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kaleido proud fiesta(歌詞解釈)

まえがき

11年の時を経てTIGER & BUNNYが帰ってきた。
しかも主題歌は11年前と変わらず、UNISON SQUARE GARDEN

これは文句なしの最強タッグの再来。

発売日が近づくにつれて楽曲への期待値が高まっていく。
フルサイズを聞いたときにはあまりにも感情が爆発してしまい、このCDだけをひたすらループ再生していた。こういうのなんていうんだっけか。

聞いてるうちにもしかしたらこの歌詞はこういうことかな。とか今までの曲にリンクしている部分があるかな。とか考えることが増えてきた。

いっそのこと個人的解釈をひたすらに書いてみようと思った。
基本的に歌詞を順次なぞって解釈を書いていく。

注意点

※この記事の解釈は公式のものではなく、あくまで個人の解釈によるものです。
※本文はTIGER & BUNNYの劇中のネタバレを含むため、ネタバレを回避したい方は本記事を読まないことをお勧めします。


本題

かくしてまたストーリーは始まる

かくしてまたストーリーは始まる

UNISON SQUARE GARDEN「kaleido proud fiesta」

特徴的なフレーズと共に始まる。
TIGER & BUNNY2の告知で流れた歌詞の一部であり、このフレーズを聞いただけでもタイバニファンにとっては感無量である。

これだけで僕らのタイバニが本当に帰ってきたんだと込み上げるものがある。

これについてはもう解釈するまでもなくこの言葉が全てだと思ってる。

これが運命だったんだ 期待してたかい?

これが運命だったんだ 期待してたかい?
何も言わなくても伝わりそうだから とりあえず今は黙っておこう

UNISON SQUARE GARDEN「kaleido proud fiesta」

TIGER & BUNNYは大人気の中、一度幕を閉じた。が、11年という年月を経て(実際には劇場版があるが)再開を果たした。

一方でユニゾンも本来であれば、harmonized finaleで役目を終えるはずだったとラジオや雑誌等の媒体で公言していたように本来ならば存在しなかったであろう作品がアニメ製作陣の熱量に呼応してkaleido proud fiestaという名作が生まれた。

ファンが熱望していたUNISON SQUARE GARDENとタイバニの再タッグ結成

これに対しての「これが運命だったんだ 期待してたかい?」だと信じて疑わない。

「何も言わなくても伝わりそうだから とりあえず今は黙っておこう」
このような関係性はファンにとって周知のものであるからわざわざ口にするまでもない。というコトになると思われる。

この一文から待望していたのは、ファンだけではなく製作陣も同様かそれ以上の熱を持っていたのではないかと推察されるが、いつぞやのラジオでギターボーカルの斎藤宏介さんが「僕はやりたいと思っていたから(プロデューサーさんが)なんとか田淵を説得してくれ!と思っていた。」というような旨を発言していたことから全員がやりたかったことなんだなと確証を得ることができて一人胸が熱くなってしまった。

そして素敵だと思ったのはあえて「黙っておこう」としているところ。普段から楽曲に込めた意味合いについては(筆者から見ると)伏せがちで明確に楽曲に対する解釈を語ることはない。
むしろ、どんどん深読みしてくださいというスタンスに見受けられる。

それは正解ではなくて、それぞれが好きなように受け取ってそれぞれの愛し方をしてほしいというメッセージだと思っている。

ただし、今回の「黙っておこう」については「言わなくてもわかるよね?」という視聴者に全幅の信頼を預けた上での「黙っておこう」に受け取れる。

この「黙っておこう」には普段のスタンスが仄めかしつつも視聴者も巻き込んでお祝いするぞ、と感じ取れて最高なのだ。
単語ひとつ取っても使い方が上手すぎて感銘を受けた。

喝采のロードサイド

喝采のロードサイド 止まない未来の向こう側で
倒れちゃいそうな不安をみんな持ってる

UNISON SQUARE GARDEN「kaleido proud fiesta」

ここで気になるのはロードサイドという単語の意味合い

路傍、道端、通りに面していること。

喝采のロードサイドとは道を行く両脇で拍手や声を上げて褒め称えたりする群衆がいる構図が思い浮かぶ。続く止まないはこのロードサイドにかかっていて、その群衆の列がずっと続いている様を示しているように受け取れる。その景色から想定されるのはおそらく何かの祝祭が開かれている様子である。ちなみに祝祭はスペイン語でfiesta。

