見出し画像

欲しいと想うきもちが、一番きれいなんだよ、というはなし

穏やかな夜からこんにちは、Funtom―ふぁんとむです。
今日も思ったことを、とつとつと書きます。
今日は、『欲しいと想うきもちが、一番きれいなんだよ、というはなし』。

美術品を見たり、骨董品を見たり、ということが、ここ数年ですっかり好きになりました。
細かな意匠や作者の隠された遊び心、『ここが好き…!』と感じるポイントを見つけると、とても心が踊ります。
きゃー!わー!という喜びではなくて、しみじみ、じっくり嬉しい。
その作品の背景を知ると、もっと好きになります。これもまた、ここ数年で見つけた楽しみ方です。
まあ、それはまたの機会に細かくお話するとして。

でも、それらが欲しい、傍に置いてみたい、とは思うけれど、実際に手に入れよう、いつか本当に絶対に手に入れよう、とは思わなくもなりました。
小さい頃は何でもかんでも欲しがりだったのですが。
それは、美術品や骨董品は高いから、とか、置き場所がないから、とか、そういうことでもなくて、もっと曖昧な理由で…。
この気持ちは何なんだろうと考えて、考えた時に、ふっとRADWIMPSさんの『なんでもないや』の歌詞の一節を思い出しました。

(部活で友だちと一緒にカバーしたりして、思入れのある歌です。ゆったりした呼吸のようなあの感覚が、体にじんわり広がる、本当に良い歌なんですよね。
これもまた、別でお話したいな。)

星にまで願って 手に入れたオモチャも 部屋の隅っこに今 転がってる

どれだけ狂おしく想っていたとしても、手に入れた瞬間から、その強い想いの劣化は始まる。
あんなに欲しいと願って、ついに手に入れたそれは、時間の経過と共に自分の中で存在感が薄まってしまった。
個人的にそんな解釈をしている歌詞です。

つまりは、ああ、欲しい、喉が手が出るほど欲しい、と想うその気持ちが、一番きれいなんですよね。
強いあこがれが、欲しいモノに、何かこう…『きらめき』を与えている気がします。
だから、値段の高い、もしくは手に入れ難いモノほど(=私で言う、美術品や骨董品)、それが強まる傾向にある、と。

欲って、割と汚い印象で見られがちですよね。もちろん方向性のおかしな欲は、見苦しいと思います。
でも、きれいな欲もあるって思います。先述したみたいな。
自分にとってうつくしいものを、ただ純粋にうつくしいと思って、それを欲しいと想う。
その気持ちは確かにきらきらしていて、そしてちゃんと、きらきらしているって言っていいと思うんです。

今日は、そんなお話でした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?