トゲバネウミシダの変態 ~やっぱりレチノイン酸~ 論文紹介

トゲバネウミシダの変態 ~やっぱりレチノイン酸~

論文名 Retinoic Acid Signaling Regulates the Metamorphosis of Feather Stars (Crinoidea, Echinodermata): Insight into the Evolution of the Animal Life Cycle
レチノイン酸シグナルによるウミシダの変態制御:動物生活環の進化に対する洞察
著者名 Shumpei Yamakawa, Yoshiaki Morino, Hisanori Kohtsuka and Hiroshi Wada
掲載誌 biomolecules
掲載年 2020年
リンク https://www.mdpi.com/2218-273X/10/1/37

レチノイン酸シグナルによるウミシダの変態についての2020年の論文です。
 筑波大の和田研究室からの論文で、以前にレチノイン酸シグナルによるヒトデの変態について論文を発表しています。当サイトでも紹介しました。その研究の続きにあたる論文です。
 研究対象となっているのはウミシダです。ウミシダは棘皮動物で、ウニやヒトデの仲間になります。棘皮動物で研究によく使われるのはウニで、続いてヒトデになります。同じ棘皮動物でも、ウミシダやその仲間のウミユリを使った研究は非常に少ないです。ウミシダやウミユリは、ウニやヒトデのように沿岸で簡単に採取できるものではありません。特にウミユリは深海性のものがほとんどなので、非常に採取が困難です。また、発生や変態を研究するためには、受精卵や胚が必要になりますが、人工授精ができなかったり、放精・放卵の条件が不明であったり、1年に1回だけ放精・放卵を行ったりと、研究者の都合でどうこうできる動物ではありません。それだけに、ウミシダを扱っているというだけで苦労が偲ばれます。この論文で実験に使われているトゲバネトゲバネウミシダは、受精卵や胚を体の一部(いわゆるハネの部分)に付着させる性質を持っているため、比較的容易に受精卵や胚を使うことが出来たようです。
 著者たちは、進化に興味があり、この論文でも棘皮動物やその他動物の変態をふくむ、生活環の転換の進化について議論しています。いろいろな動物で共通している仕組みがあった場合に、その仕組みはそれを共有している動物の祖先から受け継がれたものであると考えることができます。例えば、ヒトデの変態はレチノイン酸によって制御されていました。その仕組みが他の棘皮動物と共通しているかどうかを調べることで、棘皮動物の祖先がどのような仕組みを持っていたかを理解することが出来ます。このときに、進化的により古い生物を調べることで、より古い祖先について知ることが出来ます。そのような意味で、棘皮動物の中で一番古いと考えられているウミシダは重要な生物であると言えます。
 この論文では、棘皮動物の祖先について仮説を述べていますが、それを補強するにはいろいろな動物、他の棘皮動物やそれ以外の動物について同じようなことを調べる必要があります。次の研究ではどの生物を研究対象にするのか、興味がそそられます。個人的には、この論文でも書かれていますが、実験動物として確立しているウニで、レチノイン酸と変態の関係がはっきりしていないのはモヤモヤしますので、ウニについて決着を付けたあとに、進化的に棘皮動物と脊索動物の間に位置するギボシムシなどの半索動物を調べてほしいと思います。

補足は論文には書かれていないことです。分かりやすくするために追加した文章になります。


この論文で分かったこと
・トゲバネウミシダの幼生は環境刺激に反応して変態を行う。
・トゲバネウミシダの幼生は環境刺激によってレチノイン酸が合成され、変態が促される。
・変態中に見られる繊毛帯の消失はレチノイン酸シグナルとは別のメカニズムによって制御されている。
・棘皮動物の祖先ではレチノイン酸によって変態が制御されていたと考えられる。

[背景]

