ユキヒョウの草食と毛玉 ~草を食べても毛玉は出ない~ 論文紹介

ユキヒョウの草食と毛玉 ~草を食べても毛玉は出ない~

論文名 The relationship between plant-eating and hair evacuation in snow leopards (Panthera uncia)
ユキヒョウにおける草食と毛排泄の関係
著者名 Hiroto Yoshimura, Huiyuan Qi, Dale M. Kikuchi, Yukiko Matsui, Kazuya Fukushima, Sai Kudo, Kazuyuki Ban, Keisuke Kusano, Daisuke Nagano, Mami Hara, Yasuhiro Sato, Kiyoko Takatsu, Satoshi Hirata & Kodzue Kinoshita
掲載誌 PLOS ONE
掲載年 2020年
リンク https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0236635

ネコ科の草食が毛排泄と関係するという仮説をユキヒョウを使って検証した2020年の論文です。
 ライオンやトラのように、イエネコを含むネコ科動物は肉食性になります。しかし、猫草が市販されているように、イエネコは草も食べます。なせ、草を食べるのかということについてはいくつか仮説があるようです。インターネットを使って調べると、「毛玉を吐くためと言われています」といったことが書かれているかと思います。この説は非常に説得力があるように感じられますが、驚いたことに、科学的な検証はされていないようです。非常にもっともらしく見えるために、検証されなかったと言うことかもしれません。
 この論文では、その仮説の検証に真正面から取り組んでいます。すでに飼われているイエネコを使うことは協力者や観察時間を確保する都合で困難だったと思われます。そこで、体毛が長いために毛の検出が容易であると思われ、管理飼育されている動物園のユキヒョウを対象に実験を行っています。
動物の生態を研究する際は基本的に自然環境下、つまり野生の動物を対象にします。しかし、研究者である人間にとって過酷な環境に生息する動物を、長期に渡って研究対象とし、追跡や観察をすることは簡単なことではありません。自然環境下である程度分かっている生態については、この論文で示されたように飼育下の動物を対象とすることで、研究を遂行することができ、結果も得ることができたのは、他の生態研究者にとっても朗報なのではないでしょうか。
 この論文を読んで、一番感じることは、当たり前とおもっていることの中には、まだまだちゃんと確かめられていないことがあるということです。何事にも疑問を持つことこそが、研究の第一歩だと改めて思いました。

補足は論文には書かれていないことです。分かりやすくするために追加した文章になります。


この論文で分かったこと
・ユキヒョウは普段から草を食べる。
・ユキヒョウの糞に含まれる草の量と毛の量には相関性は見られない。
・ユキヒョウは毛を排泄するために草を食べているわけではない。

[背景]

 植物を適切に消化することができないにもかかわらず植物を摂取することは、ネコ科の生態における謎の一つです。ネコ科は完全な肉食動物ですが、植物の摂取はネコ科の間で保存されている行動で、飼育下でも自由行動下でも観察されています。さらに、植物の細胞壁の構造成分であるセルロースは、ツシマヤマネコやトルクメニスタンカラカルでは乾いた食べ物の消化率を、イエネコではエネルギーを低下させることが実証研究で明らかになっています。植物の摂取は生物学的にコストがかかることを考えると、この行動には潜在的なコストを補う適応的意義があるはずです。しかし、ネコ科における植物摂取の適応的意義を調べた報告はありません。
 ネコ科における植物摂取の適応的意義を説明できる可能性がある3つの仮説があります。第一に、ベンガルヤマネコを対象とした研究から、植物が彼らにとって何らかの栄養価を持っているとする食物源仮説が考えられています。この仮説は、中国南西部のベンガルヤマネコの糞に、糖分と栄養分を豊富に含むベリー類の果実を生産する植物のDNAが含まれていたことに基づいています。しかし、果実に比べて栄養価が低いはずの草や葉を頻繁に摂取することから、食物源仮説は必ずしもネコ科に当てはまらない可能性があります。第二の仮説はセルフメディケーション仮説です。イヌは寄生虫を追い出したり、炎症を治療したりするセルフメディケーションに植物を利用すると考えられています。これは腸内寄生虫に影響を受けやすい若い個体に特に見られます。しかし、このセルフメディケーション効果はイヌやネコでは検証されていません。第三の仮説は、植物の摂取が毛の排出に関係しているという説です。毛玉は消化を妨げるため、消化管から排除しなければなりません。ネコは毛繕いをしているときに自分の毛を摂取したり、食事中に獲物の毛を摂取したりすることが多くあります。ネコ科は毛を吐くか、糞として排出します。摂取した植物が毛玉の排泄を助けると考えられていますが 、これについての実証的な証拠はまだありません。そのため、毛排出仮説はまだ決定的に検証されていません。
 ユキヒョウは、中央アジアの高地(1,220~5,000m以上)に生息する絶滅危惧種で、国際自然保護連合の絶滅危惧種レッドリストでVU(危急)に指定されているネコ科です。バーラルとシベリアアイベックスはユキヒョウの主な獲物種です。その生息範囲はユキヒョウの生息範囲とほぼ重なっています。ユキヒョウの自然生息地の大部分は、高山砂漠地帯であり樹木に覆われていません。ユキヒョウの生息範囲の植生は、低木林や砂漠から森林-高山移行帯まで様々です。ユキヒョウの生息地では植生が比較的少ないにもかかわらず、ユキヒョウの糞に植物が含まれていることがいくつかの研究で報告されています。例えば、ネパールのプーバレーで採取された糞の62%に植物が含まれていたことが報告されています。場合によっては、糞の内容物のほとんどが植物であることもありました。また、ユキヒョウは高地での生活への適応として、他のネコ科に比べて毛が長く密集し、毛づくろいによる毛の摂取頻度が比較的高く、それに伴って毛の排出の度も高いことが示唆されています。以上のような特徴から、本研究では、植物の摂取と毛の排出の影響を調べるのに適したネコ科動物としてユキヒョウを選びました。
 本研究では、飼育下のユキヒョウを対象に、行動観察と糞の分析を行い、毛排出仮説を検証しました。(補足:研究に使われたのは日本の動物園で飼育されているユキヒョウ。)行動観察では、植物の摂取が嘔吐に及ぼす潜在的な影響を明らかにするために、植物の摂取と嘔吐の頻度を調べました。また、糞を採取し、植物と毛の量を測定し、それらの統計的関係を調べました。これらの分析から、毛排出仮説を検証するための定量的な証拠が得られました。

