プラナリアの摂食行動とイオン ~食事が進むカルシウムイオン~ 論文紹介

プラナリアの摂食行動とイオン ~食事が進むカルシウムイオン~

論文名  Calcium ions in the aquatic environment drive planarians to food
水中のカルシウムイオンはプラナリアの摂食を促進する
著者名  Masato Mori, Maria Narahashi, Tetsutaro Hayashi, Miyuki Ishida, Nobuyoshi Kumagai, Yuki Sato, Reza Bagherzadeh, Kiyokazu Agata and Takeshi Inoue
掲載誌  Zoological Letters
掲載年  2019年
リンク  https://zoologicalletters.biomedcentral.com/articles/10.1186/s40851-019-0147-x#Sec17

プラナリアの摂取行動と環境水中のカルシウムイオンの関係についての2019年の論文です。
 プラナリアと言えば再生の研究が有名ですが、他にもいろいろと研究されています。プラナリアにはいろいろな細胞に分化できる幹細胞を全身に持っているため、その幹細胞がどう維持されているのか、そこからどのようにいろいろな細胞に分化するのかという仕組みや、実は脳と呼ばれる中枢神経系を持っているため、神経の仕組みについても研究されています。最近では、脳があることから、外部からの刺激と行動について、例えば温度の低い場所を避ける仕組みや光から逃げる仕組みなども研究されています。つまりインプットからどのようにしてアウトプットが起こるのかという点を研究するシンプルなモデル動物として研究に使われはじめています。
 プラナリアはきれいな川にいます。それは、生物に影響を与えるような汚染物質などに弱いため、きれいな川でしか生きられないからです。では、きれいな水であればなんでも良いのでしょうか?きれいな水の中では、プラナリアが死ぬことがないため、これまであまり深く考えられて来ませんでした。この論文では、研究室で飼育しているプラナリアの飼育水が研究室によって違いがあることと、ある条件ではプラナリアが長生きすることから、きれいな水でもプラナリアに与える影響があるのではないかと考え、実験によって明らかにしています。さらに、考察では、近年の環境変化がプラナリアだけでなく、プラナリアと関係する生態に対する影響についても議論しています。
 残念なことに、この論文では、環境水中のイオンがプラナリアに影響を与える仕組みや、理由については分かっていません。この点については今後の研究に期待したいです。また、プラナリア以外の生物についても同様のことが明らかになる可能性があります。環境の僅かな変化が生態に与える影響についても注視する必要がありそうです。

*同じ研究グループによるプラナリアの摂食行動についての別の論文はこちらで紹介しています。

補足は論文には書かれていないことです。分かりやすくするために追加した文章になります。


この論文で分かったこと
・プラナリアの飼育水に含まれるイオン組成は、特異的に摂食行動に影響を与え、最終的にプラナリアの増殖に影響する。
・プラナリアの摂食行動は、環境水中のイオン濃度によって速やかに影響を受ける。
・プラナリアの摂食行動には、環境水中のカルシウムイオンが必須である。
・環境水中のカルシウムイオンは、プラナリアの食物に対する反応感度に影響を与える。

[背景]