 多くの海産無脊椎動物の生活環には、繊毛による遊泳生活をおくるプランクトン性幼生から底生生活の成体への転換が含まれています。海綿動物、刺胞動物、様々な左右相称動物を含んだ動物にはいろいろな幼生の形があります。これは、多くの動物学者にとって幼生の起源と生活環の進化に対する興味を引きつけるものでした。幼生の体の構造を決めるパターニングのメカニズムは、前口動物、新口動物、刺胞動物をふくむいろいろな動物群で保存されていることから、プランクトン性幼生の進化的起源は非常に古いと考えられます。それにもかかわらず、幼生の形は、その進化の過程で複数回の進化が起きたと以前に仮説を立てられたように、動物の生活環の進化については議論されているところです。そのため、形態学に加えて、海産無脊椎動物の生活環に内在する制御メカニズムの進化を理解することが重要です。
 刺胞動物であるクラゲや棘皮動物であるヒトデの生活環の転換は、レチノイン酸シグナルの保存されたメカニズムによって制御されています。(補足:ヒトデについての研究は、この論文と同じ研究室で行われました。こちらで紹介しています。)多くの海産無脊椎動物のプランクトン性幼生は生体外の基質に着地し(着底)、続けて底生生活の成体期へと転換します(変態)。クラゲでは、プラヌラ幼生が海底に着地し、ポリプ期が始まります。続けて、低温などの環境刺激によってストロビレーションを誘発し、エフィラ期へと転換します(参照「ミズクラゲのの大発生 ~季節によって変わる増え方~」)。これまでの研究から、環境刺激を受けた後に、内在のレチノイン酸がストロビレーションの制御を調整していると考えられています。一方ヒトデでは、変態可能な幼生がブラキオ腕を使って生体外の基質に着地したときに、幼生は幼若体原基の拡大のような変態過程を通して幼若体へと転換します。これまでの研究から、クラゲの様に、環境刺激を受け取った後、レチノイン酸シグナルはヒトデの幼生の変態メカニズムを調整していると考えられます。この2つの動物では、違った種類のレチノイン酸受容体が使われていますが、これらの発見は、レチノイン酸が海産無脊椎動物の生活環において幅広く機能していることを示しています。(補足:環形動物は進化的に刺胞動物と棘皮動物の間に位置している動物で、イソメ、ミミズなどが含まれる)この考えを確かめるために、いろいろな動物でのレチノイン酸シグナルの機能を明らかにする必要があります。特に、レチノイン酸シグナルは海産環形動物では機能していない可能性があります。これまでの研究によって、レチノイン酸受容体は神経分化を引き起こす低親和性センサーとして機能していることが分かりましたが、トロコフォア幼生や初期ネクトキータ幼生の研究では変態制御として機能していることが報告されていません。
 本研究では、棘皮動物におけるレチノイン酸シグナルの先祖的な機能を確かめることを試みました。棘皮動物は、最も進化的に古いウミユリ綱とその姉妹群である有棘動物亜門のウニ綱とナマコ綱と星形動物亜門のヒトデ綱とクモヒトデ綱の5つの綱からなります。特に、幼生の形態と着底の過程は棘皮動物の中でも同じではありません。例えば、ウニとクモヒトデのプランクトン性プルテウス幼生は管足を使って海底に着地しますが、ウミユリの卵黄栄養性のドリオラリア幼生は接着毛を使って着地します。さらに、注目すべきは、ウニの変態の調節は比較的詳細に解明されていることです。ウニでは、チロイドホルモンとヒスタミンシグナルが幼生の成長と変態能力の獲得を調整します。以前の研究から、酸化窒素シグナルが着底後の過程を抑制的にコントロールし、環境刺激の受容は変態を開始するために酸化窒素の合成を減少させると考えられていますが、レチノイン酸シグナルがウニの変態制御に関わっているかは報告がありません。そのため、棘皮動物の祖先の変態がヒトデのようにレチノイン酸によって制御されていたかどうかははっきりしません。
 本研究では、ウミユリ綱のトゲバネウミシダの変態がレチノイン酸シグナルによって制御されているかどうかを確かめました。

[結果]

天然基質はトゲバネウミシダの変態を促す
 生殖羽枝に受精卵または胚を持ったトゲバネウミシダを三崎と小名浜で採取しました。(補足:トゲバネウミシダは受精卵や胚を生殖羽枝に付着させる外部保育種。)ドリオラリア幼生は生殖羽枝からふ化し、繊毛帯を使って海中を泳ぎます(図1A)。同属のチチュウカイウミシダで調べられたように、トゲバネウミシダのドリオラリア幼生は、抗アセチル化チューブリン抗体に反応する5つの繊毛帯と頂毛を持っています(図1B, C)。ふ化後数日以内に、幼生の発生は頭打ちになり、変態可能な状態になります。ドリオラリア幼生は頂毛で基質に触れ、萼部と板部の発生、茎部の伸長および繊毛帯の消失を経てシスティディアン幼生へと転換します(図1)。この過程は、着底後すぐに始まりますが、茎部や他の構造がはっきりと観察されるまでに約2日かかります。変態完了後、システィディアン幼生は管足の形成によってペンタクリノイド幼生へ転換し、口の開口と柄(茎)の自切を経て幼若体となり、自由遊泳生活を始めます。

