低偏差値高校から推薦入試というバイパスはアリか?評定平均の矛盾

かつて通信制高校で学び、サポート校の教育にかかわっていたが、20年前から変わらない問題があり、受験シーズンになるといつも思い出す。

大学推薦入試のあり方である。

推薦入試では一般的に受験要件として「評定平均〇以上」といった制限が設けられている。これは、教科ごとの通知表の評価の平均が一定以上であることが条件ということであるが、数値は大学や学部にもよるが3.8以上、などの基準が設けられている。確かにここだけ見ると、学業成績が一定基準以上優秀であるということが条件の一つであるというのは納得できるものだろう。

しかし、この評定平均というのは実にいい加減なものである。数値として絶対ではなく、相対的なものなのだ。例えば同じ評価3でも、それを得るための難易度は学校によって違う。県下有数の進学校で3をとる生徒と、教育困難校で3をとる生徒の学力は必ずしも同等ではない。というのも、生徒集団の基準に合わせた教育目標が設定されており、その中で個別に絶対評価するため同じ評定3でも学校で行っている授業のレベルによって開きが出るのである。


例えば私は通信制高校で、基本的に学力不振の学生に合わせた授業を受けていたので要領よくやれる科目に救われて評定平均4.8だったけど、一般的な全日制の高校の基準ではたぶん2前後だったんじゃないかと思う。高3の春に河合の模試を受けたら英語が10パーセントくらいしか取れず、さすがにやばいと思ってラスト1年で6年分を猛勉強したがw
通信制の一例をあげると、面接授業も行われるが、年数日の面接授業のほかには前後期末試験、教科ごとに半年にA3サイズのプリントを6枚ほど作れば単位が出てしまう。これを逆手にとって、意欲の低い学生、意欲の低い教員によってほとんど丸写し作業のようなレポート作成が行われているケースを見てきた。ひどい科目になると洗剤の視聴者プレゼントクイズくらいの穴埋め問題。それで全日制高校より楽に、低い水準で高い評定を得られるのは大学入試において不公平ではないだろうか。

このように、評定平均というのは基本的に高校内での評価の話なので日本中の高校生の中で学力がどうこうという話になるとあてにならないデータなのだ。

にもかかわらず、依然として大学受験では評定平均という指標によって推薦入試受験資格を判断している。入試難易度が高い大学はそもそも競争率が高いためほかの要素で選考に漏れやすくあまり問題はなさそうな気もするが、問題は入試難易度でいうところの48~53くらいに位置する私立大学や、定員割れするような大学の推薦入試だ。平均的な入試難易度の私立大学においては、推薦入試と一般入試とで学力の乖離が起こり、学力が不十分であっても推薦ルートで入学できるケースがうまれることになる。

特に通信制高校から推薦入試で進学するケースが増えており、私が以前所属していた技能連携校でもそうした進学を勧めていたが、あえて悪い言い方をするとやっていることは推薦枠ロンダリングである。そうやっていわゆる中堅ろに推薦で入れようとしても、実はそんなに簡単ではなく、結局手ごろなところにということになっていく。通信制高校やサポート校では推薦入試が見かけ上でしかない進学実績と引き換えに学力やメンタルを含めた体力を回復させる問題の先送りになっているのだ。そしてとくに不人気大学は学生が集まり定員割れさえ避けられれば経営的にもWINWINといった地獄の構図である。ぶっちゃけやりたいこともないし勉強もしたくないのに大学に行くくらいなら、やりたいやりたくない関係なく手に職をつけてさっさと社会に出たほうがいい。教え子も「4年間なんとなく大学に行ったけど何をやっていたか思い出せない」と後悔していた。彼はそれに気づいて、自分なりに別の分野をアルバイトからチャレンジし始めた。えらい。かたや、そのまま引きこもってしまった教え子もいたが。。。

推薦入試の場合学力試験を課されないことも多いので、いわゆる受験勉強というものを経験しないまま入学できることは、のちのち本人のためにならない。一般入試で学力が一定レベルでそろえられた学生と学力差があった場合、必死についていく必要に迫られる。そこで脱落し、中退するケースもある。また、安易に入学できてしまうから、目標を見つけられずだらだらと過ごして、就職でつまずいたりもする。果たしてこういう大人の都合と問題の先送りにまみれた進路指導や進学の在り方が教育として正しいのだろうか。

同僚に「推薦で入って、大学は遊ぶ場所だからバイトして遊べ」などとふざけた指導をする教員がいたが、そうやって通過儀礼も済ませず安易なバイパスに乗っけることがいかに本人の可能性を閉ざすか、その手の教員には考えられないのだ。学ぶことの面白さを伝えられないのは教員の恥だ。

推薦入試そのものを否定するつもりはない。本来、推薦入試の対象になるには相応の努力と結果を高校生の頃に積み重ねなければならないからだ。しかし、学校によっては、推薦で入った学生が一般で入った学生より学力が低いということも結構前から起こっている。大学サイドによる「確定した収益」の囲い込みの結果だ。併願一般入試の前に専願推薦で人数を埋めたいという本音を隠したところはちらほらある。不公平で安易な評定平均という指標の存在が選抜プロセスをゆがめていることは、どうにかならないかと思うのである。

ちなみに私は国公立と併願したので一般入試だった。つまり、センターで大爆死して国公立落ちたwでも、あの経験はその後の大学生活に自信を与えてくれた。実質6年間無勉強だったので、そこから普通に学校に行っていた人と同じ世界で勝負するにはそのくらいの自信の裏付けが必要だった。進路選択を真剣に考えるためにも、推薦入試の基準はもっと明確にして、一般で行くにしろ、推薦で行くにしろ、通過儀礼として自分と向き合い、自分の力を試すような入試が行われるようになってほしい。

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