 環境の変化は恒常性維持、成長、生殖、そして他の必須の生物学的機能に影響を与えます。動物は環境条件を感知し、活動、移動、生殖行動や形態などを、それに合わせて変化させています。汚染物質や毒素のような環境因子によって引き起こされる動物への最終的な影響として、生殖障害や行動障害が集中的に研究されてきました。しかし、自然環境因子の変化が、複雑な生理的および神経的過程によって調節される一般的な動物行動にどのように影響するかは、動物行動学、生態学および進化にとって重要であるにもかかわらず、ほとんど理解されていません。
 自由生活性の扁形動物であるプラナリアであるナミウズムシは、河川や湖のような透明な淡水に生息し、水生環境中の毒素や汚染物質に影響を受けやすいことが知られています。従って、水生動物に対する水質汚染物質の影響を評価するための生態学と毒性学の分野における指標種として、プラナリアは用いられてきました。さらに、プラナリアはその特徴的な再生能力でよく知られています。その独自の生理学的特性と進化的な位置により、プラナリアは再生メカニズム、幹細胞の動態、器官形成、神経科学、生殖戦略および動物進化のような広範な生物学分野の研究で使われる実験動物として実験室で広く使用されてきました。実験室でプラナリアを維持、増殖させるために、脱塩素化水道水、人工飼育液または希釈人工海水などを使って飼育されてきました。カルシウムイオン、カリウムイオン、ナトリウムイオンはプラナリアの細胞と組織の培養に重要であり、塩化カルシウムのみを含む溶液中でプラナリアは長期間生存できることから、カルシウムイオンがプラナリアの生存に必須であることが分かっています。さらに、リチウムイオンはプラナリアで最も有名な奇形の一つである過剰眼の形成を誘導します。このリチウムによる奇形の程度は、プラナリアが住む水中のナトリウムイオンとカリウムイオンの競合作用によって調節されています。これらのことから、環境水中のイオンがプラナリアの生理に影響を与えると考えられます。しかし、環境水中のイオンが神経調節を受けるプラナリアの行動にどのように影響するかは分かっていません。
 最近の研究から、プラナリアが単純な身体パターンにもかかわらず、洗練された脳を持つことが分かっています。さらに、複雑な行動を定量化する行動試験を用いた研究では、プラナリアが、異なる感覚器官によって光や可溶性化学物質や温度などの環境シグナルを受容し、脳で統合することで複数の環境応答行動を示すことが分かりました。プラナリアの摂食は、環境に反応する行動の中でも複雑な行動であり、異なる過程に分けることができます。プラナリアは、食物から放出される可溶性物質を手がかりとして、標的食物へ移動し、身体の中央部から突き出た咽頭を介して食物を摂取します。様々な定量的行動試験にもかかわらず、摂食行動の終着点としての摂食量を定量化する方法はまだありません。最近の研究で、プラナリアでは食物と一緒に摂食された着色チョークによって摂取された食物の量を定量化できる可能性が報告されました。これらのことから、プラナリアの行動試験によって環境変化に関連する動物行動を調べることが出来ると考えられます。本研究では、種々のイオン組成の水生環境がプラナリアの摂食行動に及ぼす長期及び急性の影響を調べました。

[結果]

飼育水は摂食行動に影響を与える
 いろいろな飼育水で飼育しているプラナリアの食物摂取を調べるために、蛍光として可視化出来るピンク色のチョーク粉で色付けした食物を使い、摂取した食物の量を調べる食物摂取試験を行いました。一般的に使われる飼育水である、カナタニ水、脱塩素水道水、0.005%人工海水の3種類の飼育水で飼育されているプラナリアに、色付けされた食物を与えました。(補足:カナタニ水は発明した方の名前がついている。)追加で、0.05%人工海水と0%人工海水(純水)で飼育されているプラナリアも試験しました。結果は、カナタニ水、脱塩素水道水、0.05%人工海水で飼育されているプラナリアは十分な量の食物を摂取していましたが、0.005%人工海水と0%人工海水で飼育されている場合は摂取量が非常に少なくなりました(図1a)。食物摂取を数値化するために、摂取した食物による蛍光の面積と体全体の面積の比を摂食指数で表しました。摂食指数の比較から、飼育水に含まれるイオンが低濃度(0.005%人工海水)もしくは含まれない(0%人工海水)場合に、明らかな食物摂取の低下が起こることが分かりました(図1b)。一方で、他の飼育水では食物摂取に違いはありませんでした(図1b)。これらの結果から、プラナリアの食物摂取は飼育水によって違いがあり、飼育水のイオン濃度が低い場合は抑制されることが分かりました。