そんな輝かしい未来に思えるその向こう側では倒れちゃいそうな不安をみんな持っているという。

その不安とは何を示すのだろうか。

TIGER & BUNNYの1期ではバーナビー(BUNNYのほう)の育ての親であった、アルバート・マーベリックこそがバーナビーの親の仇であったということが発覚して成敗された。ただし、事件の真相やウロボロスという集団については謎に包まれたままの部分があった。

TIGER & BUNNY2でもウロボロスに触れている。さらにはバディシステムの導入や新ヒーローの登場によって軋轢が生まれてしまう描写も多々見受けられた。

UNISON SQUARE GARDENの側面で言うと2019年にバンド結成15周年を迎え、多くのファンに祝われた。その翌年にコロナウイルスの拡大によって音楽業界・ライブ業界全体が大ダメージを受けてしまったという点も挙げられる。(田淵さんの当時のブログを拝見するに悲観的ではなく、どうすれば楽しく生きられるかを模索していたようにお見受けする。しかし「みんな持ってる」のみんなが大衆、ファンを指したものだとすると的確にも感じる。こういう意味合いを田淵さんが楽曲に込めるかと言われれば微妙だが)

(Play it, ready? Louder! Please, more!)
C'mon please DJ, 問いただしてくれ この街を誇る権利
羽がなくても心が促す飛び立つような感覚を

UNISON SQUARE GARDEN「kaleido proud fiesta」

ここのDJ、Play it, ready?はサビで「歌え kaleido fiesta」とあるのでそこに掛かってくると思われる。

「問いただしてくれ この街を誇る権利」

街というのはタイバニでいうとシュテルンビルト(タイバニの舞台となる街)、ユニゾンでいうとUNICITY(バンドのファンクラブ名)が思い浮かぶ。余談だが、シュテルンビルトに居住ができるサービス(Vレジデンス)が存在する。

コミュニティを果たして誇りに思うことができるか?という部分が問いかけられているのだと思う。

権利を行使する上で、「クリーン・ハンズの原則」という考え方がある。

権利を主張するものは自らの手も綺麗でなければならない

ここで問いかけられている誇りはコミュニティの主たる自分を誇れるか?ということだと思う。猜疑心や羞恥心が存在してしまうとコミュニティが自分の誇りには結びつかない。つまり誇る権利には結びつかない。

逆にそのコミュニティを誇りに思うことが出来たならば、自身を後押ししてくれる存在となる。

「羽がなくても心が促す 飛び立つような感覚を」
後押しを受けてまるで身が軽くなるような。重々しい鬱屈とした気分など微塵もない感覚。それはファン(市民)の応援によって生まれた感覚に思える。

「Louder! Please, more!」
ここについては続編を熱望していたファンやライブのアンコールを行うファンの声に思える。

ただ眠っていたって夜は明けてしまうから
走れ 進め 狙え 今を理由にして

UNISON SQUARE GARDEN「kaleido proud fiesta」

「ただ眠っていたって夜は明けてしまうから」

夜が明けるということに焦点を当てると日が昇ることから劇場版タイバニの「The Rising」を想起した。

本作では虎徹(TIGERのほう)に対して娘の楓がお父さんらしさを話すシーンがある。

「考えるよりも動いているほうがおとうさんらしい」というシーン(だと思ってる)だが、歌詞とものすごくリンクしているように思う。

ユニゾンもコロナ禍でバンドのあり方を常に模索し続け、決して活動が途絶えることはなかった。ライブ動員数に対してコロナ感染者0という快挙を遂げ、SPACE SHOWER MUSIC AWARD 2021ではBEST ROCK ARTIST部門で見事にノミネートを果たした。

「走れ 進め 狙え 今を理由にして」
こことリンクするのが「I wanna believe、夜を行く」の以下の歌詞の部分だと思う。

ちっぽけな誰かに ロックオンなんだそうだ
「ちっぽけでもいい」ってまさに かなり 届くように 君は

I wanna believeが夜を行く 君の声を探して

UNISON SQUARE GARDEN「I wanna believe、夜を行く」

先ほどの「Louder! Please, more!」という君(ファン)の届くように大声でPlease, more!と言っている声がある。熱望の声が聞こえた感覚を信じて進む。

