明治佐賀炭鉱(佐賀県)変電所跡の記憶
佐賀県多久市で昭和44年まで操業していた明治佐賀炭鉱。現在、鉱業所跡は閉山後進出した企業の工場が稼働している。その鉱業所跡のすぐそばに、レンガを積んで設えた変電所施設が遺っていた。現在は解体され現存しないが、2011年12月来訪した際、ちょうど解体直前のタイミングでかつての変電所の跡の姿を写真にとらえることができた。周辺の様子を含め、その記録を以下に紹介する。
初対面の変電所跡の様子は、まさに以下の画像であった。明治佐賀炭鉱の跡を写真に収めようと当地を訪れた際、藪で覆われていたはずの一角が、きれいに伐採されていたのだった。
すると、赤いレンガの建造物を目撃する。鉱業所跡方面の壁に装着した数々の電線管の孔を見た瞬間、その建造物は ”変電所” であると直感した。
建造物が立つ丘に登り正面に回り込むと、その全容を目の当たりにすることができた。コンクリートの柱と梁、レンガで組んだ壁、ところどころ壁を貫通する電線管の孔、まさに変電所そのものであった。
窓枠や扉、電気設備等はすべて取り払われていた。二階分の高さはある天井に広々として、漆喰が朽ちて剥落した屑が床に散乱していた。
鉱業所跡に面した壁には無数の電線管の孔が確認できる。電力会社から引いた高圧電力は、この部屋で設備の使用電圧に変換されていたようだ。
また、床面には遮断機・断路器のてこを収めた溝跡が遺っていた。この手前には計器やレバーを設えた遮断機のパネルがあったに違いない。
壁にはこの建造物が炭鉱に所縁する証が遺っていた。壁に掲げられた”坑外二号線”の文字である。坑とはまさに炭鉱を示す。
変電所跡の周囲では、天守閣の石垣を思わせる小さい基礎が佇む。山の安寧と坑夫の安全を祈願した山神社の祠跡であろう。
正面から振り返ると、山神社の祠に通じる階段と鳥居の基礎がかろうじて姿を見せてくれた。階段の縁にはかすかに装飾の跡がうかがえる。
山神社に通じる階段の縁には、ささやかな装飾が設えてある。
偶然にも、それまでジャングルの様相を呈していた鉱業所跡の一角にて、草木が伐採されたことによって、思いがけない遺構を目撃することができた。
この時は気づかなかったが、変電所跡周りの繁茂が伐採された理由は、この地に太陽光発電施設を造成するためでった。残念ながらこれらの遺構はソーラーパネル基地に姿を変え現存しない。しかし、そのために起きた奇遇に、妙な感覚を覚えて仕方なかった。
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