画像1

 いくつかのウミユリ種の変態過程は詳しく報告されていますが、ウミユリの幼生がどのようにして着底に最適な場所を決定しているかについてはまだはっきりしていません。以前に、ウミシダの幼生が実験室内でお皿の底に集まり着地することが報告されました。一方で、いくつかのウミシダ種の幼生が貝や珊瑚の欠片のような天然の基質に反応するように、環境刺激の受容が着底には必要かもしれません。そこで、トゲバネウミシダのドリオラリア幼生が、成体が生息する地域の天然砂と一緒に飼育することで、環境刺激として反応し変態するかどうかを調べました。
 トゲバネウミシダの変態可能なドリオラリア幼生を基質(砂)のありなしで6日間飼育し、この期間に変態した幼生の数を数えました。基質のない場合は、約30%(17/60)の幼生がシスティディアン幼生へと変態しました(図2A, C)。一方で、基質がある場合は、変態した幼生の数は2倍になりました(34/60、図2B, C)。幼生は飼育容器の底、または、基質に着地し、萼部、茎部、板部の発生を経てシスティディアン幼生へと正常に変態しました(図2A, B)。2つの条件で、変態率の明らかな違いがみられました(P=0.0423)。三崎採取と小名浜採取の幼生で基質に対する反応は変わりなく、サンプル数が少ないために統計解析を行うことは出来ませんでしたが、変態率は同程度でした。これらの結果から、変態開始を促す環境刺激の存在が考えられます。

画像2

生体外からのレチノイン酸はトゲバネウミシダの変態を誘導する
 次に、トゲバネウミシダの変態でのレチノイン酸シグナルの役割を調べました。レチノイン酸シグナルは、RALDH(retinal dehydrogenase:レチナール脱水素酵素)によるレチノイン酸の合成とRAR(retinoic acid receptor:レチノイン酸受容体)やRXR(retinoid x receptor:レチノイドX受容体)のような下流の遺伝子発現を制御するレチノイン酸結合受容体を介して、脊索動物で多様な発生の役割を持っています。(補足:RARやRXRはレチノイン酸と結合すると核内に移動し、遺伝子の発現を促す。)トゲバネウミシダのゲノム情報があまり無いために、ゲノム調査を行うことが出来ませんでしたが、ウミユリであるトリノアシのトランスクリプトームデータからレチノイン酸シグナルを構成するraldh、rar、rxrの遺伝子を発見したことから、レチノイン酸シグナルの機構はウミユリ類に保存されていると考えられます。(補足:トランスクリプトームデータはある組織や細胞に発現している全てのmRNAの配列データのこと。)
 最初に、変態可能なトゲバネウミシダのドリオラリア幼生を基質のない状態で、全トランス-レチノイン酸で4日間処理しました(図3)。(補足:レチノイン酸には立体構造が異なる異性体があり、全トランス-レチノイン酸や9-シス-レチノイン酸などがある。)萼部、茎部、板部が明確に形成されたかどうかで、幼生が変態したかどうかを判定しました。対照群では、4日以内に変態した幼生はほとんどいませんでした(3/60、図3A)。一方、生体外からのレチノイン酸処理では、変態が誘導されました(0.1 μM:57/60、1 μM:59/60、図3D, G)。変態は、処理後24時間以内に誘導され、72~96時間まで継続し、萼部と茎部が徐々にはっきりと観察されました。変態が誘導された個体では、萼部や茎部に骨片が観察されました。レチノイン酸による誘導後の発生と変態の時間経過は、正常発生の着底後のドリオラリア幼生からシスティディアン幼生への転換と同じものでした。以上のことから、基質のない状態でレチノイン酸によって誘導された変態は、正常発生の変態にみられる構造変化や時間経過と同様であり、レチノイン酸が変態の生体内制御因子であると考えられます。

