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149 春のひかり

 やさしい光は春の気配をたっぷり含んで、洗濯物を照らしています。
まだまだ風はつめたいけれど、外に出ればそこかしこに漂う春の粒に心躍ります。

ここ最近の休日は、お天気に恵まれることが多かったので、よくお散歩に行きました。
1〜2時間ほどの小さなお出かけ。
いつも見る景色もゆっくり見渡すとさまざまな発見があります。

川に沿って歩くと、鳥が仲良く泳いでいます。
びっくりさせないように、少し遠くからながめます。
よく見ると、水中で足をぱたぱたさせているのが見えます。
小さな足で水をかく姿はいくら見ていても飽きません。

私は、昔から鳥がこわくて、近くに鳩や烏がいると気を失いそうになっていました。
今は遠くからであれば、見ても大丈夫。

鳥同士でおしゃべりしているみたいで、微笑ましい光景でした。


もうすぐ建物が建ち始める予定の場所へも行きました。
そこは、もともと大きな公園で、幼い頃からたまに訪れる場所でした。
芝生が広がっているまあるい公園。隅の方に大きな木と白詰草が咲きほこっていました。
芝生の周りは小さな森のようになっていて、小さな川もありました。
今は大きな防音の白い布をかけられています。

そこには、色とりどりの思い出があります。
子どものころはフリスビーをしたり、バドミントンをしたり。
白詰草のかんむりはここで作れるようになりました。
祖母がクローバーの小さな花束を作ってくれた、やわらかな思い出もあります。

中学・高校生のころはボーイフレンドや友人と木のそばに座ったり、芝生に寝転んで将来のことを語り合いました。
絵本が好きな友人と、作品の解釈について話した時間や建築家を目指すボーイフレンドの夢を聞いた時間は宝物のようです。(ちなみに、友人は書店員に、ボーイフレンドは無事に都心の建築会社に就職したそうです)

そして大学生のころは、友人と来ることもありましたが、一人で来ることが増えました。
そのころには、祖母は亡くなり、友人はひと足先に就職し、ボーイフレンドは関西の大学へ進学していました。
私は一人でベンチに座って、木の葉が落とす影やうつりゆく空を見ていました。
祖母のように博識でも、友人やボーイフレンドのように夢もない私は、ただ深呼吸をしていました。その自由さと孤独さは、雲のように私の中を流れていきました。

そして今。社会人になった私は、工事準備に入った公園の近くを通って思うのです。
あの芝生も木も白詰草も小さな川も、跡形もなくなくなってしまうかもしれないけれど、私はありありと思い出せます。その場所に行くだけで、芝生のみずみずしさや木の荘厳さや川の静けさを。

祖母のかわいた手や友人と一緒に聞いたスピッツやボーイフレンドの少し低い声も。
光のように惜しみなく降り注ぎます。

雲のように形が変わってしまっても、空は変わらないのだから。
そう思って、帰りにまた川を通りかかると、もう鳥たちはどこにもいませんでした。

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