[結果]

草食と嘔吐
 行動観察は多摩動物公園のメス3頭、オス3頭、神戸王子動物園のメス1頭、オス1頭、札幌円山動物園のメス1頭、オス1頭、熊本市動植物園のメス1頭の計11頭を対象に、2018年9月から2019年の10月までに計417時間行い、398時間分を解析に使用しました。草食行動は11頭中の10頭で観察されました。この行動は、多摩動物公園のオス1頭で最も頻度が高く(1.19回/時間)、熊本市動植物園のメスで最も頻度が低くなりました(0.06回/時間)。行動の時間は、6分55秒が最も長く、最も短いものはたった2秒でした。それぞれの個体で、これらの草食行動は数日に渡って観察されました。嘔吐は多摩動物公園のメス2頭でそれぞれ1回ずつ、オス1頭で2回だけ観察されました。

草食と毛の糞中排泄
 草の生えた檻で飼育されている8頭から、計192個の糞を回収しました。多摩動物公園から回収した3個の糞は、いくつかの糞が混ざったものでしたので解析に使いませんでした。乾重量が5g未満の糞17個は、大きな糞の一部と考え、除外しました。札幌円山動物園のメスの糞5個は乾重量が分かりませんでしたが、内3個は総乾重量が5g以上でしたので解析に含めました。(補足:結果として2個除外した。)多摩動物公園では生き餌(ウサギ)と麦わらだけが与えられていたため、ウサギの骨や毛、または麦わらを含んだ糞23個も除外しました。残った147個の糞を解析に使用しました。147個の内、141個(96%)にユキヒョウの毛が、95個(67%)に植物が含まれていました。図1に示すように、植物は未消化の状態で排泄されました。追加で、名古屋東山動植物園のメス1頭、オス1頭から、14個と15個の糞を回収し、ました。これらの2頭は草の生えていない檻で飼育されていましたが、オスの糞4個には木製ベンチ由来の木片が含まれていました。メスの糞1個は5g未満であったため除外しました。3つの糞で、性別判定が一致しなかったため解析には使用しませんでした。(補足:実験にあたって、糞中のDNAから、その糞がどちらの性別のユキヒョウから排泄されたかを確かめている。3つの糞については予想される性と性別判定が一致しなかったため、観察対象ではないユキヒョウの糞である可能性があり除外した。)

画像1

 糞に含まれる毛の量と植物の量との関係を散布図で示しました(図2)。植物の有無に関係なく、毛は排泄されました。糞に植物が含まれなかった名古屋東山動植物園のメスの糞を除外して、それぞれの個体について次の解析を行いました。毛または植物の乾重量については、個体間と回収時期の両方またはどちらか一方で有意な差が見られました。そのため、「個体間と回収時期」をランダム効果として、一般化線形混合モデルを用いて解析を行いました。解析の前に、糞の排便順が分からないものについては除外しました。前後の糞についてのデータが無いものについても除外しました。その結果、計107個の糞がこの解析に使われました。植物と毛の糞への移行率が異なる可能性を考慮するために、毛の含まれる糞と同じ糞の植物の量、毛の含まれる糞の前後の糞に含まれる植物の量の3つについて解析しました(図3)。これら3つについて、毛の量と植物の量との間に相関性は見られませんでした。

画像2

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[考察]

