。一方的に私が捨てた形になってそのまま音信不通という、割とひどい破局の仕方だった。
「……そうなんや。……茉子さぁ、寂しくない?」
「寂しくないよ。むしろふっきれた感じ。今まで惚れた弱みっていうかさ、彼の言うことばっかり聞いてた感じだから、別れてからは伸び伸びできて、毎日楽しいよ」
その言葉は心からの本音だ、とわたしにもわかった。茉子は、“彼”のことを忘れてしまっていた。何年も何年も、ずっと話し相手だったはずの“彼”を。

まこちゃんの前夜 4

僕はまこちゃんを見送った。
そして、小さくなっていく車の輪郭を見つめながら、まこちゃんのこれからを想像する。
車を運転しながら、タツオキはアパートの一室で何があったのかを面白おかしく、しかし大事なところをはぐらかして語るだろう。まこちゃんはそれを聞きながら、このまま彼についていっていいのだろうかと考えている。車がコンビニの前で停まる。店に入るとタツオキは「なんか、適当に買っといて」とまこちゃんに伝えて、自分はトイレへ。まこちゃんは棚からペットボトルのお茶を手に取って、ふいに、タツオキをここで捨ててしまおうと決める。咄嗟の判断だ。お茶を棚に戻し、店を出る。車でここを去ろうと思うが、鍵はタツオキが持っている。歩くしかない。まこちゃんはさっき車でやって来た道のりを、歩いて引き返し始める。段々と歩調が速まり、そのうち全力で走るようになる。もはや、さっき通らなかった、全く知らない道を走っているけど、まこちゃんは気にしない。とにかく走る。走る。走る。タツオキは追いかけてくるだろうか。いや、まこちゃんを追って引き返すよりも、この街を出ることを優先するだろう。まこちゃんはタツオキを置き去りにして、タツオキはまこちゃんを置き去りにするんだ。そのことに気付いて恐ろしくなり、でももうやり直しがきかないから、まこちゃんは進むしかない。次第に夜が明ける。少しずつまこちゃんの目に、街の風景が映し出されていく。沈黙していた世界が、微かに息を吹き返したように感じる。このまま走って、疲れたら、電車に乗って家に帰ろう。でも、それまでは走ろう、と、まこちゃんは思う。まこちゃんが笑っている。

そうであればいいな、と僕は祈る。

あかねちゃん(リライト)5

「……うん。それやったらええわ。茉子が幸せなんやったら、それでええわ」
そう言って、わたしは茉子のことをぎゅっと抱きしめてみる。もしここに“彼”がいたら、こうするんじゃないかって思ったから。
“彼”のことを覚えているのは、もう、わたしだけだから。

私が驚いて「え、何? どうしたの?」と聞くと、「なんとなくや~!」とあかねちゃんは明るい声で言った。


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