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 栄養摂取によるプラナリアの増殖を調べるために、10個体ずつを6週間、それぞれの飼育水で通常の食物を与えて飼育しました。カナタニ水、脱塩素水道水、0.05%人工海水では、個体の数は単調に増加し、6週間で3倍以上の数となりましたが、0.005%人工海水では6週間でわずか2倍程度にとどまり、0%人工海水では3週間は生きていましたが、6週間目までに増殖すること無く死んでしまいました(図1c)。一般的に、プラナリアは食物がなくても数ヶ月は生き延びることから、0%人工海水でのプラナリアの死は、摂食をしないことよりも飼育水に含まれる塩分が極端に少ないことで恒常性を維持することが困難になったため引き起こされた可能性があります。統計解析により、6週間目でのプラナリアの数は飼育水によって違いが出ることが分かりました。このことは、飼育水のイオン濃度がプラナリアの増殖に影響を与えることを示しています。以上のことから、飼育水中のイオン濃度の減少と食物摂取の減少には関連があり、その結果プラナリアの増殖が抑えられたと考えられます。
 飼育水の違いと摂食行動との関係を調べるために、食物確認行動試験を行いました(図2a)。10分以内に食物にたどり着いた個体の数は飼育水によって違いがありました(図3a)。カナタニ水、脱塩素水道水、0.05%人工海水では、同じ程度スコアが見られましたが、イオンが低濃度(0.005%人工海水)もしくは含まれない(0%人工海水)飼育水では、スコアの減少が見られました。イオン濃度を中程度にした飼育水(0.025%人工海水)では、非常にぶれの大きなスコアになったことから、摂食行動は飼育水の組成に依存している可能性があり、イオンが低濃度もしくは含まれない飼育水は摂食行動を阻害する可能性が示されました。

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 イオンが低濃度もしくは含まれない飼育水が特異的に摂食行動を抑制するのか、もしくは行動全般を抑制するのかどうかを明らかにするために、それぞれの飼育水で2週間飼育したプラナリアを使って光忌避試験を行いました(図2b)。(補足:プラナリアは光に対して負の走行性を持つため、光を避ける行動をする。)この試験では、90秒間の内、光源と反対側の領域にプラナリアが居る時間の割合を計測しました。0%人工海水で飼育したプラナリアでは光忌避行動の低下が見られましたが、0.005%以上の人工海水では、カナタニ水や脱塩素水道水で飼育したプラナリアと同じ程度の行動を示しました(図3b)。さらに、プラナリアの移動速度を計測したところ、0%人工海水で飼育したプラナリアでは運動活性に障害が観察されましたが、他の飼育水では変化は見られませんでした(図3c)。これらの結果は、イオンの含まれない飼育水(0%人工海水)での長期飼育は、プラナリアの摂食行動や光忌避行動に影響を与えると考えられる運動活性を低下させることを示しています。しかし、低イオン濃度(0.005%人工海水)で見られた摂食行動の障害は運動活性の低下によるものでは無いように見えます。以上の結果から、イオンの含まれない飼育水(0%人工海水)のプラナリアの行動全般に対する障害は恒常性を維持することが困難になったことによる結果であると考えられます。一方で、低イオン濃度飼育水のプラナリアでは明確な行動全般に対する障害は見られませんでした。そのため、摂食行動は低イオン濃度飼育水によって特異的に阻害されると考えられます。

環境水は速やかに摂食行動に影響を与える
 イオンが低濃度もしくは含まれない飼育水での長期飼育によって恒常性を維持することが困難になることが摂食行動に影響を与えるのか、また、飼育水のイオン濃度が速やかに摂食行動に影響を与えるのかを調べるために、低イオン濃度の飼育水(0.005%人工海水)で飼育しているプラナリアを、いろいろな環境水の入った試験装置に移し、即座に行動試験を行いました(図4a)。最初に、光忌避行動試験を行いましたが、0%人工海水を含む全ての環境水で、プラナリアの光忌避行動と運動活性に違いは見られませんでした(図4b,c)。イオンの含まれない飼育水(0%人工海水)は通常移動の慢性的な機能障害を引き起こす可能性があります。しかし、飼育水の交換や、環境水による急激な浸透圧の変化は、少なくとも試験中に光忌避行動や移動に影響を与えませんでした。