画像3

 しかし、レチノイン酸処理による変態誘導では、正常な変態で観察される繊毛帯の消失がみられませんでした(図3E, F, H, I)。免疫染色法による観察では、変態前の幼生のように、変態を誘導された幼生に5つの繊毛帯と頂毛が見つかりました。これらの結果から、繊毛帯の消失を制御するメカニズムは萼部や茎部の形成とは独立したものであると考えられます。言い換えれば、レチノイン酸は繊毛帯の消失を制御してない可能性があります。

生体内レチノイン酸合成はトゲバネウミシダの変態に必要である
 レチノイン酸の生体内合成がトゲバネウミシダの変態過程に必要かどうかを調べるために、RALDH阻害剤(DEAB)を使い、変態に対する影響を調べました。これまでに示したように、成体が生息する地域の天然砂は変態を促します(図2)。そのため、天然砂の入った飼育容器内の幼生をDEABで処理して6日間飼育し、処理後6日目まで着底と変態に対する影響を調べました。頂毛が生体外の基質(天然砂)に接触している場合を着底、萼部、茎部、板部がはっきりと形成された場合を変態としました。
 対照群とDEAB処理の両方で、ドリオラリア幼生は変態前に基質の周辺をゆっくり泳ぐといった特異的な行動を見せました。その後、6日目までにほとんどの幼生が正常に着底していました(対照群:29/36、DEAB:31/36、図4A, B, D)。この2つの条件で、大きな違いは見られませんでした(P=0.45)。しかし、対照群では、62%の幼生がシスティディアン幼生へ変態したのに対して(18/291、図4D)、DEAB処理ではわずかな幼生が変態しただけでした(2/31、図4D)。DEABは明らかに変態を阻害しました(P<0.001)。これらの結果から、生体内レチノイン酸合成は着底に影響を与えませんが、変態の開始には必要であると考えられます。

画像4

レチノイン酸のRARとの結合はトゲバネウミシダの変態に必要である
 典型的なレチノイン酸シグナル経路では、RARによるレチノイン酸の受容がシグナル伝達には必要不可欠であることが分かっています。そのため、RARによるレチノイン酸の受容が変態に必要であるかどうかを調べました。先の実験を行った際に、以前のヒトデの研究で使用したRARαの拮抗剤であるRO41-5253(RO)による処理も行い6日間飼育しました。(補足:ヒトデの研究はこちら。)先程のDEAB処理の実験と同じように、RO 1 μMで処理した幼生は変態前に特異的な行動を見せ、ほとんどが基質に着地しました(28/36、図4C, D)。(補足:本文ではROの濃度は1 μMと書いてあるが、図4では3 μMとなっている。論文内の方法を確認したが、どちらの濃度が正しいのかは分からなかった。)対照群とRO処理との間には、統計的に明らかな違いはありませんでした(P=0.308)。しかし、RO処理では、着地した幼生のほんのわずかだけが変態することが出来ました(6/28、図4C, D)。これらの間には、変態率に明らかな違いがみられました(P<0.001)。
 RO処理によって、レチノイン酸による変態誘導が抑制されるかどうかについても調べました。上述したように、0.1 μMの生体外レチノイン酸は、72時間でドリオラリア幼生の変態を誘導しました(16/16、図5A)。反対に、0.1 μMの生体外レチノイン酸と1 μMのROを処理した場合は、ほとんどの幼生で変態が誘導されませんでした(2/16、図5B)。(補足:このROの濃度も図5とは異なる。同じくどちらが正しいかは不明。)この実験では、サンプル数が少ないために統計解析を行うことが出来ませんでしたが、ROの存在が変態を抑制しました。生体外レチノイン酸、DEAB,RO処理の変態に対する影響は処理後96時間まで調べられましたが、レチノイン酸とROを同時に処理した場合、処理後96時間で体が膨張するような致死性の影響が見られました。そのため、レチノイン酸とROを同時に処理では、処理後72時間までを調べました。とはいえ、これらの結果から、レチノイン酸がRARに結合することはトゲバネウミシダの変態に必要であると考えられます。

画像5

[考察]

