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箞木(うつぼぎ)炭鉱(佐賀県)の面影 その2

佐賀県唐津市厳木町箞木(うつぼぎ)、緑豊かなこの土地にかつて零細炭鉱が細々と操業していた。その痕跡はわずかながらも、閉山後永く姿を潜めていた2基の坑口が採炭の事実を強烈に示してくれる。箞木(うつぼぎ)炭鉱である。

唐津市立箞木小学校の東寄りと西寄りに1基、坑口が潜んでいた。今回は上図航空写真の西寄り、ウツボ木炭鉱坑口跡2を訪れた。愛宕神社付近の脇道を入ると、トタン板を貼った建屋に出くわす。

2008年5月撮影

一見して屋外の物置と思える建屋だが、中を覗いて驚愕した。厚いセメントで縁取られた丸い構造物が、真っ黒い口を開けてこちらを見つめていた。まさに斜坑口である。

2011年12月撮影

家主の方に断りを入れ、背面に回るとその斜坑口の美しい姿を目にすることができた。セメントで巻かれた表層に苔が茂り、丸みをおびた背中がそのまま地中に向かって斜め方向に埋もれている。疑うことなく斜坑口である。正面にはきれいに縁が巻かれているのが分かる。単純でかつ頑丈な造りの印象を受ける。

2008年5月撮影

再度内部を覗くと、正面からすぐ奥に入ったところでセメントで閉塞されていた。閉塞までほんのちょっとの奥行きでも、坑道の雰囲気が十分伝わってくる。

2011年12月撮影

セメントを巻いたときに使った木枠の跡が、坑道奥へ通じる集中線の印象を与え、天井の圧迫感と相まって坑道そのものの雰囲気を味わせてくれた。

2011年12月撮影

文献には、箞木(うつぼぎ)炭鉱で昭和というが、付近の方に伺ったところ開坑はしたものの着炭までには至らずそのまま閉山になった、とのお話を伺った。航空写真を見る限り、付近に選炭施設やボタ捨てなどの跡が見当たらないのはそのせいかもしれない。面白いことに2基の坑口が閉山後、民家の建屋や物置に組み込まれ、結果最近までその姿を堂々を表すまでになった。

2008年5月撮影

残念ながら、箞木(うつぼぎ)炭鉱の2基の坑口のうち、本項で紹介する坑口は最近になって宅地の造成で姿を消してしまったようだ。上記の写真は2008年~2011年に撮影したものだが、その4年後再度訪れた際には同じ場所に新築の民家が建っていた。とはいえ、坑口というまさに炭鉱の象徴というべき構造物を最近まで見ることができたことは、奇跡に感謝するほかないと感じる次第だ。

昭和28年頃 箞木(うつぼぎ)炭鉱 吉本鉱業㈱により開坑
閉山時期  不明


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