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 一方で、食物摂取は環境水によって違いが見られました(図4d)。低イオン濃度の飼育水(0.005%人工海水)で長期飼育しているプラナリアでも、カナタニ水、脱塩素水道水、0.05%人工海水に移した直後は高い摂食指数を示し、それらはカナタニ水、脱塩素水道水、0.05%人工海水で長期飼育した場合と同じ程度のものになりました。
 その一方で、プラナリアの食物摂取は食物の濃度依存的に増加することが分かりました(図4d)。(補足:使用している食物は通常のエサとチョーク粉を混ぜているので、その混合比によって食物濃度は変化する。)濃度62.5%の食物を使用した場合、全ての環境水のプラナリアが食物を摂取しました。しかし、40%に食物濃度を下げた場合、カナタニ水、脱塩素水道水、0.05%人工海水のプラナリアの摂食指数は劇的に低下し、イオンが低濃度もしくは含まれない飼育水では、食物を摂取しませんでした。さらに、33.4%に濃度を下げた場合では、どの環境水のプラナリアも食物を摂取しませんでした。この結果から、環境水のイオンはプラナリアの摂食行動を促す食物に反応する感度を調節していると考えられます。
 同様に、食物確認行動試験を行いました。カナタニ水と脱塩素水道水では高いスコア見られましたが、環境水として5つのイオン濃度の人工海水(0.05%、0.025%、0.015%、0.005%、0%)を使用したところ、イオン濃度が下がるにつれて、スコアの低下が見られました(図5a)。回帰分析によって、イオン濃度とスコアの間に相関性が確認できたことから、プラナリアの食物方向への移動はイオン濃度依存的に強められる傾向があると言えます。以上の結果から、環境水の交換は、低イオン濃度で長期飼育したプラナリアに対してさえも、速やかに摂食行動に影響を与え、摂食行動の活性はイオン濃度依存的に回復することが分かりました。さらに、食物確認行動を長時間観察すると、30分後には全ての環境水でスコアが上昇し、60分後にはほとんどすべての個体が食物に到達しました(図5b)この結果から、低イオン濃度での飼育は摂食行動能力の完全は喪失を引き起こすのではなく、摂食行動の効率を低下させると考えられます。まとめると、プラナリアの発育や恒常性維持に影響するイオンよりも、食物確認試験で使われた適切なイオン濃度が摂食行動には必要であり、環境水中のイオンは食物に対するプラナリアの感度を調整している可能性があります。

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摂食行動に環境水中のカルシウムイオンが必要とされる
 プラナリアの環境水と摂食行動との間の関係をより理解するために、摂食行動に必要とされるイオン種を探しました。カナタニ水は人工の飼育水なので、カルシウムイオン、カリウムイオン、またはナトリウムイオンを含まないカナタニ水を作成することが出来ます。低イオン濃度の飼育水(0.005%人工海水)で飼育しているプラナリアを、これらの改変カナタニ水に移し食物摂取試験を行いました(図6a)。摂食指数は、カルシウムイオンを含まないカナタニ水で低下しましたが、カリウムイオンやナトリウムイオンを含まないカナタニ水では変化はありませんでした(図6b)。この結果は、環境水中のカルシウムイオンが食物摂取に必須であることを示しています。さらに、食物確認試験を行いました。10個体の平均の移動をヒートマップで表したところ、カナタニ水ではプラナリアは食物に向かって移動することが分かりました(図6c)。しかし、カルシウムイオンを含まないカナタニ水では食物の方向へ移動する能力に異常が見られ、開始地点の周辺をランダムに移動しました。一方で、カリウムイオンやナトリウムイオンを含まないカナタニ水では、通常のカナタニ水と同じ様に食物の方向への移動が観察されました。食物のある領域にプラナリアが居た時間を計測したところ、明確に環境水中のカルシウムイオンが食物確認行動に必要であることが分かりました(図6d)。