現生棘皮動物の祖先におけるレチノイン酸シグナルによる変態制御
 本研究では、ウミシダに一旦環境刺激が与えられると、レチノイン酸シグナルが茎部と萼部の発生を含んだ変態過程を調節すると仮定しました(図6)。この考えは、レチノイン酸合成やRAR活性化のレベルでレチノイン酸シグナルを干渉することによって補強されますが、レチノイン酸の前駆体である全トランス-レチナール、またはレチノイン酸の他の異性体が変態を誘導するかどうかを含むさらなる研究によってより強固になると考えています。また、レチノイン酸シグナルが着底後に活性化するかどうかをレチノイン酸シグナル標的遺伝子の定量PCR解析によって明らかにする必要があります。(補足:定量PCR解析では、特定の遺伝子の発現量を解析することができる。これにより、レチノイン酸によって発現が増加する遺伝子を探索することが可能となる。)

画像6

 付け加えて、繊毛帯の消失は、レチノイン酸シグナルとは独立していました(図3)。そのため、ウミシダの包括的な変態制御メカニズムを理解するためには、他の制御因子を探さなければなりません。
 本研究による発見は、現存する棘皮動物の祖先において変態がレチノイン酸依存的であることを支持しています。ウミユリ綱(ウミシダとウミユリ)は現存の棘皮動物のなかで最も進化的に古いグループです。ウミユリは完全ドリオラリアではなく半ドリオラリア幼生へと発生することに注意が必要ですが、ウミシダとウミユリの両方は、着底前にドリオラリア型の幼生に発生します。そのため、ウミユリ綱の祖先はドリオラリア型幼生からシスティディアン幼生へ変態する生活環を持っていたと仮説を立てられます。すなわち、ウミシダで見られるように、ウミユリ綱の祖先では変態はレチノイン酸によって制御されていたと考えられます。さらに、その他の棘皮動物種では、ヒトデの変態がレチノイン酸によって制御されていることを以前に報告しています。ウミシダとヒトデの両方で、着底時に環境刺激を受容した後、レチノイン酸シグナルが変態過程を調節していることから、レチノイン酸シグナルの発生過程における役割は進化的に保存されていると考えられます。これらの発見は、棘皮動物の進化におけるレチノイン酸依存的変態の起源が古いことを支持しています。
 棘皮動物はそれぞれの系統で多様な幼生の形態に進化しましたが、ウミシダとヒトデのように、変態制御メカニズムは進化的に保存されている可能性があります。この点については、幼生骨格を獲得し、プルテウス幼生形態へ進化したウニの変態制御に注目しなければなりません。ウニの変態制御は比較的詳細に解明されています。一般的に、チロイドホルモンとヒスタミンシグナルが幼生の成長と変態能力の獲得を調整し、酸化窒素シグナルが着底後の過程を抑制的にコントロールします。これらの発見にもかかわらず、レチノイン酸シグナルがウニの変態制御に関係しているという報告はありません。ゲノム調査では典型的なRALDH遺伝子がウニのゲノムには含まれていないことが分かっています。
 これらの情報は、ウニの変態がレチノイン酸シグナルとは独立していることを必ずしも示しているわけではないことに注意しなければなりません。むしろ、RARやRXRといった他のレチノイン酸シグナルの構成因子が発見されていることから、ウニでもレチノイン酸シグナルが機能していることが予想されます。さらに、レチノイン酸を合成する能力を持つAldh8遺伝子もウニのゲノムデータから発見されたことから、典型的なRALDH遺伝子がないウニでもレチノイン酸シグナルは機能していると考えられます。そのため、棘皮動物の変態制御の進化をより深く理解するためには、ウニの変態におけるレチノイン酸シグナルの役割を調べることが重要であると考えます。
 最後に、ウニと同様に段階的に変態し二次的な左右相称軸を持つナマコの変態がレチノイン酸シグナルによって制御されているかどうかは興味深いことです。いろいろな棘皮動物におけるレチノイン酸シグナルの研究によって、棘皮動物の生活環の進化を更に理解することができます。

