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演劇をやっていなかったら、たぶん今の仕事には就いてないだろう

僕は、演劇が趣味なだけの普通のサラリーマンである。なので、平日は会社に行って8時間ぐらい仕事をする。うちの会社はフレックスタイム制が導入されているので、始業・終業時刻を自分で決めて働くことができる。僕は6時30分ぐらいに会社につき、16時ぐらいに会社を出るのが通常だ。残業は多くないし有給休暇も取りやすい。週末は休み。休日出勤を求められることは滅多にない。今のところ悪くない環境で仕事をできていると思う。

職業はシステムエンジニアである。システムエンジニアというと「きつい」「帰れない」「給料安い」という3Kのイメージがあるかもしれないが、上記で書いたようにそんなことはない。いや、嘘をついた。かつては3Kだった(あくまで僕の場合は、だが)。ほんの3年ぐらい前までは、多忙で帰宅が24時を超えることは多々あったし、時給換算すると目を疑うような金額の給料で働いていた。今たまたま状況が良いだけで、いつまた悪い状況に戻ってもおかしくない。世界はいつも不安定だ。

なぜシステムエンジニアになったのか。別に昔からコンピューターが好きだったわけではない。単に大学の演劇部の先輩に「うちの会社でバイトで働いてみない?」と声をかけられ、ついていった先の会社がシステム開発の会社であり、そこで働いているうちに、いつの間にか"システムエンジニア"という肩書きになっていた、というだけの話である。

あれは、26歳の頃。当時の僕は大学を卒業してから特に就職をするわけではなく、バイトをしながら、プロの役者になりたい!という強い想いや覚悟もないままにセミプロの劇団に所属して役者をやっていた。10月頃だったか。バイトを解雇され(TV局のカメラマンのアシスタントのバイトだった)、いくつか新しいバイトの面接に行くもなかなか通らず、そのことをブログ(当時はlivedoorブログを使っていたなあ)に書いた。すると、その記事のコメント欄にコメントが付いた。それが先輩の「うちの会社でバイトで働いてみない?」だった。「なんの会社ですか?」「コンピューター関連」「僕、全然コンピューターわからないですよ」「別にいいよ」というようなやりとりをブログ上で交わし、すぐに面接の日が決められた。

面接。いきなりの社長面接。「Access使える?」「いいえ、使えません」「プログラム書いたことある?」「いいえ、ありません」「データベースってわかる?」「いいえ、わかりません」など社長の質問に全てNoで返す僕。唯一Yesと返したのは「ここで頑張って働いてみる?」だった。それが僕のシステムエンジニア人生の始まりとなった。たぶん演劇部に入らずその先輩に知り合っていなかったら、この始まりはなかったように思う。ちなみに、面接の後すぐに作業をふられ22時過ぎまで働いたのは今となっては良い思い出。

社員10人ほどの小さな会社。バイトで入ったけど3日後には僕の知らない間に正社員の手続きが取られていた。総務の人に「年金手帳ある?」と聞かれ、「なんですか、それ」と言うと、「はいはい」といった感じで必要なことは全部やってくれた。気づけば社会人人生も始まっていた。

その会社は僕が働いてちょうど1年で潰れた。毎日残業で最後の方は3ヶ月給料が支払われなかった(未払賃金立替払制度を利用し、大半はのちほど支給されたけど)。今なら「完全なブラック企業じゃん!」って感じだけど、社員みんなでワイワイガヤガヤと毎日割と楽しく働いてたんだよね、当時。体力的にはしんどかったけど精神的には全然大丈夫だった。それに、未経験で技術ゼロの自分にたくさんの技術を教えてくれた。それは感謝しても感謝しきれない。やっぱり、あの頃があって今の自分がある。

システムエンジニアの仕事は好きか?まあ、嫌いじゃない(笑)飽きっぽい自分が10年以上続けていることって、この仕事と演劇くらいだし。どちらも自分に向いているとはとても思えないけど(笑)まあ、ふたつとも常にやりがいを感じることができるので、それは幸せなことだと思っている。

さてさて、今日もお仕事がんばりますか。外がとても晴れてきた。



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