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 カルシウムイオンの移動速度に対する影響が、このイオンの必要性と関係しているかを確かめるために、それぞれの環境水中のプラナリアの移動速度を比較しました。(補足:カルシウムイオンは筋肉の収縮に関係しているため、カルシウムイオンの不足による筋肉の障害が摂食行動に影響しているかを確認した。)カルシウムイオンを含まない環境水中では、確かに移動速度の低下が見られました(図6e)。そのため、食物確認指数として、食物の領域にプラナリアが居る時間を全てのプラナリアが同じ移動速度を持つように補正を加えて計算しました。補正された値である食物確認指数によって、カルシウムイオンを含まないカナタニ水で食物確認行動が低下するが、ナトリウムイオンやカルシウムイオンを含まない場合には影響を与えないことが分かりました(図6f)。これらの結果から、環境水中のカルシウムイオンの欠如は運動活性も低下させますが、補正された食物確認指数から、食物確認試験のスコアの低下は移動速度の低下によるものではないと考えられます。

環境水中のカルシウムイオンは摂食活性を増強させる
 食物に対する反応感度が環境水中のカルシウムイオンによって、どのように調節されているのかを明らかにするために、異なったカルシウムイオン濃度のカナタニ水を使って食物摂取試験を行いました。カルシウムイオンを含まない(0 mM)、または低カルシウムイオン濃度(0.077 mM)のカナタニ水では、もともとのカナタニ水(0.77 mM)と比較して摂食指数は低下しました(図7a)。反対に、カナタニ水のカルシウムイオン濃度を上昇させた場合(7.7 mM)は、プラナリアの腸管のほとんどすべてが食物で満たされ、摂食指数の上昇が見られました。さらに、ナミウズムシは軟水に生息していますが、別のプラナリアで、硬水に生息する地中海プラナリア使って食物摂取試験を行ったところ、環境水中のカルシウムイオンの増加に伴い、濃度依存的に食物摂取が増加しました(図7b)。これは、環境中のカルシウムイオンによる摂食の活性化は種、または生息地のカルシウムイオン濃度に依存するものではないことを示しています。以上の結果から、環境中のカルシウムイオンは摂食行動に必須であり、濃度依存的に行動を活性化すると考えられます。本研究結果から、環境水中のカルシウムイオンはプラナリアの食物に対する反応感度を決定し、その結果摂食行動に影響を与え、最終的にその増殖にも影響を与えると考えられます。

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[考察]