レチノイン酸シグナルからみた生活環の進化
 海産無脊椎動物のプランクトン性幼生の進化は数多の動物学者の多大な興味を惹きつけてきました。刺胞動物と左右相称動物の共通祖先は、頂器官と体の構造を決めるパターニングの形成メカニズムに基づいて、プランクトン性幼生を持っていたと仮説が立てられています。(補足:頂器官は間隔神経細胞が集まり繊毛が発達している構造部。)さらに、生体内レチノイン酸はクラゲのストロビレーションとヒトデの変態を仲介していることが報告されています。(補足:ストロビレーションはポリプが多数のくびれを持つストロビラへと転換すること。)本研究から、棘皮動物の祖先の変態はレチノイン酸シグナルによって制御されていると考えられます。これらの研究に基づいて、刺胞動物と左右相称動物の共通祖先ではレチノイン酸が生活環を転換させる機能を持っていたと仮設を立てました。
 レチノイン酸が共通祖先の生活環のどの過程を制御しているのを明らかにするためにはさらなる研究が必要です。刺胞動物の生活環の進化は決着がついていませんが、最近の分子系統解析によって、ポリプファースト仮説が支持されていることから、刺胞動物ではクラゲ期は派生形質であると考えられます。そのため、刺胞動物におけるレチノイン酸シグナルの古い機能を研究することが重要です。特に、刺胞動物の祖先ではレチノイン酸がプランクトン性のプラヌラから固着性のポリプへの転換過程を制御しているのかを調べることは興味深いです。生体外レチノイン酸を使った以前の研究ではそのような機能について知見が得られました。例えば、ヒドロ虫綱であるクラバ(Clava multicornis)のプラヌラ幼生をレチノイン酸で処理したところ、ペプチド作動性神経の前後位置に影響が出ましたが、ポリプの誘導には影響がなかったことが報告されています。それにもかかわらず、ゲノムデータからRXR遺伝子が見つからないというように、花虫綱やいくつかのヒドロ虫綱系統ではレチノイン酸シグナルの構成因子が欠落しています。遺伝子情報が限定的であるため、クラバにRXR遺伝子があるかどうかははっきりしませんので、ゲノム調査を伴わない研究によって刺胞動物におけるレチノイン酸の祖先的な機能を明らかにすることは困難です。RXR遺伝子を持つ種を使い、レチノイン酸の機能を再検討する必要があると考えます。

レチノイン酸シグナルの祖先的な機能に対する洞察
 本研究結果は生活環転換制御因子として棘皮動物におけるレチノイン酸シグナルの祖先的な機能を明らかにしましたが、動物界全体の中での妥当性についてはさらなる評価が必要です。特に、以下の2つについて言及しなければなりません。1つめは、海産環形動物であるイソツルヒゲゴカイを使った研究です。この研究ではイソツルヒゲゴカイにおけるレチノイン酸シグナルの詳細な生化学的特性と神経発生での役割が明らかになったことから、RARは神経分化を引き起こす低親和性センサーとして祖先的に機能していると考えられます。この研究では、生活環転換での機能について報告していませんが、そのような機能は胚や初期ネクロキータ幼生期の神経発生に注目したこの研究では捕らえられていない可能性があります。すなわち、イソツルヒゲゴカイでは、後期ネクロキータ幼生が生体外の基質に着地し、幼若体へと転換するために「着底変態」を始めます。そのため、後期ネクロキータ幼生期または着底後のような発生後期におけるレチノイン酸シグナルの機能に注目したさらなる研究が必要だと考えます。
 2つめは、棘皮動物以外の新口無脊椎動物において、レチノイン酸による変態の制御が報告されていないことです。特にホヤは、多くの海産無脊椎動物と同様の遊泳幼生が海底に着地し固着生活をはじめるという生活環を持っています。さらに、ホヤの変態制御メカニズムは詳細に明らかになっていますが、レチノイン酸シグナルが変態の制御因子として機能しているという報告はありません。かわりに、レチノイン酸シグナルはHox遺伝子の発現制御のような他の脊索動物に見られる機能を持つと考えられています。この点で、新口動物の祖先では変態がレチノイン酸によって制御されていたかどうかを明らかにすることが重要です。特に、棘皮動物の姉妹群である半索動物でのレチノイン酸シグナルの役割を調べなくてはなりません。半索動物の生活環は、プランクトン性のトルナリア幼生が着底後に幼若体へと変態する点で棘皮動物のものと似ていますが、その変態がレチノイン酸シグナルによって制御されているかは不明です。
 上述したように、本研究は生活環の制御の点から、幼生の起源と生活環の進化について迫ることが出来ることを示しました。多様な動物群を使ったさらなる研究は生活環の進化の包括的な理解につながるでしょう。

よろしくお願いします。