米と雪

 私は、魚沼の兼業農家に生まれました。
 中山間地の田んぼ仕事が、子供時代の原風景のひとつになっています。
春先の苗づくりに始まり、田植えに稲刈りと、思い出は彩をもって心に残っています。この魚沼の山間部は、稲刈り後にメートル単位で積雪がある地域でもあり、しんしんと雪が降る様子は、田んぼ仕事と同様、強く印象に残っています。私の終の棲家は、雪国以外にあり得ません。最後の時は、窓から雪が降る様子を眺めていたいです。

 さて、私が生まれた昭和の後半は、一億総中流という言葉が浸透し、前途は明るく感じていました。魚沼米は高値で売れ、冬場の仕事は田中角栄が取ってきてくれる。父親世代は田中角栄に熱狂し、田舎ながらに前向きな空気感で、閉塞感はなかったように思います。

 翻って令和の今。

 私の生まれ育った地区は、私も含めた団塊ジュニア世代が、ほぼ全て地区外に出てしまっており、いわゆる限界集落の様相です。世帯数が一気に減っています。もう少し視野を広くとると、新潟県や日本海側は都市部に人口を吸い取られており、衰退から反転する兆候を感じません。

 この流れを反転させるには、「新潟に行けば稼げる」という環境を作ることが必須と考えています。田中角栄の時代より前、北前船が隆盛を極めた時代には、新潟が日本一の人口を誇った時代もありました。けして夢物語ではないと考えます。

 稲刈りの時に感じる稲わらのにおい、春先の雪解け水のにおい。私は米と雪とファミコンで育ちました。ドラクエ3は父親に無理を言って、仕事のあいまに店舗に並んでもらい、買ってもらいました。

 新潟に行けば豊かな暮らしが出来るという環境。スローガンではなく、その環境づくりの一翼を担うため、行動します。がんばります。



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