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「鉄球がすべてを教えてくれる」という、室伏広治さんの父(重信さん)の言葉が持つ重みとは

どんなきっかけからであったのか、かれこれ20年くらい前から日経ビジネスを定期購読しています。

同誌に「有訓無訓」という名の、各界で活躍する人のコラムがあるのですが、購読開始当時には既にあった連載ではなかったかと記憶しています。


その頃より、これは!という記事は記録し、保管してきたのですが、同欄の2010年5月24日号に元ハンマー投げ選手の室伏重信さんが登場されていました。

室伏重信さんは、2004年アテネオリンピックの男子ハンマー投げで金メダル、2012年ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得した室伏広治選手のお父さん。日本選手権12回制覇、アジア大会5連覇を達成され、「アジアの鉄人」とも呼ばれた前日本記録保持者です。

以下は、その室伏重信さんが「有訓無訓」で記されていた話。


広治(室伏広治)が五輪で金メダルを取った後、「どうやって教えたんですか」とよく聞かれます。残念ながら、私は教えていないんですね。手取り足取りの指導をしていません。もちろん、彼が若い頃に、基礎は教えました。一定レベルまでは、その方が早く到達するからです。

でも、その後は広治が自分で考えて練習しました。2段ロケットみたいなもので、最初はコーチの指導でドーンと打ち上がりますが、その先は自分の力で上昇していくしかないんですね。考え抜いて、より高いレベルに到達する方法を編み出していく。コーチが口を出せば、選手はアイデアを出そうとしなくなってしまう。


ここで教え過ぎの弊害が述べられています。指導者が教え過ぎると、教えられる者が甘えてしまうのでしょうね。全てが与えられるものと思ってしまう。それが当たり前となり、行き着くところまでいくと「結果を出せないのは指導者の教え方が悪い」という認識にもなりかねません。

その考えは教えられる者の、主体性とか創意工夫とか自助努力の精神を奪いかねず、結局、長い目で見るとせっかくの芽を摘んでしまいます。


次に室伏重信さんは、以下のようにご自身の過去を振り返られています。

私自身の体験もそうでした。鉄球がすべてを教えてくれるのです。私は、何度となく震えるような体験をしました。16ポンド(約7.26kg)の鉄の塊は、なぜこれほど深みがあるのか、と。

始まりは、大学3年生の時でした。それまで急速に記録を伸ばしていた私は、突然、大スランプに陥ります。猛練習で乗り越えようとしましたが、成績はさらに下がっていく。社会人になっても、不振が続きました。その時です。当時、まだ珍しかった8ミリビデオを借りて、自分のフォームを撮影したのです。トップ選手の映像も手に入れました。もう夢中になりましたね。

夜、社員寮の襖に映して、体の動きを分析する。何度もテープを巻き戻して擦り切れるまで見ました。「そうか、トップ選手の足の動きはこうなっているのか」と興奮し、畳の上で練習する。そして、修正したフォームをまたビデオに撮る。そうやって、足や腕など、あらゆる部分の動きを変えていきます。こうして重信さんは見事、スランプを脱出されました。

2段ロケットみたいなもので、最初はコーチの指導でドーンと打ち上がりますが、その先は自分の力で上昇していくしかないんですね、との言葉は、この原体験から出ているのかもしれません。


結果を残すために最も重要なことは先生が教えてくれるのではありません。

向き合う対象(室伏さんの場合はハンマー投げという競技であり、その象徴としての鉄球であったわけですが、それは一人ひとり、それぞれ異なるものでしょう)と真剣勝負を繰り広げることによって、自問自答が生じ、そこからの悪戦苦闘によってのみ身につく、という意味ではないかと理解できそうです。


仕事でいえば、人それぞれ、自らが依って立つ専門分野があり、さらには当該分野の専門性を磨こうとしているはずですが、その姿勢が対象とする専門分野との知的格闘(仮説立案)と飽くなきPDCA(反省的に実践を振り返る)をもたらします。

こうした、100%、自分の責任で事に当たるという当事者意識を持つ者が、仮説立案と高速PDCAを繰り返し反復することによって、自らの限界を押し広げ、安定的に結果と出すための筋肉強化につながるのではないでしょうか。

それがそのまま「勝てるフォーマット(型)づくり」に直結するのです。



もちろん、あるレベルに到達するまでの基礎、土台を構築するためには一定の教育が必要です。

しかし、雛が口を開け、親鳥からの餌を待っている、という段階からは早期に卒業しなければなりません。


室伏さんのこの記事を読むことで、プロフェッショナル精神(ならびにそこから生み出される圧巻の成果)は、教育を受ける者の甘えとは一切無縁であり、ノウハウや方法論、知見やセンスは、教えられるのを待つのではなく、泥臭く獲得しにいくものである、という認識を新たにする必要があると改めて知らされたのでありました。


それにしても室伏さんの

鉄球がすべてを教えてくれるのです。私は、何度となく震えるような体験をしました

の言葉に、私もまた震えたのであります。


私たちも今、向き合っている対象(専門分野)から「震えるような体験」を幾度も引き出したいものですね。

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