前の歌詞であった「飛び立つような感覚」を受けて何もせずには居れないよなぁ。

その願いを叶えようか 歌えkaleido fiesta
綺麗すぎて忘れられないような ような 景色になる

UNISON SQUARE GARDEN「kaleido proud fiesta」

「その願いを叶えようか 歌えkaleido fiesta」

サビ1発目でタイトルのkaleido fiestaのフレーズが出てくる。

「願い」と歌詞を見た時に浮かんだ歌詞がある

harmonized finale 星座になる 沢山の願いを乗せて
誰かを救いたいとか 君を笑わせたいとか 早すぎる時間時計の中で

UNISON SQUARE GARDEN「harmonized finale」

願いとはharmonized finaleで述べている「誰かを救いたい」とか「君を笑わせたい」ではないか。

「歌え kaleido fiesta」
今一度思い出してほしいのが下記の歌詞

喝采のロードサイド 止まない未来の向こう側で

UNISON SQUARE GARDEN「kaleido proud fiesta」

喝采のロードサイドの景色がfiestaである話を前述した。その景色は未来の話であるということも歌詞から考察できる。

「綺麗すぎて忘れられないような ような 景色になる」
「kaleido fiesta」= 綺麗な祝祭と直訳することができる。綺麗すぎて忘れられない景色はこの祝祭のことだと考えられる。

猜疑心や羞恥心に縛られちゃったなら 描く景色に届きはしないだろう?

UNISON SQUARE GARDEN「harmonized finale」

昨日までをちゃんと愛して 見たことない景色を見るよ

UNISON SQUARE GARDEN「オリオンをなぞる」

この景色は猜疑心や羞恥心に縛られてしまっては描く景色には届かない。

故に綺麗すぎて忘れられない景色になる状態とは猜疑心や羞恥心がないことを示しているのではないか。つまり疑いもなく、自分に恥じることがないので誇りに結びつく。

ゆえにkaleido proud fiestaなのだと思う。

harmonized finaleやオリオンをなぞるで示している景色とは"kaleido proud fiestaそのもの"だったのではないだろうか。

今あなたと僕だけで夢を見続けないか
刹那したプレリュードだけが答えだろう?
祝祭の鐘よ鳴れ
かくして快進撃は始まる

UNISON SQUARE GARDEN「kaleido proud fiesta」

「今あなたと僕だけで夢を見続けないか」

あなたと僕はいろんな解釈ができそうだ。アニメの視点で見ると虎徹とバーナビーだけに限らないと思う。前述したバディシステムの導入によって基本的に二人一組になっている。敵役も二人一組だ。バンドの視点で見てもバンド対ファンの呼びかけに思える。君とはファン一人一人である。決して君たちではないのだ。

夢とは未来に見るものでその未来というのがkaleido proud fiestaなのではないか。未来の向こう側で倒れちゃいそうな不安に立ち向かうために夢を見続けないか?と提案しているのでは。

よく言われる人と言う字は人と人が支え合ってできている、みたいな。

「刹那したプレリュードだけが答えだろう?」

プレリュード(前奏曲)は物事の始まりになる曲だ。夢を見続ける二人を祝福するように鐘がなる。喝采のロードサイドの先の不安に立ち向かう二人を祝うのだ。Wowowのコーラスなんかは大勢の人の声が重なった歓声にも思えてくる。

かくして快進撃は始まる。


あとがき

2番以降書くの恥ずかしくなっちゃった。
書きたい部分は書けたので考察はここで締める。
2番以降にもタイバニ関連の楽曲(オリオンをなぞる、リニアブルーを聴きながら、harmonized finale、I wanna believe、夜を行く)の要素が多く含まれている。

初めてこの曲を聞いたとき、作品へのリスペクトをふんだんに詰めたユニゾンの名曲がまた生まれてしまったと心が震えた。

シングルパッケージとしては2年半ぶりの作品であり、タイバニとのタッグは8年ぶりとなる。
タイバニシリーズは全て鑑賞していて続編を待ち望んでたファンの一人だ。

もうね……本当に嬉しかったんですよ。
泣きそう。
最近、タイバニのイベントにユニゾンが呼ばれてそこで初めてこの楽曲を披露したこと。
正式にタイアップをしていないI wanna believe、夜を行くをタイバニの曲として披露してくれたこと。

本当に最近のUNISON SQUARE GARDENのこの姿勢が本当にカッコよく見えた。

そういえば今月は僕のヒーロー、田淵智也さんのお誕生日だ。敬意の念を込めて誕生日にこの記事を投稿することにした。

今年のユニゾンも強い。


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