 本研究結果から、飼育下のユキヒョウはかなりの頻度で植物を食べ、その行動によって嘔吐が誘発されることはないことが確かめられました。ユキヒョウの糞に植物が含まれているという報告と合わせて、飼育下でも自然環境下でも、この種にとって草食は普通の行動であると考えられます。そのため、ユキヒョウを飼育している檻の中の植物は、飼育下でのユキヒョウの自然な行動を引き出し、豊かさと福祉に貢献する可能性があります。
 糞中の毛の量は、摂取した植物の量に関連して増加することはなく、その2つに定量的な関係性はありませんでした。そのため、本研究は、摂取した植物は毛を排泄する直接的な機能を持たないと結論します。つまり、摂取した植物が毛玉の排泄を助けるという伝統的な仮説は信じるに値しないことを明らかにしました。
 自然環境下では、ユキヒョウは毎日長距離移動をします(例えば、モンゴルでは12km/日)。彼らの広大な生息範囲と起伏に富んだ生息地のため、その自然行動を観察することは困難で、同じ個体から糞を継続して回収することは出来ません。飼育下の個体を対象にすることで、この草食行動の詳細を観察することができ、時間差をもってこの関係性を調べるための糞の回収を行うことが出来ました。本研究は、野生を理解するために飼育下の個体を研究することが重要であることも示しています。
 研究期間中に毎日エサを食べているにも関わらず、1頭を除いて他のすべてのユキヒョウで草食行動が観察されました。以前の研究から、ヒョウは長く飢えている時に、消化システムの機能を維持するために草を食べると考えられています。しかし、本研究結果から、十分にエサを摂っているユキヒョウにとって草食が普通の行動であることも明らかになりました。草食の頻度は高いものでしたが、嘔吐はほとんど観察されませんでした。草食の頻度とは一致しないため、ユキヒョウは喉や胃を刺激して毛玉を吐くために草を食べたのではなかったと結論します。草を食べるイヌの飼い主を対象としたインターネット調査によると、わずか22%のイヌだけが植物を食べた後に頻繁に嘔吐したことから、その研究では草食は嘔吐と関係していないと結論しています。
 本研究では、檻の中に草が生えているかどうかに関係なく、毛が糞に排泄されました。また、糞中の毛と草の量は個体と回収時期の両方またはどちらか一方によって変化したことから、個体間の差と、毛と檻内の草の量の回収時期による差の両方またはどちらか一方があることが分かりました。ユキヒョウの毛の長さは季節によって違いがあることが報告されています。付け加えて、季節と動物園に依存して、檻内の植物の量と種類は変化するでしょう。これは、糞中の毛と植物に個体差を引き起こす可能性があります。一般化線形混合モデルを作成した際は、個体間の差と回収時期の差の両方またはどちらか一方を考慮に入れました。それでも、3つについて(毛の含まれる糞と同じ糞の植物の量、毛の含まれる糞の前後の糞に含まれる植物の量)、糞に含まれる毛の量に対する有意な影響は見られませんでした。さらに、時期に関係なく、糞中の植物の量は毛の量と有意な関係は見られませんでした。糞中の草の量と毛の排泄との間の因果関係を無視することは出来ませんが、糞中の植物が毛の排泄に対して定量的な影響を与えていないことを本研究にて初めて明らかにしました。
 本研究では、一定期間にわたって、植物摂取と毛の排泄の関係を推測するための継続したデータを得るために飼育下のユキヒョウを使いました。飼育下の動物は、生き餌の替わりに肉を食べているため、自然環境下よりもエサに由来する毛をほとんど摂取していない可能性があります。そのため、草食の効果は、エサ由来の毛の摂取がないことから過小評価されている可能性があることに注意する必要があります。また、植物の種類は自然環境下のものとは異なりました。いくつかの生息地では、ユキヒョウの多くの糞にミリカリア属の植物が含まれていることが報告されていますが、他の生息地ではイネ科を含む他の種の植物も摂取します。(補足:ミリカリア属は落葉性の低木または半低木。)本研究では、ユキヒョウにいつ、どの草を食べるかを自発的に選ばせましたが、動物園で食べた植物の種類が必要とされる特性を持っていなかったために、植物摂取の効果が検出されなかった可能性があります。
 [背景]で述べたように、完全な肉食性動物に植物を食べさせる複数の因子が予想されます。本研究では、完全な肉食性動物における草食の適応的意義についてのひとつの仮説について初めて調査しました。ユキヒョウは自発的に高い頻度で植物を食べることを確かめました。しかし、この結果は毛排泄仮説を支持しませんでしたので、ユキヒョウにとって植物摂取の利点は分からないままです。さらなる研究では、物理的な面だけでなく、抗生物質といった科学的な面に対する植物摂取の影響を評価する必要があります。自然環境下でユキヒョウが食べる植物の種類についての情報は調査に値する新しい仮説をもたらす可能性があります。今後の研究が必要とするもう一つの分野は、自然環境下で肉食性動物に植物摂取を促す因子を明らかにすることでしょう。甘味受容体を持たないイエネコの研究から、肉食性動物は糖分に興味を持たないことが分かっていますが、例えば苦味のような他の味、嗅覚刺激、植物の食感が肉食性動物の植物摂取に影響しているかもしれません。肉食性動物の生態を本当に理解するためには、エサとなる動物だけでなく糞中の植物の種類にも注意を払わなければなりません。

よろしくお願いします。