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明治佐賀炭鉱(佐賀県)の面影

佐賀県多久市、ここに三菱鉱業とともにもうひとつ大資本の炭鉱が操業していた。明治鉱業㈱が操業していた明治佐賀炭鉱である。多久駅から西に進んだところにその鉱業所跡があった。

鉱業所があった場所は、閉山後別企業の工場に、背後にあったボタ山は造成されてゴルフ場に変貌した。しかしよく見ると炭鉱が操業していた時代の構造物を、利用していることに気づく。

明治佐賀炭鉱跡に進出した工場 2011年12月

また国鉄多久駅より石炭積出・運搬のための引込線も伸びており、鉱業所跡の広い敷地には石炭貨物列車を留置する線路が並んでいた。

昭和38年 明治佐賀炭鉱 全景

鉱業所跡には石炭を運搬するポケットや貯蔵するホッパーを見ることができる。閉山後進出した企業が、鉱業所そばにあったボタを資材用の砂利・砂として採取し販売するため、かつてのポケットやホッパーを、再度利用したらしい。

現工場内に、かつてのポケット・ホッパーが見える 2011年12月

現在これらの設備は稼働されていない模様だが、現存する設備群をみて、大きさなどから明治佐賀炭鉱が規模の大きい採炭をしていたことをうかがい知ることができる。

大型のホッパー 2011年12月

鉱業所跡付近には、炭鉱が操業していた当時、工作所として使われたと聞く建屋が現存している。背後に坑口とボタがそびえていたようだがきれいなゴルフ場に変貌している。

坑口跡付近の旧工作所 2012年12月

周囲には炭鉱住宅が広がっていたが、閉山から幾年と過ぎ、新しく建てられた住宅と共存した風景を見ることができる。

明治佐賀炭鉱跡付近に広がる旧炭鉱住宅 2011年12月

多久市郷土資料館には、明治佐賀炭鉱の消防団の団旗が、大切に保管されていた。炭鉱のつるはしと防災の盾をあしらったデザインが興味を惹く。

また鉱業所跡から道を隔てた宅地付近には、明治佐賀炭鉱の変電所跡も遺っていたが、残念ながら解体・造成されソーラーパネルの発電施設に様変わりした。


 変電所跡 2011年12月

炭鉱に関する文献や資料に触れると、明治鉱業という社名をよく目にする。明治鉱業は、明治期に福岡県で発祥した大手の会社で、福岡や北海道にて採炭していた過去を持つ。資料等もとに下その略記を示す。

昭和23年 明治鉱業㈱が明治佐賀炭鉱を開坑
昭和26年 着炭
昭和44年 閉山


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