 本研究では、プラナリアの食物に対する反応感度が環境水中のカルシウムイオンによって調節されていることを明らかにしました。昆虫では、中枢神経系にあるオクトパミン作動性神経とドーパミン作動性神経が摂食行動中の食物に対する感度を制御していることが分かっています。また、神経では、カルシウムイオンはセカンドメッセンジャーとして働いています。(補足:セカンドメッセンジャーは細胞外部からの刺激をうけて細胞内部で生産される情報伝達物質。)これらのことから、環境水中のカルシウムイオンの不足によって、プラナリアの摂食行動を制御する脳内のオクトパミン作動性神経またはドーパミン作動性神経の活動に支障をきたす可能性があります。しかし、環境水中のカルシウムイオンを取り除くことで、速やかに摂食行動に障害が見られたことから、カルシウムイオンは脳神経よりも体の表面にある化学感受性神経の活動に関係していると考えられます。
 プラナリアの摂食行動は、食物確認行動と咽頭による食物摂取行動の連続的な過程によることが報告されています。本研究結果は、環境水中のカルシウムイオンの不足が食物確認と食物摂取の両方の過程を阻害することが分かりました。このことは、2つの行動に同じようなカルシウムイオン濃度依存的なメカニズムが関係している可能性を示しています。嗅覚を含む多様な感覚シグナルの伝達に決定的な働きをすることが知られているTRPチャネルは、カルシウムイオンを細胞内へ流入させる事のできる非選択的な陽イオンチャネルです。(補足:チャネルは細胞膜にあり、細胞の外と内でイオンのやり取りを行うたんぱく質。TRPチャネルは非選択的なので、カルシウムイオンに限らず陽イオンを細胞内へ流入させる。)プラナリアでは、いくつかのTRPチャネル遺伝子が見つかっており、体の表面やいろいろな組織で広く発現していますが、化学受容性神経には発現していないことが分かっています。以上のことから、TRPチャネルのようなチャネルたんぱく質と協調した化学受容体のシグナルの感度は、環境水中のカルシウムイオン濃度に濃度依存的に影響を受け、プラナリアの摂食行動を調節する可能性が考えられます。
 さらに、0%人工海水のプラナリアは正常な光忌避行動と運動活性を見せましたが、カルシウムイオンを含まないカナタニ水のプラナリアは運動活性に低下が見られたことから、カルシウムイオンだけではなく、様々なイオンのバランスがプラナリアの行動には重要である可能性があります。本研究で行った行動実験のような実験による行動特性と行動を制御する神経の分子メカニズムに関するさらなるデータを組み合わせることで、プラナリアの神経システムと環境水中のイオンとの関係性を解明できるでしょう。
 近年、プラナリアの生物学は、再生および幹細胞生物学だけでなく、神経科学のモデルシステムとしても進歩しています。しかし、実験室で最適な飼育条件を決定することが重要であると同様に、特定の環境での動物の生理機能を理解することは重要であるにもかかわらず、自然環境でのプラナリアの生態あまり研究されていません。プラナリアの生存と行動に対する劇的な汚染物質と毒素の影響とは対照的に、生息している水の化学的組成はプラナリアの生存や増殖にわずかな影響しか与えないと考えられています。本研究で、プラナリアの増殖率は飼育水に依存して変化することを示しました。行動解析と組み合わせたこの観察結果から、摂食行動と関係の深い化学受容神経が環境水中のカルシウムイオンによって調節され、その結果、プラナリアの成長と増殖に影響を与える可能性が考えられます。プラナリアの生息地のカルシウムイオン濃度の違いが原因となる可能性がある行動学的で生態学的な影響は、自然界でのプラナリアの生息範囲を決めている可能性があります。実際、プラナリアは溶存カルシウムイオン濃度が低い湖で生き残ることは出来るが、カルシウムイオン濃度の高い湖で多く生息する傾向があることがこれまでに報告されています。
 本研究で使用したカナタニ水と脱塩素水道水のイオン組成は非常に似ています(図8)。そして、これはカナタニ水と脱塩素水道水のプラナリアでは行動に違いが見られなかったことと一致します。ナミウズムシは、軟水に分類される日本中の多種多様な川に生息していますが、脱塩素水道水とカナタニ水はこれらの日本の川と比べると比較的高いイオン濃度です。言い換えれば、日本の川のイオン組成はプラナリアの摂食行動に最適ではなく、本研究で観察された摂食行動は、高濃度のカルシウムイオンによって増強されたものを含んでいる可能性があります。

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 地表水と雨の酸性化は1990年代から環境規制と協定によって緩和されてきましたが、1960年代と70年代の酸性雨により、カルシウムイオン濃度は世界中で増加しました。プラナリアはその生息地における最上位捕食者であることが知られています。そのため、本研究結果は、水系システム内のカルシウムイオン濃度の上昇が、プラナリアによる過剰捕食のために特定の動物の絶滅や減少をもたらす可能性を示しています。つまり、この結果は、プラナリアの行動の特性をだけでなく生態系への影響の可能性についての知見を含んでいます。

よろしくお願いします。