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髪を失って生きる気力まで失った私が再び息を吹き返すまでの話。

もうあれは6年前のこと。若干22歳にして私は禿げた。

抗がん剤で禿げた。


21歳で悪性腫瘍を患ってから、たった1年での再発だった。いくつかある治療法の選択肢を聞いた時、「抗がん剤だけは避けたい」と切に思ったのを覚えている。

綾瀬はるかが、ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」において、白血病のヒロインを演じるため、実際に丸坊主にしたことが当時話題を呼んだ。私は綾瀬はるかではない。顔はきっと1.5倍以上大きいし、左右のバランスもあんなに整っていない。耐えられるわけがないと思った。髪を失った自分に。

がん細胞を攻撃するために体内に送り込まれた液体は、事前の説明通りしっかり毛根細胞まで攻撃した。「髪は女の命」などと言い出したやつは誰だ。私は命を救うために命を失ったらしい。今世紀最大の矛盾である。


初めは歩くたびにハラハラ抜け落ちる程度だった髪は、次第にごっそり束で抜けるようになった。シャンプーするのが怖かった。朝目覚めるのが辛かった。

8割方の髪を失ったところで、中途半端な残党たちに別れを告げ、自ら丸刈りにした。まるで綾瀬はる…ではなかった。ジ・エンド。ゲームオーバー。もう人生終わりだと本気の本気の本気で思った。

抗がん剤を投与していた期間より、髪を失って泣いていた期間のほうが長かっただろう。他のどんな副作用より尾を引いた。



ウィッグを作ったが、「なんか変」という感想以外出てこなかった。次第に頭に馴染んでいったけれど、1年、いやそれ以上、被り続けなければいけないことへの憤りがすさまじかった。

全部がうまくいかない気がしていた。どうせ病気も再発する。恋愛なんてできるわけがない。毎日泣いた。これ以上泣けないというくらい泣いた。ある日、ふと鏡を見たらシーラカンスがいた。私だった。顔中のあらゆるパーツが腫れ、頭は禿げ、深海魚そのものだった。誰かのことを呪いだしそうなくらい邪気をまとっていたが、もうどうしていいか自分でも分からなかった。

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ただ、ほんの一瞬だが、自分の中で意識が変わった瞬間を覚えている。

自宅療養が明けて親友とランチをした日。久しぶりにお腹を抱えるくらい笑った。何に笑ったかなんて覚えていないが、この時、私、髪がなくても幸せかもなぁと感じたのだ。暗闇の中に一筋の光が差した瞬間だった。

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脱毛から2ヶ月ほどで生えてきた髪は、太くて縮れて畝っていた。ちなみに私はストレート村ツヤツヤ番地出身で、髪だけは友人からも羨ましがられることが多かった。数少ない、自分の身体のお気に入りパーツを失う気持ちを、ご理解いただけるだろうか。ハワイ永住権では全然足りない。いっそ無人島で孤高の人となるのが正解だったかもしれない。

「時間が経てばまた生えてくるから」と言い聞かせることで何とか精神を保っていたが、もうやっていけんわ、と再びふさぎこんだ。

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脱毛から10ヵ月、やや時期尚早な気もしたが、夏が来る少し前に美容院にいった。まだ「整えられる」ほど生えそろってはいなかったが、自分の中ではあたためにあたためての出陣だった。

それまでは、ホットペッパーの新規限定クーポンを利用するために美容院を転々としていたが、暫く通えそうなところを念入りに調べた。

引退半年後の高校球児みたいな頭を突き出しても受け入れてくれるような、それでいて、おしゃれで心躍るような美容院。

だって、こんなに美容院にいかなかったことなんて、大人になってから1度もない。

初めてパーマをかけてみた高校生。「プリンやばい!」が口癖だった大学生。大事なデートから逆算して美容院を予約していた社会人1年目。

知らなかった。美容院に行けることの前提は、健康で文化的な最低限の生活だったなんて。ようやく、深海魚から人間に戻れるんだ。極上の贅沢を噛み締めた。

オーナーと名乗る髭を生やした美容師さんは、私の髪を見て案の定不思議そうに聞いてきた。

「自分で切ったり・・・しましたか?」

切ったのではなく、抜けたんです。事情を全て話した。彼はオーバーリアクションをとるでもなく、感情移入するでもなく、そっと微笑んでこう言った。

「そうでしたか。大変でしたね。これからまた一緒に、おしゃれを楽しみましょうね。」

その瞬間、私の中で何かが崩壊した。
おしゃれを楽しむ。再びその土場に立てたんだ。

ずっと自分が「美しい」とは遠く離れた場所にいる気がしてならない理由が分かった。髪を失ったからだけではない。心が荒んでいたからだ。

心が健やかだから見た目も美しくいられるのか、見た目が美しいから心も健やかでいられるのか。

どっちだっていい。どっちだって心理だ。でもやっぱり、内面も外面も両方満たされて、初めて美しくいられるのだと感じた。失ったものの数ばかり数えて、幸せになる努力を怠っていた自分が悔しくて、やるせなくて、その場で大泣きした。

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新しく生えてきた髪は確かに曲者だったが、縮毛矯正をあててみたり、分け目を変えてみたり、髪の色を工夫したり、たくさん実験した。

もちろん、シーカランスを受け入れてくれたあの美容院で。

それからの私は、なんだか全てがうまくいく気がしてならなかった。

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その後も何度か再発し、手術を繰り返しているが、シーラカンスに戻ったことは1度もない。一方、髪質は次第に元の質感に戻り、ストレート村に帰郷することができた。

たった今、来月の美容院を予約した。

美味しいごはんを食べて、好きな人と他愛もない会話で笑って過ごせる日々に感謝しながら。


そして、こんな日常が続くよう、心身ともに美しくいたいという願いを込めて。

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